今回はメキシコシティ市内に点在する壁画やシティ由来の芸術家の足跡を訪ねます。
まずは、光と色彩を巧みに使った建築が特徴のルイス・バラガンの自邸を見学。
残念ながら写真はバカ高いので入り口しか撮れなかった。
にしても窓を上手に使っていてさすが!という印象だった。
お次はディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの家。サン・アンヘルという高級住宅地エリアにあります。
確か左が住居で右がカーロのアトリエ。
内部。
寝室。リベラはここで亡くなったそうだ。
作品たち。
画材道具たちからは今も彼らがここで生活しているかのような雰囲気が出ていた。
ここから1時間ほど歩いてメキシコ自治大学へ。
金網の陸橋を越える。
到着。
お姉さん危ないっす。
前方に見えるはオルゴマン作・世界最大の壁画と言われる中央図書館。
で目的はこちら。シケイロス作「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
その他のシケイロスの作品。
広い構内にとにかく壁画が多い。
といってもこの壁画に気を止めているのは僕ぐらいで学生たちは芝生でのんびり各々の時間を過ごしていた。
その他の壁画。
ラストはセントロ周辺にあるディエゴ・リベラ博物館へ。
アグアスカリエンテスゆかりの骸骨カトリーナとフリーダが共演した壁画「アラメダ公園での日曜の午後の夢」
見たかったのよ、これ。
解説付き。リベラ自身もカトリーナの隣に少年で描かれている。
他にもフリーダ・カーロの家とかサテリテタワーとかたくさん見たいところがあったが、少々この辺でお腹いっぱいだ…
2012年2月14日火曜日
2012年2月13日月曜日
メキシコシティの風景2~テンプロマヨール~
1400年代~1500年代にかけて中部メキシコ高原地帯で繁栄したアステカ文明。
その首都にあたるテノチティトランは現在のメキシコシティに相当する場所に栄えた。
今のメキシコシティがある場所は昔はテスココ湖という湖で、湖内の島にテノチティトランは存在した。
そしてテノチティトランの中心地がテンプロマヨール(大神殿)である。
テノチティトランは16世紀初頭にスペイン人エルナン・コルテスによって制服され
カトリックを根付かせるためにテンプロマヨールのような神殿は徹底的に破壊された。
アステカ文明を滅ぼした上に出来上がったのが現在のメキシコシティである。
テンプロマヨールは長い間土の中に眠っていたが1913年に偶然発見される。
しかし、その場所がソカロ広場であり上に存在するスペイン風の建物も歴史的な価値があり
これ以上の発掘は難しいというジレンマを抱えている。
もともと。奥にカテドラルが見える。
発掘風景。
ジオラマ。市内中心部に突然出現する。
こんなかんじの神殿があったのだとか。
こんなかんじで湖でした。
では実物行ってみましょう。
水路。
遠くにカテドラルが見える。
保存状態の良いチャック・モール像。
こいつのお皿の上に生贄の心臓を載せて神に捧げる。
ちなみにこの遺跡、囲いがないので入場料を払わなくても外から結構見れる。
それでも入場料を払うのは…
遺跡の出土品が展示されている博物館が併設されているため。
当時のマヤ人の暮らしぶり。
実はあんまり期待してなかったのだけれど、このミュージアムが意外に見応えがあって面白かった。
市内観光まだまだ続きます。
その首都にあたるテノチティトランは現在のメキシコシティに相当する場所に栄えた。
今のメキシコシティがある場所は昔はテスココ湖という湖で、湖内の島にテノチティトランは存在した。
そしてテノチティトランの中心地がテンプロマヨール(大神殿)である。
テノチティトランは16世紀初頭にスペイン人エルナン・コルテスによって制服され
カトリックを根付かせるためにテンプロマヨールのような神殿は徹底的に破壊された。
アステカ文明を滅ぼした上に出来上がったのが現在のメキシコシティである。
テンプロマヨールは長い間土の中に眠っていたが1913年に偶然発見される。
しかし、その場所がソカロ広場であり上に存在するスペイン風の建物も歴史的な価値があり
これ以上の発掘は難しいというジレンマを抱えている。
もともと。奥にカテドラルが見える。
発掘風景。
ジオラマ。市内中心部に突然出現する。
こんなかんじの神殿があったのだとか。
こんなかんじで湖でした。
では実物行ってみましょう。
水路。
遠くにカテドラルが見える。
保存状態の良いチャック・モール像。
こいつのお皿の上に生贄の心臓を載せて神に捧げる。
ちなみにこの遺跡、囲いがないので入場料を払わなくても外から結構見れる。
それでも入場料を払うのは…
遺跡の出土品が展示されている博物館が併設されているため。
当時のマヤ人の暮らしぶり。
実はあんまり期待してなかったのだけれど、このミュージアムが意外に見応えがあって面白かった。
市内観光まだまだ続きます。
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