2013年2月23日土曜日

降り続く雨

オソルノから降りだした雨は、その後、毎日降り続いた。
時折、雨の切れ間があるものの、空は変わらずどんよりとした空が広がる。
この後に予定しているチリ南部のフィヨルド地帯カレテラアウストラルは世界的にも雨が多い地方。
どうせそこで必ず雨に降られるので、小雨程度だったら雨待ちしても仕方ないと走りだすことにした。
もちろんあの事故のこともあるので、無茶な走行はしない。

雨の走行の中到着したプエルト・モン。
DSC10010 (46)_R
高速道路をひたすら伝ってここまで南下してきたが、大きな街はここで最後。
この辺になると、木造の家屋にチリらしいカラーリングの家々が目立つ。
いい意味でも悪い意味でも、奇抜でちょっとダサイ色の組み合わせに思う。
ただこのダサさがチリらしくて僕は好きだ。
そして降水量が多い地域のせいか、褪せた色の壁がなんとも言えない寂しさを醸し出している。
DSC10010 (47)_RDSC10010 (48)_RDSC10010 (50)_R

太平洋の内海に位置するこの街は、アンヘルモと呼ばれる海鮮市場があり、
大型連休のせいで海鮮を楽しめなかったビーニャでの雪辱を期していたが個人的にはかなりの
期待はずれ…。
中南米で見られるメルカドの雰囲気は一切無く、綺麗な建物に区画分けされた店々。
売っている魚のバリエーションも少なく、冷凍モノも目立った。
併設されているレストランはほとんど観光客向けといった様相で、
この街の暮らしの末端が見えてくるようなエッセンスは見出すことが出来ず、写真すら撮らなかった。

それでも、この街では嬉しい再会があった。
去年、ニカラグアのオメテペで会い、コスタリカ、ペルーーで再会を繰り返した
台湾人のリンさんとススムさんのカップル。
自転車で旅していると当然、バックパッカーとの移動ペースは違ってくる。
なのでこうして、何度も逢えるのはとても嬉しい。
彼女たちはこの夏、カナダに出稼ぎに行っていた期間はあるものの、
各国をゆっくりじっくり回っているので、自転車で旅している僕よりもマニアックな場所に行っていたりする。
そんなリンさん、進さんと久々の再会話を楽しみながら、このあたりの名物料理である
貝と肉のごった煮クラントをつつき合った。

二人と、もう少し一緒に居たかったのだが
これから向かうチロエ島から本土へ渡るフェリーが週1本だったので
それを逆算していくと、ここでゆっくりしている場合ではなかった。

プエルトモンから半日走ってチロエ島へと渡るフェリーの渡し場に着いた。
DSC10010 (59)_R
小雨だった空模様が、フェリーの出港時刻ぐらいになると雨脚が強くなってきた。
急に降りだした雨と強風で僕は、デッキでガタガタと震えていた。
と、そこに一人のセニョールが、
“中で待ちなさい、寒いよ”
と僕を自分の車の中に入れてくれた。
わずか30分ほどの後悔でフェリーはチロエ島に到着し、
このまま街まで乗って行く?という彼の親切を感謝とともに断り、走りだした。
この頃にはすっかり雨が上がって、左手には海と空の境界線のない鈍色が視界を覆い尽くしていた。
雨は寒いし、汚れし、危ないし、あんまりいい事がないので嫌いだ。
けれどこんな雨あがりなら、たまには悪くないなと思いました。

雨具を脱いで走りだした僕の横を、プップッとさっきのセニョールが短いクラクションを鳴らし、追い抜いていった。
DSC00001_RDSC10010 (3)_R

2013年2月21日木曜日

紙一重の差

サンティアゴからプコンに戻り、1日休んだあとプエルト・モンへ向けて出発した。
本当は、ここからアルゼンチンへ抜けてシエテ・ラゴスと呼ばれる7つの湖をめぐり
アルゼンチン側の観光地バリローチェを回ってからプエルト・モンへ抜けるコースの予定だった。
ところがプコンに戻った日から天気が崩れだし、あれほどくっきり見えていたビジャリカ山も雨雲にすっかり覆われた。
予報によると、これから本格的に崩れるらしい。
天気が悪いのではせっかくの湖をめぐるルートも楽しめないと思い、ルートを変更し最短ルートでプエルト・モンを目指した。
1日目は来た道を戻り、再び高速道路に復帰、またもやコペックにお世話になった。
しかし、2日目の午後には早速雨雲に捕まった。
オソルノというそこそこの都市の近くまで来ていた。
なので宿もあるのでここで雨宿りするべきか。
たがしかしあと100kmでプエルト・モンだ。
頑張れば今日中に着けないこともない。
どうせ濡れるなら一日で走りきってしまった方がいいのではないか?
そう思いつつ、大方気持ちは一気にプエルト・モンまで走ることに傾いていた。
雨音が響くレインウェアのフードの外からやけにサイレンの音が聞こえ
急にパトカーがたくさん僕を追い越していった。
なんだろうと思っていたら、すぐに分かった。
見通しの良い直線道路、
そこに一台の車が逆さになって潰れていた。
この道路でどう運転したらそうなるのか全く想像がつかないが派手な事故だったようだ。
周囲は警察によって交通規制されている。
だが、近くに停まっている救急車はランプが消えてただ止まっていた。
まさか。
そう思いながら事故現場を通り抜ける。
横目でチラリと現場に目をやると
タンカには人の影のような輪郭の盛り上がりがあり、その上には顔まで全身毛布がかけられていた。
この車の運転手だということは明らかだった。
急に腹の底から恐怖がこみ上げてきた。
この車は数十分前に僕を追い越していった車であり、タイミングが少しズレてたら、
あるいはさっき僕がガソリンスタンドで休憩していなかったら…

僕はさっきまでの気持ちは消え失せ、すぐにオソルノの街で宿を取った。

他人のフリ見て我が身を…
というにはあまりにも代償が大きすぎるが
僕も一歩判断を間違えばいつだってああなる可能性はあるのだ。
そしてまさに今日、その判断を誤りかけた。
この日はずっと恐怖心に支配されていた。
窓の外では雨脚が一層強まり、バタバタと屋根を叩いている。

2013年2月19日火曜日

いざないの言葉

『チリには美しく終わりのない森、湖、火山やフィヨルドの迷宮、氷河や島が点在している。
国土の幅は最も広い場所でも200kmを超えない。
だから、朝、海に飛び込んで、昼には雪をかぶった山の頂上で昼食をとることもできるんだ』

数年前、アンデスに佇むアルパカの表紙が気に入って手に取ったとある雑誌。
その中にこの一節があった。
端的ながら、チリの国土をうまく表現している冗談めいたこの一節は僕のお気に入りだった。
当時の僕は、このフレーズから、対岸というには果てしなく遠い太平洋の向こう側に羨望に近い旅情を抱いたものだ。
話はいまに変わって。
学生時代に知り合った彼女に会いに僕はサンティアゴに戻った。
彼女の自宅は、僕がサンティアゴで滞在していたホテルの僅か数ブロック隣だった。
こんなにも近くにいながら、すれ違うことなく過ぎていったサンティアゴでの日々と、
閃きのように彼女のことを思い出し、この街に舞い戻ったことを、偶然はいつだって紙一重だなと思いつつ、家の扉をノックした。

7年?8年ぶりに会う彼女は当時の面影はそのままで、けれども、きっと素敵な時間を過ごしてきたのだろうと、
一目で感じる大人の女性になっていた。

互いの空白の時間を埋める話に花が咲く。
そんな中、彼女は先の雑誌の製作に関わっていたことを知り、さらには冒頭の言葉の持ち主が、
彼女の夫であるマウさんだということを知って驚いた。
夕食時、近くに住む彼女の友人が遊びに来た。
その彼もまた先日立ち寄った港町で知り合った人だったので、これもまた驚いた。
突然、色々な点が線に繋がる瞬間がまとめてやってきた。
雑誌を手に取ったときから連面と続く旅への思いがこの出会いを結実させたのか。
それとも。
南から吹き抜けるパタゴニアの風が彼女たちに会わせるために僕をサンティアゴに押し戻したのか。
南米を走ってきたご褒美のような
素晴らしい瞬間に巡りあうことができた。
Graciaaaaas!!!!

2013年2月16日土曜日

あの日が導く旅

プコンに着く数日前の事。
話はイースター島での前置きから始まる。

イースター島からチリのサンティアゴに戻るときリマに一泊した。
チリ領のイースター島であるが、実はリマ経由の方が断然安い。
乗り換えで拘束時間は長くなってしまうが、半額近いこのプライスは魅力的だった。

それに、リマは2週間滞在した勝手知ったる街。
居心地の良い宿もあるので正直イースター島より楽しみだった。

往路こそリマに降りる時間はなかったが、復路でリマに降りた。

空港を出た途端にやって来るタクシーの客引き、クラクションが飛び交う喧騒、
思わず顔をしかめてしまうキツイ匂いの立ち込める裏路地。
隣国チリとは変わる世界に懐かしさとワクワクを感じていた。

宿も変わらず居心地がよく。
そこに居合わせた旅行者と遅くまで馬鹿げた話をした。

話は更に遡る。

学生時代の僕は東京の成城にある某映画撮影所でアルバイトをしていた。

なぜここでアルバイトをしようと思ったのかの記憶は殆ど無い。
けれど、大学から5分、自宅からも15分で着くこの距離は
僕にとってもバイト先にとっても都合のいいものだった。
出席確認だけ学校に行ってすぐバイト先に戻ったりと、
バイトにどっぷり漬かった生活が2年ほど続いた。

お給料は、本当に雀の涙ほどしかもらえなかったのだが
長いと1週間、ほとんど外界との接触がなかったりしたので
自然と貯まっていった。

そんな折、所内に新スタジオが開設し、新しいアルバイトの一斉募集があった。

そこにやってきたアルバイトの中に彼女はいた。
あまり聞かない珍しい苗字の頭をとって彼女はW子と呼ばれていた。
 ほとんどが年上の人ばかりの職場で、W子は珍しく僕と同級生。

妙に親近感を覚えて、僕は勝手に先輩風を得意げに吹かせていたと思う。

けれど、半年ぐらいたって、W子がどこかへ旅に出かけたと噂に聞いた。
 どこに行ったかは誰も分からない。
“ふうん、辞めちゃったんだ”と少し寂しい思いをしたものだ。

それから数年たった大学4年の夏、すでに就職先の決まっていた僕は“最後の冒険”と決めて
自転車を抱えてアメリカ横断の旅に出た。

ここで見事に自転車旅にハマッてしまう。

最後の冒険になるはずだった僕の旅はサンタモニカにビーチの向こうに続いていった。

ようやく話を今に戻すと。

僕はチリのある地方都市にいた。

その日は雨で、走るのを止めて休養日にした。
連日の激走がたたって足を痛めたのもあり骨休めと思って。

窓の外はシトシトと雨粒が降っている。

壊れた装備の修理やお世話になった人たちへの手紙など
やることは山ほどあるのだが
この日の僕はただただぼーっとベッドの上で時を過ごした。

そんな時、頭の中で最近の近況を反芻していた。

本当に道が変わり映えしなくてつまんないな、とか
サンティアゴの韓国料理また食べたいな、とか。
イースター島帰りのリマのことも思い返す。

楽しかったなぁ、あ、そういえばそこで出会ったあの人が僕と同い年で◯◯大って言ってたなぁ。
W子知ってるかな~。

まどろみに浸っている中で自然と記憶の奥底からW子の名前が蘇ってきた。

ちょうどパソコンを開いていたのでインターネットで探してみた。
珍しい名前と苗字だったため、すぐに見つかった。

たぶんこれがあの子だろう。

はは、いきなり見つかっちゃった。

それにしてもピンポイントで見つかるなんていまどきのインターネットってある意味怖い。

元気かな?いま何してんのかな?と思い彼女のページをクリックしてみて驚いた。

そこには“現在南米チリに移住”と書いてあった。

な、なにぃーー!!

突然すぎてびっくりした。

W子が近くにいる?!

驚きつつも、メッセージを送るとすぐに返信がきた。
もっとも彼女は僕のことをほとんどすっかり忘れかけていたそうだったが。。。

今はチリ人の旦那さんと結婚し、サンティアゴで暮らしているそうだ。

彼女と旦那さんは、彼女が撮影所を辞めて出かけたあの旅の途中によったイースター島で出会ったのだという。

驚きすぎて言葉が出ない。

本当に面白い世界だ。

簡単に“世界は狭いね”とは言いたくない。

自転車で走っていると、十分に世界は広く、曲がりくねっていて、デコボコだらけだ。
むしろ、走れば走るほどに世界は広がっていくように感じる。

地図や写真でしか見たことがない地球を自分の五感に刻み込んでゆく行為。
目を疑うような絶景や華やかな街なんてほんのひとにぎりでしかない。

大半が、恐ろしく地味でなんてことのない風景の連続だ。

でもそんな中に綺羅星のように突如不思議な出会いがやってくる。

これまでもたくさんの綺羅星に出会えたし、これからにもすごく期待をしているからこそ僕は自転車に乗っているのだろう。

縁ってやっぱり不思議だなと思う。

あの撮影所で貯めた僅かなお金を握りしめて旅立った二人。

旅に出たことで、これまで歩いてきた道からうっかり外れ、
その後の様々な紆余曲折を経て、またこうやって再会が出来るのだから。

お互いどんな年月を過ごしてきたんだろうね。

とゆうわけで!W子に会いにここプコンからサンティアゴ戻ることになりました。
さすがにバスっす 笑