2013年5月15日水曜日

夜半の雷

パラナ川を渡ってパラグアイのエンカルナシオンへ。
アルゼンチンとパラグアイを分かつ大河パラナ川。
支流の一つであるイグアス川は、世界3大瀑布の一つイグアスの滝に注ぐ。
パラグアイ第三の都市、ということだがこれといって観光の目玉はない。
それでも旅行者がこぞってこの街を訪れるのは、ブラジル入国のためのVISAが簡単に取れるから。
ブラジルと国境すら接していないこの街にブラジル領事館があることは、さして誰も気にしていない。

パタゴニアを離れて一週間。
19時には沈んでしまう夕日や、ねっとりとした質感を伴う湿り気にもやっと慣れてきた。
明日、順調にブラジルVISAが発給されれば、そのまま走り出す予定。

パラナ川に沈む夕日の手前にはどんよりとした雲が広がっている。
天気予報は今晩からの雨を伝えている。

予報通り、夜になると雨が降った。
雨とともに凄まじい雷が轟き落ちに落ちた。
それはもう雨、というより雷が降っているといったほうがいい程だ。

夜半過ぎ、雨で湿度を増した寝苦しさで目が覚める。
天井に取り付けられたファンのスイッチを入れると、湿度は幾分か和らいだ。

外はまだ雷がゴゴゴゴ…と唸っている。
カレテラアウストラルでは一ヶ月雨に降られ続けたけれど、雷の音を聞くことは皆無だった。
土地が変われば、雨の降り方も変わる。
どういうわけか、明日からの走行が楽しみになってきた。
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2013年5月13日月曜日

最後のわがまま

ブエノスアイレスは雨だった。
空港を出ると、ちょうど日本の梅雨を思い出させる雨の匂いがあたりに立ち込めていた。

このぐずついた天気のせいかは分からないが、どうもブエノスアイレスは好きになれなかった。

かつて世界有数の経済大国であったアルゼンチンの首都。
古めかしいヨーロッパ風の建築が多い街並みは“南米のパリ”とも称される。
パリには行ったことがないので、僕にはそうなのかどうか分からないが、
たぶんパリはもっと洗練されているだろう。
それよりも、どこかメキシコシティに似た重厚な雰囲気を感じた。
しかし、街全体に覆いかぶさる重苦しい空気が、街歩きをする度に僕をどんよりとした気持ちにさせた。
メキシコシティに似ていいたとしても、待ち行く人はどこか気取っていて、
あの何が起こるか分からないワクワク感はここにはなかった。

ここはパリにもなれない、メキシコシティにもなれない何だか中途半端な街。
率直な印象として、かつての栄華にすがる街、そんな風に感じた。

そんなブエノスアイレスでは観光を手早く済まし、黄熱病の予防接種(ここでは無料で打てるのだ)などの
事務作業を終えて、そそくさと夜行バスに乗ってポサーダスの街へ移動した。

この街に注ぐパラナ河の向こうはパラグアイだ。

カーテンから差し込む光で目が覚めた。
窓の外に目をやると、朝日に染められたこがね色の草の穂先が寝ぼけ眼に堪える。
目を凝らしてよく見ると、実際はずいぶんと青々としている。
ガラスで隔てられているものの、どこからか、ねっとりとした亜熱帯の匂いが入ってくる。
世界が変わった。

と思った。

つい数日前まで大陸のはしっ子にいたというのに、
飛行機やバスに乗るとこうも劇的に世界が巡りめぐっていくとは。

そのスピード感に改めて驚く。
どっちがいいってことはないのだけれど、この瞬間的な変化には
長いこと自転車で旅行してきた僕にはちょっと馴染みが薄い。
毎日少しずつの変化を感じながら、気がつくと風景が、気候が、建物が変わっているといった方が
性に合う。
そんなことをぼんやりと考えている合間に、太陽はぐいぐい上った。
この20ヵ月ほとんど進路を南にとってきたから、朝日といえば進行方向左から上るものだった。

北上するバスの右手から差す朝日に抗いがたい違和感を覚える。
やがてバスはポサーダスのバスターミナルへと到着した。

パタゴニアも終わりに差し掛かった頃、大陸縦断を目前にしてずっと考えていたことがあった。
大陸の先に近づくにつれて感じる、南米の終わりを予感させる寂しさ。
すべての道が一本道に収斂されて、自由が少しずつ失われていく感覚。
最果てのウシュアイアは目的の土地ではあったけれど、そんなことも感じつつ目指した土地だった。

ウシュアイアで南米を終えていいのだろうか?

それにパタゴニア地方は南米にあって、全く別世界のようなところ。
このまま綺麗に南米を終わらせるよりも、大陸の端っこにこだわらなくても、
自分の好きなところを走ってこの地を後にしたいと思った。
僕の頭の中にある南米の、ラテンアメリカの原風景とは、じっとりしていて暑くて、ギラギラしたところ。
もしくはアンデスの厳しくも優しい懐の深さ。
イロイロ考え今後のルートを踏まえた上で、前者を最後に走ろうということでパラグアイにやってきたのだ。

うだるような暑さのなか、汗を滴らせ走り、立ち寄った商店でキンキンに冷えたコーラをぐびりと飲み干し、
現地人との片言ながらのコミュニケーションを楽しみたい。
大陸の終わりが端っこや海じゃなくてもいい、自分が満足出来ればそれでいいのだ。
カルタヘナ~ウシュアイアまでは完全自走にこだわった南米大陸。
一つ目標が達成出来たお陰で、これからは端っこや自走にこだわらず、
もっと自由に旅行が出来る、そんな気がする。
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2013年5月7日火曜日

北と南の端っこで

ウシュアイアの脱出にはバスを利用した。
次の訪問先はアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。
ウシュアイアからはシーズンのこの時期、一日数本の割合で直行の飛行機も出ていて、
バスの料金とさほど変わらぬ値段で乗れるらしい。

だが預け荷物の許容重量制限が極端に低いアルゼンチン航空では
多額の追加料金が取られる恐れが有ること、
また雑な扱いで自転車が破損する可能性があること、等々の問題でバスを使った。

方や4時間弱、方や最短40時間という途方も無い乗車時間の差。

ただでさえ、乗り物酔いがひどい僕に40時間という時間は拷問、それどころか死刑に近い。
同じくウシュアイアを脱出するモトミくんもそれは同じで、
まずはカラファテまで戻ってそこから、
バリローチェなり刻んでブエノスアイレスに向かおう、ということになった。

ところがウシュアイアのバス会社は決まって自転車を乗せれないという。
毎年、ここまで走ってくるチャリダーなんて星の数ほどいるのに、
皆どうやって脱出してるんだ?とたずねたくなる。
バス会社の係に食い下がると、仕方がないといった表情で法外な値段を提示してくる。
どのくらいの法外さかというと、自転車の追加料金が乗車賃の2倍ということだった。
なんだよそれ?
バス会社がチャリダーをカモにしてボッタクリをしてるんじゃないかと言いたくなる。
最果て詐欺である。

探しまわってチリのバス会社が適正な値段で自転車を積み込んでくれるということだったので
チリ側を北上していくことにした。
自転車でずっと走ってきた道をバスで逆走するのも変な気分だ。

自転車を積んだバスはフエゴ島を脱出するのだけで半日以上かかった。
目一杯走れば数時間の距離だが、チリ・アルゼンチンそれぞれのイミグレを通過しなけれなならなく、
時間がかかった。

それにしても目の前に広がるのは広大な土地に広がる地平線。
バスの窓から眺めるそれは、恐ろしいほどまでに退屈で、
高速で回転するタイヤは席に座る僕に一切の振動を伝えず、あっという間に眠りに落ちた。

そうして丸一日かけて南米大陸の終点プンタアレナスに戻ってきた。
しかしアルゼンチンのゴールデンウィークとも言える大型連休に重なってしまい、
カラファテ行きのバスは翌日分までフル。
おまけに宿もほとんどがいっぱいだった。

やっと探し当てた宿で2日間を過ごすことに。
一度、訪れた街なのでこれといってやることもなく、
お馴染みのスーパーユニマークに行ったり、その隣の中華レストランの食べ放題に行ったりした。
とはいえ、2日目の夜には宿のオーナーから、チリの郷土料理海鮮のごった煮であるクラントが
宿泊客たちに振舞われ、それを囲んだ食卓はなかなかに楽しいものであった。

プンタアレナスといえば、僕が初めて自転車で訪れた時、思い返したことがあった。

それはボリビアを抜けてチリに入って、最初の街サンペドロ・デ・アタカマでのこと。
僕が投宿した街外れの宿オスタルマムートでは宿に焚き火台があって、毎晩焚き火が焚かれた。
焚き火には自然と人が集まり、僕もゆらゆらと揺れる炎を眺めていた。

その中に従業員の男もいた。
名前は忘れてしまったが、彼も毎晩焚き火の前にやってきて音楽講義が始まる。
僕は分かったような分からないような様子でウンウンと聞いた。

彼はプンタアレナス出身だと言っていた。
チリの北側であるアタカマに南の外れのアレナスから、どうしてわざわざ?
そう思って、理由を聞いた気がするがこれまた忘れてしまった。
ただ、とにかく彼がアレナス出身だということは、記憶に残っていたので
初めてアレナスにやってきたときは彼の顔が思い浮かんだものだった。

そうして再び復路でここを訪ねている今。
2日間過ごした街を後にし、僕らはプエルトナタレス経由カラファテ行きのバスに乗り込んだ。

出発時刻が近づき徐々に席も埋まってくる。
朝、早いのもあって僕らは席についた早々、眠りの体制に入っていた。

ギュッとした痛みが突然頭に走った。

痛ったー。

寝耳に水をかけられたように飛び起きると、後ろの男が、ごめんと謝ってきた。
どうやら席に座ろうとして、前の座席に手をかけた際に僕の髪の毛を引っ張ってしまったらしい。

わざとじゃないなら、仕方ないけど、それにしても痛かったなぁ。

再び眠りにつこうと首を窓に持たれかけると、さっきの男が後ろから話しかけてきた。
今度はなんだよ?

『Do you remember me?』

えっ?

驚いたことに、その男はアタカマのホステルのあの従業員の男だった。

いやはやびっくり。
まさか南北に4000kmの国土を持つチリで北の入り口と南の出口で同じ男に出会うとは。
なんでもアレナスに里帰りしていて、
これからパイネ公園で仕事をするためにナタレスまで行くところだそうだ。

チリのように南北に長い国の場合、
こうして長い距離を転々することは珍しくもないのかもしれない。

しかし、お互いが同じタイミングで同じバスに、それも前と後ろの席で同席するという邂逅は
僕にとっては、驚き以外の何物でもない。

ウシュアイアの看板での一件や、サヌキくんとのサンティアゴでの別れのときに感じた
箱庭的感覚をやはり今回も強く感じざるを得ない。

そんな彼をナタレスで見送った後、僕らのバスはカラファテへとやってきた。
ここで次はバリローチェ行きのバスを探した。

『えーっとバリローチェ行きですと30時間かかりますね』

へ?30時間も?じゃあブエノスアイレスは?

『36時間ですねー』

なんで?それだとウシュアイアからとほとんど時間が変わらないじゃん?
いったいどんなルートなの?

『リオ・ガジェゴス(フエゴ島のすぐ北の街)経由です』

そんな…、せっかくちまちま北上してきたのに…
また南下するんすか…

聞くと、このまま北上ルートは道が悪いため、
道の良いリオ・ガジェゴス経由がアルゼンチン側は一般的らしい。

バスで小刻み作戦、失敗…

いや、そんなことない。
これは、きっと従業員の彼に会うためだったんだ。
うんうん、そういうことにしておこう。
きっとそうだ。
じゃないと、ここまでバスに乗ってきた十数時間が、お金が…


僕『ま、まぁ、あれだな、もうバスに乗るの無理だよね?きついよね?
もう、ここから飛行機乗っちゃうしかないよね?』

モトミくん「そ、そぉっすね、乗りましょうかね…。」

ルート調べは計画的に。

2013年5月4日土曜日

最果てのご褒美

ラパタイアを後にした僕は、ウシュアイアの街へと戻り、
街外れの丘にある名物日本人宿・上野山荘へと向かった。
シーズンのこの時期、満室だったら最後が締まらないなぁと思っていたのだが、僕が着いたその日は
南極行きの船を待つ夫婦と、ここから北上を始めるチャリダーの3人しかいなかった。

どうやら、この週から始まるリオのカーニバルと雨季で鏡張り真っ盛りの新月のウユニという
南米の2大メインイベントと重なっていた模様。

ウシュアイアは“世界最南端”といった称号を除けば、これといった観光ポイントがあるわけでもなく。
ここから発着する南極行の船の船待ちの街といったかんじだ。
出発当初、お金に余裕があれば南米のボーナスで南極を、
と思っていたが年々値上がりする南極ツアーの今季最安値は4000$ということで、
急激に円安の進む為替相場もあってお流れに。
街から離れたところには、強い西風に流されつつ生育した“曲がった木”があるそうだが、
こちらにも大して興味が湧かず。

僕が到着した翌日にはモトミくんも南米縦断を終え、上野山荘に転がり込んできて、
時を同じくして遠くモロッコに渡ったサヌキくんも、
時最終地のマラケシュに着いたというニュースが飛び込んできた。
みんな、ここいらで一段落の様子。そして皆無事でよかった。

僕らはというと上野山荘名物の五右衛門風呂で旅の垢を落とし、
コルデロ(羊)のアサードをしたりと、派手さはないけれどのんびりとささやかに最果ての地を楽しんだ。

ここで、ひとつやり残したことがあった。

ウシュアイアの海に面したところにある“Fin Del Mundo”と書かれた看板。
多くのサイクリストたちがここで記念写真を撮っている有名ポイントなのだが
ウシュアイアに到着した日はどういうわけか見落としていて(看板を探すことすら忘れていた)
その場所をモトミくんが見つけてくれていた。

せっかくなので写真を撮りに行こうと、僕らはわざわざフルパッキングにした自転車を持って看板へと向かった。
有名ポイントだけあって、そこで記念写真を取ろうとするツーリストでいっぱいだ。
順番待ちがあるわけではないけれど、写真を撮るタイミングを脇で待っていると
モトミくんが何やら誰かと話をしている、どうやらチリ側パタゴニアで会ったサイクリストらしい。
非常に風の強い日に会っていたそうで、無事ゴールした彼の姿を見てモトミくんも安堵していた。

しばらくしてようやく僕らの番がやってきてきた。
記念写真のために上野山荘の宿泊客から借りてきた三脚をセットする。

よし、この角度でオーケー、あとはタイマーをセットして…
おいおい、後ろに誰かいるよ…、どいてくれよな~。
ってアレ!?

カメラのモニターに写った影の持ち主は、イギリス人サイクリストのアランだった。

アラン!!そう叫ぶと、その後ろから次々に見慣れた顔が。
マティアスにアンドレア、それにレネだった。

アランとはアルゼンチン中部のリベルタドーレスから、他の三人とはカレテラアウストラル終盤から
たびたび再会を繰り返していた。

さすがに僕がカラファテで半月以上停滞していたので、もう会えないと思っていた。
聞けば、彼らは彼らで南極行きの船をずっと待っていたらしい。
その南極行の船の出港はちょうど今日ということで港まで出てきたそう。
なんてタイミングだ。

彼らとは特にいつもタイミングを合わせているわけでもないのに、示し合わせたように再会を繰り返す。
街一番のスーパーに買物に行った時、ネットを繋ぎにカフェに寄った時、ふらっと散歩に出かけたメインストリートの街角で…
国籍も旅のスタイルも歳だってバラバラなのに、自転車という唯一の共通項だけで、
こうも強い結びつきに導かれる。
それにチャリダーっていう人種は、こんなに行動のチョイスが重なるものなのかと笑えてくる。

僕らは、“道”を拠り所とする生き物だ。
どんなに離れていても、道が良かろうと悪かろうと、道を辿っていけばいつかまた巡り会える、
そんな観念があるような気がする。
この一点において、自転車は出会いを導く何よりも優れた乗り物だ。
だから、再会は最初驚くけれど、すぐに何事もなかったかのように打ち解け、お互い走ってきた道の話になる。
俺の時はものすごい追い風で40km出たよとか、一輪車の彼女には会った?とか。

そしてこう何度も再会を繰り返すとお互いのことを分かるようになってきて
冗談が言えるのも嬉しい。

アンドレアが言う。
『ヨーロッパに行くって言ってたよね?私たちはまだ旅を続けるからスイスを案内できなくてごめんね。
でも1つだけアドバイスをするわ。
スイスに入ったらペースダウンしなさい』

「何故?」僕がたずねる。

『何故って、あなた一日で走り切っちゃうからよ!』
そう言ってゲラゲラ笑う。

中米、アンデス、カレテラアウストラル…。
時期も、場所もまったく違う所で会った仲間がこうして一同に集結するとは
その当時思いもよらなかったよな。

ウシュアイアの街自体はツーリスティックで何の面白みもない街だけど、
それぞれの道を辿って、ここまでやってきたんだなぁ。

そう、僕らはきっと、この街にいる誰よりもこの大陸の広さを知っているのだ。

最果てに待っていた思わぬ再会は、何よりも嬉しいご褒美だった。
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