2013年2月27日水曜日

自転車に乗らない自転車乗り その②

まじで、
ホントに、
本当に、
本っ……トーに、
タイミングが悪い!!

定期船のマシントラブルにより、チロエ島中部カストロからプエルトモンへとバスで戻った僕。

手元に持っていたフェリー会社のパンフレットによると、ここプエルトモンからも
対岸のチャイテンへと出る定期船が翌日の水曜に出るという事だったので、
この日は前回泊まっていた宿に投宿した。
念のためネットでフェリー会社のHPにアクセスし、最新の運行状況をチェックしておいた。
パンフレットもHPでも翌日の夜11:00に出向することを確認。

翌日の朝、フェリーターミナルに行き船のチケットを購入。
職員と一緒に発券されたチケットを確認。
ふむふむ、今日の11:00の便ですね。

職員はチケットに刻印されたSALIDA(出港):23:00のチケットの欄外に手書きで
“11:00”と手書きで書き足した。
遅れないようにね、との念押しだろう。
大丈夫、大丈夫、遅れませんって。

ところが、職員は続けて“AM”と書き足した。
AM?PMの間違いだろうと思って“Navio,salir esta noche?(船は今晩出港ですか)と尋ねると、
彼の返事をうまく聞き取ることはできなかったがSiの言葉は聞き取れた。
そしてAMのところをさらに上からペンでなぞった。

“A”と“P”って形が崩れると、似たような見え方をするから、
僕はこれをPに書きなおしたものだと思った。

“思った”なんて書き方をしたので、もうすでにこれを読んでる人の多くが予想つくかと思うのだが
果たして船は午前中に出港したのであった。。。

話のオチが出てしまっているのだが、これに気づくのは半日後。

チケットを買って宿に戻った僕は宿に戻って、
宿の主人に無理言って夜の10時までロビーに滞在させてもらった。
その間は、ブログを書き溜めたり、ネットをしたりして過ごした。

出港時刻が近づいたので、主人に礼をいってフェリーターミナルへ向かう。
ただでさえ、活気に欠けるこの街は、雨の夜となるとさながらゴーストタウンのようだ。
フェリーターミナルなんか、明かりがほとんど点いていない。

…って人すらいない!

チャイテンへ向かう週数本の船なので、乗客が僕だけってことはないだろう。
でも、薄明かりのフェリーターミナルに人気はほとんどなかった。
唯一、売店の人間が閉店作業をしているところだった。

僕に気づいた売店の人が怪訝そうに僕を見る。

『こんばんは、船はここで待てばいいのですか?』

「船?いったいいつの?」

『えっ、今晩11:00の便ですが…』

それを聞いて店主は、そんな船ないぞ!と言うではないか。
そんなことない、パンフにもネットでも、チケットにだって今晩11:00と書いてあるよ。
そう言ってチケットを見せると、彼はそのチケットを持って
どこかに問い合わせに言ってくれた。
数分後、戻ってきた彼は首を横に振る。

「今日の船はない」

マジデスカ…。

いったいどんな理由で、夜の便がないのか分からないが、
とにかく今日の船は午前11:00に出港したとのこと。
そう、チケットを買いに行った時の職員はAMを書きなおしたのではなく、AMを強調していたのだ。

パンフもHPもチケットの刻印も今日の夜ってなってたのに、
なぜその手描きの文字が一番効力あるのだろうか。。。

そうして、店主が言うには
「明日の夜8時の便なら」
あるそうである。

この便はHPにもパンフにも載っていない便だった。
いったい、この会社の運行スケジュールどうなってんだ?謎すぎる…
そもそも本当にそんな便があるのかさえ、今の状況では半身半疑だ。
少なくともわかっていることは、今日は船がないということ。

売店の店主に抗議したところで何にもならないし、失望感にまみれる僕。
そんな僕に同情したのだろうか、店主が
「ここに泊まっていいよ、トイレもあるし、ネットもうちのを使っていいよ」
と言ってくれた。

今更宿に戻っても出費が増えるだけなので、ここは有難く彼の好意に甘えることにした。

店の人も帰ってしまい一人ぽつんと過ごすフェリーターミナル。
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幸いにもこのターミナルの椅子は、恐らく廃車になったバスの座席を再利用しているので
シートを倒すことが出来た。
2列シートを向きあわせて並べると、そこら辺の安宿よりよっぽど快適なベッドが完成した。
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いやはや、すみません、そしてありがとうございます。

一晩をここでやり過ごし、朝方7時ぐらいにトイレに目が覚めた。
トイレに行く途中のイスに二人組みが座っていた。
あれ、この人達も、ここで一晩明かしたのかな?気づかなかったな…。
と思ったら何やら見たことのある人影…

『リンさん!ススムさん!!』

またもやあの二人だった。

聞くところによると、彼女たちはここで野宿したわけではなく、
船チケットを買いに来たら、早く着すぎてここでオフィスの営業を待っているところだった。

それにしても、これで何日連続?の再会だろう。
アンクーでも鍋の時以外は待ち合わせの連絡もしていないから、面白い縁だ。
結局、僕らは一緒の船でカレテラアウストラルに向かうことになりそう。

今回は道が途切れるルートの関係上、船を利用するのは止むを得ないのだが
またしても自転車を持って、交通機関を利用している姿を見せることになりそう。
自転車乗りの威厳が、まるでないじゃないか 笑

開店と同時に、僕はチケットの変更を、彼女たちはチケットの購入をした。
今回は念入りに今晩!?20:00??PM???としつこいぐらいに確認をしたので問題ないはず。

夕方なって今度こそ、船は8:00に出港し、ようやく胸をなでおろす。
船にのるってこんなに大変だったっけ?
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やっとチャイテンに渡ることが出来る。ターミナル滞在、実に20時間。

カレテラアウストラル行きを祝し、船上で、AUSTRALの銘柄のビールを飲み回した。
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日がながいこの時期、8:00といえどもまだまだ明るい。
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ねぇ、あれって…

ススムさんが指差しした方向に目をやると、チリ富士とも言われるオソルノ山が見えた。
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チリ中部の湖沼地帯にあってシンボル的な存在の一つであるオソルノ山。
振り続ける雨に、近くを通ったときはまったく見えなかったが、最後の最後にようやく見れた。
10分もしないうちに山は再び迫り来る暗雲の中へと隠れてしまったが、
やっと気持ちが晴れる景色に出会えた。
そして隣には付き合いの長い、旅の友。

うーむ、なんだかんだなるようになってるな。

いざカレテラアウストラル!!
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2013年2月26日火曜日

自転車に乗らない自転車乗り その①

雨が降り出して5日目。

普段ならおやすみしているところだが、
毎日びしょびしょになりながら自転車を漕いでいた。

前回も書いたがチロエ島から対岸の本土行きのフェリーが週一便しかないからだ。

今日も陰鬱な気分で自転車を漕いでいると、
向こうから来たオランダ人の老夫婦バイカーに
今週の船がマシントラブルで出港しなくなったことを教えてもらった。

なーにー!!!マジデスカ。

しかも代わりの便は出ないという。

となると次の便は一週間後。

次の一週間までこの島で缶詰は嫌なので、
別な船のある港まで戻らなきゃいけないのだけれどこの話を聞いたのは何もない道路の上。
さすがにバスで戻ろうとするも大型バスの就航する街は後方60km or 前方30km。

まぁ当然近い前方の街に行くわけですが、引き返すことが分かっている道を進むのって
すごくもどかしい気分。

そして僕のプエルトモンからここまでの200kmっていったい…

でも、港のある街まではさらに100km残っていたのでそれを走らずに済んでちょっとホッとした気も。
チロエ島のアップダウンの激しさはかなりひどく、雨で景色も気分も全然乗らなかったので。

30km先の街に着いて一目散にバスターミナルを目指すと
そこでリンさん、ススムさんカップルにばったり。

プエルトモンでも会っていたし、昨日はアンクーの街で一緒に火鍋を食べたりしていて
近くにいるのは分かっていたが、まさか3日連続で会うとは…。

こんなふうに度々再会している二人なんだけど、僕の自転車姿を見せるのは今回で2回目。

思えばニカラグアで初めて会った時も、僕が道を間違えて、
元の道まで戻るのに車をヒッチハイクしているところだった。

で、今回もバスチケットを買いに来ているところで会ってるわけで…
二人に“自転車で旅してます”って言っても信憑性はないのかもしれない。。。

そんなわけでプエルトモン、アゲイン。
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2013年2月23日土曜日

降り続く雨

オソルノから降りだした雨は、その後、毎日降り続いた。
時折、雨の切れ間があるものの、空は変わらずどんよりとした空が広がる。
この後に予定しているチリ南部のフィヨルド地帯カレテラアウストラルは世界的にも雨が多い地方。
どうせそこで必ず雨に降られるので、小雨程度だったら雨待ちしても仕方ないと走りだすことにした。
もちろんあの事故のこともあるので、無茶な走行はしない。

雨の走行の中到着したプエルト・モン。
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高速道路をひたすら伝ってここまで南下してきたが、大きな街はここで最後。
この辺になると、木造の家屋にチリらしいカラーリングの家々が目立つ。
いい意味でも悪い意味でも、奇抜でちょっとダサイ色の組み合わせに思う。
ただこのダサさがチリらしくて僕は好きだ。
そして降水量が多い地域のせいか、褪せた色の壁がなんとも言えない寂しさを醸し出している。
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太平洋の内海に位置するこの街は、アンヘルモと呼ばれる海鮮市場があり、
大型連休のせいで海鮮を楽しめなかったビーニャでの雪辱を期していたが個人的にはかなりの
期待はずれ…。
中南米で見られるメルカドの雰囲気は一切無く、綺麗な建物に区画分けされた店々。
売っている魚のバリエーションも少なく、冷凍モノも目立った。
併設されているレストランはほとんど観光客向けといった様相で、
この街の暮らしの末端が見えてくるようなエッセンスは見出すことが出来ず、写真すら撮らなかった。

それでも、この街では嬉しい再会があった。
去年、ニカラグアのオメテペで会い、コスタリカ、ペルーーで再会を繰り返した
台湾人のリンさんとススムさんのカップル。
自転車で旅していると当然、バックパッカーとの移動ペースは違ってくる。
なのでこうして、何度も逢えるのはとても嬉しい。
彼女たちはこの夏、カナダに出稼ぎに行っていた期間はあるものの、
各国をゆっくりじっくり回っているので、自転車で旅している僕よりもマニアックな場所に行っていたりする。
そんなリンさん、進さんと久々の再会話を楽しみながら、このあたりの名物料理である
貝と肉のごった煮クラントをつつき合った。

二人と、もう少し一緒に居たかったのだが
これから向かうチロエ島から本土へ渡るフェリーが週1本だったので
それを逆算していくと、ここでゆっくりしている場合ではなかった。

プエルトモンから半日走ってチロエ島へと渡るフェリーの渡し場に着いた。
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小雨だった空模様が、フェリーの出港時刻ぐらいになると雨脚が強くなってきた。
急に降りだした雨と強風で僕は、デッキでガタガタと震えていた。
と、そこに一人のセニョールが、
“中で待ちなさい、寒いよ”
と僕を自分の車の中に入れてくれた。
わずか30分ほどの後悔でフェリーはチロエ島に到着し、
このまま街まで乗って行く?という彼の親切を感謝とともに断り、走りだした。
この頃にはすっかり雨が上がって、左手には海と空の境界線のない鈍色が視界を覆い尽くしていた。
雨は寒いし、汚れし、危ないし、あんまりいい事がないので嫌いだ。
けれどこんな雨あがりなら、たまには悪くないなと思いました。

雨具を脱いで走りだした僕の横を、プップッとさっきのセニョールが短いクラクションを鳴らし、追い抜いていった。
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2013年2月21日木曜日

紙一重の差

サンティアゴからプコンに戻り、1日休んだあとプエルト・モンへ向けて出発した。
本当は、ここからアルゼンチンへ抜けてシエテ・ラゴスと呼ばれる7つの湖をめぐり
アルゼンチン側の観光地バリローチェを回ってからプエルト・モンへ抜けるコースの予定だった。
ところがプコンに戻った日から天気が崩れだし、あれほどくっきり見えていたビジャリカ山も雨雲にすっかり覆われた。
予報によると、これから本格的に崩れるらしい。
天気が悪いのではせっかくの湖をめぐるルートも楽しめないと思い、ルートを変更し最短ルートでプエルト・モンを目指した。
1日目は来た道を戻り、再び高速道路に復帰、またもやコペックにお世話になった。
しかし、2日目の午後には早速雨雲に捕まった。
オソルノというそこそこの都市の近くまで来ていた。
なので宿もあるのでここで雨宿りするべきか。
たがしかしあと100kmでプエルト・モンだ。
頑張れば今日中に着けないこともない。
どうせ濡れるなら一日で走りきってしまった方がいいのではないか?
そう思いつつ、大方気持ちは一気にプエルト・モンまで走ることに傾いていた。
雨音が響くレインウェアのフードの外からやけにサイレンの音が聞こえ
急にパトカーがたくさん僕を追い越していった。
なんだろうと思っていたら、すぐに分かった。
見通しの良い直線道路、
そこに一台の車が逆さになって潰れていた。
この道路でどう運転したらそうなるのか全く想像がつかないが派手な事故だったようだ。
周囲は警察によって交通規制されている。
だが、近くに停まっている救急車はランプが消えてただ止まっていた。
まさか。
そう思いながら事故現場を通り抜ける。
横目でチラリと現場に目をやると
タンカには人の影のような輪郭の盛り上がりがあり、その上には顔まで全身毛布がかけられていた。
この車の運転手だということは明らかだった。
急に腹の底から恐怖がこみ上げてきた。
この車は数十分前に僕を追い越していった車であり、タイミングが少しズレてたら、
あるいはさっき僕がガソリンスタンドで休憩していなかったら…

僕はさっきまでの気持ちは消え失せ、すぐにオソルノの街で宿を取った。

他人のフリ見て我が身を…
というにはあまりにも代償が大きすぎるが
僕も一歩判断を間違えばいつだってああなる可能性はあるのだ。
そしてまさに今日、その判断を誤りかけた。
この日はずっと恐怖心に支配されていた。
窓の外では雨脚が一層強まり、バタバタと屋根を叩いている。

2013年2月19日火曜日

いざないの言葉

『チリには美しく終わりのない森、湖、火山やフィヨルドの迷宮、氷河や島が点在している。
国土の幅は最も広い場所でも200kmを超えない。
だから、朝、海に飛び込んで、昼には雪をかぶった山の頂上で昼食をとることもできるんだ』

数年前、アンデスに佇むアルパカの表紙が気に入って手に取ったとある雑誌。
その中にこの一節があった。
端的ながら、チリの国土をうまく表現している冗談めいたこの一節は僕のお気に入りだった。
当時の僕は、このフレーズから、対岸というには果てしなく遠い太平洋の向こう側に羨望に近い旅情を抱いたものだ。
話はいまに変わって。
学生時代に知り合った彼女に会いに僕はサンティアゴに戻った。
彼女の自宅は、僕がサンティアゴで滞在していたホテルの僅か数ブロック隣だった。
こんなにも近くにいながら、すれ違うことなく過ぎていったサンティアゴでの日々と、
閃きのように彼女のことを思い出し、この街に舞い戻ったことを、偶然はいつだって紙一重だなと思いつつ、家の扉をノックした。

7年?8年ぶりに会う彼女は当時の面影はそのままで、けれども、きっと素敵な時間を過ごしてきたのだろうと、
一目で感じる大人の女性になっていた。

互いの空白の時間を埋める話に花が咲く。
そんな中、彼女は先の雑誌の製作に関わっていたことを知り、さらには冒頭の言葉の持ち主が、
彼女の夫であるマウさんだということを知って驚いた。
夕食時、近くに住む彼女の友人が遊びに来た。
その彼もまた先日立ち寄った港町で知り合った人だったので、これもまた驚いた。
突然、色々な点が線に繋がる瞬間がまとめてやってきた。
雑誌を手に取ったときから連面と続く旅への思いがこの出会いを結実させたのか。
それとも。
南から吹き抜けるパタゴニアの風が彼女たちに会わせるために僕をサンティアゴに押し戻したのか。
南米を走ってきたご褒美のような
素晴らしい瞬間に巡りあうことができた。
Graciaaaaas!!!!

2013年2月16日土曜日

あの日が導く旅

プコンに着く数日前の事。
話はイースター島での前置きから始まる。

イースター島からチリのサンティアゴに戻るときリマに一泊した。
チリ領のイースター島であるが、実はリマ経由の方が断然安い。
乗り換えで拘束時間は長くなってしまうが、半額近いこのプライスは魅力的だった。

それに、リマは2週間滞在した勝手知ったる街。
居心地の良い宿もあるので正直イースター島より楽しみだった。

往路こそリマに降りる時間はなかったが、復路でリマに降りた。

空港を出た途端にやって来るタクシーの客引き、クラクションが飛び交う喧騒、
思わず顔をしかめてしまうキツイ匂いの立ち込める裏路地。
隣国チリとは変わる世界に懐かしさとワクワクを感じていた。

宿も変わらず居心地がよく。
そこに居合わせた旅行者と遅くまで馬鹿げた話をした。

話は更に遡る。

学生時代の僕は東京の成城にある某映画撮影所でアルバイトをしていた。

なぜここでアルバイトをしようと思ったのかの記憶は殆ど無い。
けれど、大学から5分、自宅からも15分で着くこの距離は
僕にとってもバイト先にとっても都合のいいものだった。
出席確認だけ学校に行ってすぐバイト先に戻ったりと、
バイトにどっぷり漬かった生活が2年ほど続いた。

お給料は、本当に雀の涙ほどしかもらえなかったのだが
長いと1週間、ほとんど外界との接触がなかったりしたので
自然と貯まっていった。

そんな折、所内に新スタジオが開設し、新しいアルバイトの一斉募集があった。

そこにやってきたアルバイトの中に彼女はいた。
あまり聞かない珍しい苗字の頭をとって彼女はW子と呼ばれていた。
 ほとんどが年上の人ばかりの職場で、W子は珍しく僕と同級生。

妙に親近感を覚えて、僕は勝手に先輩風を得意げに吹かせていたと思う。

けれど、半年ぐらいたって、W子がどこかへ旅に出かけたと噂に聞いた。
 どこに行ったかは誰も分からない。
“ふうん、辞めちゃったんだ”と少し寂しい思いをしたものだ。

それから数年たった大学4年の夏、すでに就職先の決まっていた僕は“最後の冒険”と決めて
自転車を抱えてアメリカ横断の旅に出た。

ここで見事に自転車旅にハマッてしまう。

最後の冒険になるはずだった僕の旅はサンタモニカにビーチの向こうに続いていった。

ようやく話を今に戻すと。

僕はチリのある地方都市にいた。

その日は雨で、走るのを止めて休養日にした。
連日の激走がたたって足を痛めたのもあり骨休めと思って。

窓の外はシトシトと雨粒が降っている。

壊れた装備の修理やお世話になった人たちへの手紙など
やることは山ほどあるのだが
この日の僕はただただぼーっとベッドの上で時を過ごした。

そんな時、頭の中で最近の近況を反芻していた。

本当に道が変わり映えしなくてつまんないな、とか
サンティアゴの韓国料理また食べたいな、とか。
イースター島帰りのリマのことも思い返す。

楽しかったなぁ、あ、そういえばそこで出会ったあの人が僕と同い年で◯◯大って言ってたなぁ。
W子知ってるかな~。

まどろみに浸っている中で自然と記憶の奥底からW子の名前が蘇ってきた。

ちょうどパソコンを開いていたのでインターネットで探してみた。
珍しい名前と苗字だったため、すぐに見つかった。

たぶんこれがあの子だろう。

はは、いきなり見つかっちゃった。

それにしてもピンポイントで見つかるなんていまどきのインターネットってある意味怖い。

元気かな?いま何してんのかな?と思い彼女のページをクリックしてみて驚いた。

そこには“現在南米チリに移住”と書いてあった。

な、なにぃーー!!

突然すぎてびっくりした。

W子が近くにいる?!

驚きつつも、メッセージを送るとすぐに返信がきた。
もっとも彼女は僕のことをほとんどすっかり忘れかけていたそうだったが。。。

今はチリ人の旦那さんと結婚し、サンティアゴで暮らしているそうだ。

彼女と旦那さんは、彼女が撮影所を辞めて出かけたあの旅の途中によったイースター島で出会ったのだという。

驚きすぎて言葉が出ない。

本当に面白い世界だ。

簡単に“世界は狭いね”とは言いたくない。

自転車で走っていると、十分に世界は広く、曲がりくねっていて、デコボコだらけだ。
むしろ、走れば走るほどに世界は広がっていくように感じる。

地図や写真でしか見たことがない地球を自分の五感に刻み込んでゆく行為。
目を疑うような絶景や華やかな街なんてほんのひとにぎりでしかない。

大半が、恐ろしく地味でなんてことのない風景の連続だ。

でもそんな中に綺羅星のように突如不思議な出会いがやってくる。

これまでもたくさんの綺羅星に出会えたし、これからにもすごく期待をしているからこそ僕は自転車に乗っているのだろう。

縁ってやっぱり不思議だなと思う。

あの撮影所で貯めた僅かなお金を握りしめて旅立った二人。

旅に出たことで、これまで歩いてきた道からうっかり外れ、
その後の様々な紆余曲折を経て、またこうやって再会が出来るのだから。

お互いどんな年月を過ごしてきたんだろうね。

とゆうわけで!W子に会いにここプコンからサンティアゴ戻ることになりました。
さすがにバスっす 笑

2013年2月15日金曜日

手抜き日記 ~ビジャリカ登山~

温泉の翌日はビジャリカ登山。
心配された風邪も引くことなく、雲ひとつない快晴のもとビジャリカ山に登ってきた。
プコンに来る時の道でビジャリカ山を遠目に見てこの登山を決めたわけだが
実際はなんとも簡単に登れてしまうお気軽登山だった。

まかそれは綺麗な円錐形をしていることからも予想はついていたのだが。

といっても2800mの高さから見下ろす湖水地方の眺望は素晴らしく、
向こうにはアルゼンチンの入り口ラニン山が見えた。
ラニン山は標高も富士山と全く同じ3776mで形も瓜二つだ。
活火山であるビジャリカ山頂のお釜部分には、煙がたちなかなかの迫力。

登りは全くつまらない行程だったが、帰り道はこの綺麗な円錐型の形が威力を発揮。
プラスチックのスライドボードをお尻に敷いて尻滑りの格好で登山口までスライドダウンした。
これがなかなか楽しくて行きが5時間かかったのに、帰りは1時間ちょっとで下りてきた。

だが、快晴すぎて雪が溶け出し、麓に下りて来る頃にはびしょびしょに。
今日もまた風邪を引きそうになりつつ帰途についた。
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2013年2月13日水曜日

チリのアグアスカリエンテス

プコンにはビジャリカ火山とビジャリカ湖をはじめとした、数多くの山と湖に囲まれた場所で
登山やラフティング、トレッキングに乗馬とあらゆる種類のアウトドアアクティビティを行うことが出来る
チリ最大のアウトドアリゾートである。
湖水地方とも呼ばれるこのエリアはチリ人自慢の観光地。
街のメインストリートにはシャレー風のホテルやストアが並びいかにもツーリスティック。
同じチリにあってサンティアゴやアタカマともまるで違う雰囲気の街だった。

そして、あちこちに出された看板からはPATAGONIAの文字が。
そう、もうここは南位40°以南のパタゴニアに地方なのだ。
そうはいってもまだ荒涼とした地平の果てまで続く大地も
気を抜いたらすべてをかっさらっていきそうな強風もここには無い。
一口にパタゴニアといっても南北で2000km近い広大な土地。
このあたりはむしろ、西風が運ぶ雲がアンデスにぶつかり雨がよく降る豊かな土壌が広がっている。
だからせっかく憧れの地に入ったといってもまだ実感は無い。

それでもこのパタゴニアを満喫すべく、まずは火山の恵み温泉へと出かけた。
ボリビア以来の温泉だったのでかなり楽しみ。
温泉は近郊にいくつかあるのだが、色々情報を集めて、
もっとも湯温が高いとされる温泉の夜風呂ツアーなるものがあったのでそれを申し込んだ。
夜、ツアーバスに揺られ1時間。
着いた温泉は、海外にしてはなかなか風情のある岩作りの温泉でいくつか湯船が隣を流れる沢に並行してあった。
暖色系の柔らかな灯りが一層雰囲気を盛り上げる。

ほうほう、これは、なかなかどうして…

一目見てかなり期待が高まったのだが、同時に違和感にも気づいた。

あれ?湯気が…出てない…??

既に闇夜もだいぶ深まり、寒さもすぐそこまでやってきていた。
にも関わらず、湯面をみてみると、湯気がほとんど立っていないのだ。

んな、ばかな!

おそるおそる手をつけてみる。

ぬるっ!
ってゆーか冷たくね?

湯温はお世辞にも温かいとは言えず、お世辞を言ったとしてもぬるいぐらい。
つまり冷たかった。

それでも期待していた温泉に裏切られた事実を認めたくない一心で
外が寒いだけで、この湯温はなんとか入れる温かさなんじゃないか?と必死に思い込むことに。

いくつかあった温泉の中で、一番マシそうな湯船に目星をつけて、意を決して入泉。
入る分には入れたが、肩が出ると即座に風邪を引くレベルの温度。
かといってずっと入っていれば確実に体温は奪われていく。

しかも辺りは温泉と着替えの小屋しかない何もない所。
温泉ツアーなんてのは名ばかりで、ここまで連れてこられた後は、2時間半後にまたここ集合ねっていう放置プレイ。
あとの2時間ここで過ごさなければならないのだ。

なんだ、この罰ゲームは。

なんて思うも、なんとかこの状況を打破せねばならない。
ちなみにどのくらい寒いかと言うと、冬でもTシャツ一枚のあの白人たちもあがるときは肩をすすくめて震えるレベル。
太陽があれば、だいぶ違ったろうが、それにしても寒すぎる。。。

人がたくさん固まっているところが湯温高いところかなと思って行ってみる。
心なしか温かい気がしたが、気のせいのような気もする。

やむを得ず動きまわって体温を上げる。
疲れて5分で終了。

うむ、どうあがいても2時間半後には風邪を引いているだろう。
しかも明日は早朝からビジャリカ登山だってのに。

「ねぇ、ここ!ここ温かいよ!!」

向こうから声が聞こえる。
この温泉にはサンティアゴやイースター島で知り合った友人たちと5人で行っていたのだが、
みな温かい所を探すのに必死だ。

あちこちでそんな声が聞こえ、そっちの方に行ってみると全然温かくない。。。

だがしばらくして、そのうち誰かが、ついに源泉を探し当てた。
源泉は岩が積み上げられた壁のすき間から出ていた。
そこに手を入れてみると、たしかにここだけは確実に温かい。

ここかー!!

僕らは全員そこにおしくら饅頭のように集結して、岩のすき間に手を突っ込んだ。
そして手の先を上手くつかって源泉が自分のほうに流れるように掻きだした。

あったけ~。
温かいことがこんなにもありがたい事か。
これで今日も生き長らえることができそうだ。

僕らはその岩にそれぞれ両手を突っ込み、傍からみるとまるで、岩を抱きしめているかのようなポーズで2時間を過ごした。
それをこれが、ジャパニーズスタイルの温泉の入り方なのかと、ドン引きの顔で眺める白人たち。

いや、そういうわけじゃないんだけど、背に腹は変えられないんだ。

命がけの月見風呂ツアーお値段10000ペソ(20$)なり。

2013年2月11日月曜日

湖水地方の火山

そうそうこれだよ、こーゆうの!
そんな言葉が思わず口に出てしまういい道はいつも突然現れる。

6日間続いた高速生活にお別れをし、テムコという街で2泊した。
そのテムコの先から下道に入った。

下道といっても交通車線が少なくなっただけで以前として交通量は多い。
路肩がない分危険度は上がったかも。
この頃になるとそこそこの傾斜のアップダウンが多く出現するようになってきた。
割と周りが平地に見えるようなとこにも関わらず。

チリは道路作りが上手くないという話を聞いたことがあった。
コペックライフを送っていたときは、特にそんなことを感じることもなかったのだが、
ここにきてその話を思い出さずにはいられない上り下りが続く。

大地の傾斜に忠実に沿って、ただアスファルトを張りました然な道路は自転車に優しくない。
けれど、これまでの道がずっと退屈だっただけに、このアップダウンは僕にとって新鮮でいくらか楽しめて走れていたと思う。
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背の高い林の中の長めの下り坂、その先で道は右に大きくカーブした。
ここで森がひらけた場所に出て、突然視線の先にビジャリカ山が飛び込んできた。
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うぉぉ!っと思わず声があがる。
ビジャリカ山は湖水地方と呼ばれるこのあたりのシンボル的な存在で、
富士山にも似た雪を抱えた綺麗な円錐形の山容がかっこいい。
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道はほとんどいつも正面にビジャリカ山を目がけて延びている。
その間、僕のテンションは上がりっぱなしで早くあの山に近づきたいという一心で自転車を漕いだ。
プコンの街ではこの火山への登山ツアーもあると聞いていた。
今朝まで、プコンに着いたらまずはのんびりしようと思っていたのに、
この頃にはもう早くこの山に登りたい!と気持ちが高揚していた。

程なくして、ビジャリカの街に到着。
街の規模はプコンよりこちらのほうが大きい。
ビジャリカ湖から望むビジャリカ山が絵になる。
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ちなみにビジャリカは村の意味のVILLAと豊富を意味するRICAとを合わせた言葉だと思うのだが
うんうん、まさにその通りと納得する景色の映えだった。
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ここからプコンまでは30kmもないほどの距離。
湖岸沿いを走る道路はいよいよアップダウンがきつくなってきたのだが、
火山を見ながら走っているとあっという間にプコンへと到着してしまった。
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2013年2月9日土曜日

コペックはじめました

さて、リマ経由でサンティアゴに戻った僕は、再びゆっくりと過ごした。
ようやくセントロにも散歩に出かけたし、
宿に泊まっていた人に案内してあげるという名目で結局モールスポーツにも3回も行った 笑
イースター島で窮屈に感じた時間も、近くに愛車がいるだけで安心できる。
これで飽きたらいつでも出発できる。そういう意味で自転車旅行は限りなく気楽だと改めて思う。

そうして数日後、僕はパタゴニアに向けて走りだした。
パタゴニアとは南位40°付近を流れるコロラド川以南のエリアを差す総称。
チリ側を南下する僕はチリ側パタゴニア北部の中心地プコンを目指した。
道中約850kmほど街は続くがこれといって観光の目玉になるようなところはなく、
景色も代わり映えしない。
だから欧州のサイクリストはこの区間バスで飛ばす人も多い。
自走にこだわる僕は、ひたすら高速道路を使って南下。
これがもう苦行だった。
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景色変わんね。

毎日毎日120km以上、多い時は150km以上走ってるのにあまり代わり映えのしない単調な景色が続く。
高速移動を目的につくられているのが高速道路だから、なるべく平坦な真っ直ぐな道を作るのは当然か。

ちょっと森が増えてきたか…?
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で、この辺になると、花粉がすごい。
僕はスギ花粉は大丈夫なんだけど、イネ科の花粉に弱い。
だから日本でも花粉のピークが過ぎた5月頃から一人季節外れの花粉症に苦しんでいた。
どうやらこのあたりもイネ科の植物が多い模様で、涙を流しながらのランとなった。

そして道中、唯一の見所と言ってもいいラハの滝。
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通り道なのでついでに寄っただけだが、こいつは案外よかった。
ゴゴゴっと滝が地面に叩きつける音もなかなか迫力もあったし。この暑い中見る滝は見た目にも涼しい。
聞いた話だと、雨季にはもっと水流が増えて大迫力なんだとか。
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無料で立ち寄れるところだし、穴場スポットです。
お近くをお通りの際はゼヒ。
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そうして今が何日目か記憶も曖昧になるぐらい高速道路をひた走った。
一切高速道路から下りていない。
では道中、どうしていたかと言うと。
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高速道に点在しているガソリンスタンドでキャンプをしていた。
大体、大きな街の入口と出口に売店と軽食を兼ねたガソリンスタンドがあってそこで夜を明かした。
スタンドの店員も慣れた様子で、あそこにテント張っていいよと即答である。
もともとトラックなんかの長距離ドライバーのための休憩スポットでもあるので、
車のエンジン音さえ気にならなければ、かなり快適に過ごせる。

チリにはコペック、テルペル、ペトロブラスというガソリンスタンドが大手のようで
順に業界シェアと設備も良い(個人的な体感です)
だから面白いもので特の大きな街の出入り口はがっちり最大手のコペックが出店しているし、
2番手のテルペル、ペトロブラスは中規模の街や、街も無いようなところにお店があった。
コペックに立ち向かうには、こうして微妙な場所で立ち向かっていくしかないらしい。
最大手コペックの実力は折り紙付きで、Wi-Fiはもちろん、なんとホットシャワーまであった。
ホットシャワーは1$かかるんだけど、ほとんどタダみたいなもの。

s-DSC00807 (83)s-DSC00807 (84)毎日のスケジュールとして
6:00 起床&朝食
7:30 出発
17:00走行終了 テントの許可を取る
21:00夕食&店内で寛ぐ
22:00就寝
といったサイクルで過ごしていた。
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それにコペックはケータイでコペックアプリなるものを出していて、設備を調べれので
それを使って次のシャワー設備のあるコペックまで毎日走っていた。
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もちろんコペックまで辿りつけず、2番手のテルペルで一晩過ごしたこともあったが、
シャワーはないにせよネットも使えたし、水にだって困らなかった。
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切り詰めればほとんどお金を使わず、毎日移動することだって可能だ。
僕はキャンプのお礼に一応何かしらの食事やお菓子を買ったりしていたけど。
それでも生活費は一日1000円以下。
バス代宿代が高いといわれるチリ・アルゼンチンでおいて
自転車移動の価値を見いだせた気がする 笑
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といっても、高速道路生活は本当に退屈でこれ以外に楽しみがないくらい。
楽しみがない中での走行ほど精神的にきつい走行はないものだ。