2011年9月24日土曜日

ペインテッド砂漠超え

ここペイジでのアンテロープキャニオン観光を以ってブライスキャニオンから
続いたグランドサークル巡りは終了。
いよいよメキシコへ向かって進路を南にとる。
ただし、このペイジの街、来る時もしんどい思いで到着したように
脱出するのも一苦労。
約200km南のフラッグスタッフまで街らしい街はない。
その間にはペインテッド砂漠と呼ばれる色を塗ったような砂漠地帯が広がっている。
前日に行動食・水を準備しておき夜明けと共にテントを畳んで出発。
それでも快適に走れるのは1時間~2時間といったところですぐ暑さにやられる。
傾斜もきつくはないが、ながくだらだらと続くのでなかなかスピードもあがらない。
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しかし、このあたり、本当に何もない。
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時折、掘っ立て小屋が道端にあってそこでナバホ族が装飾品やラグなどを販売しているが
食料や水を売っているところは皆無。
本当にこの辺でどうやって生活しているのだろうと思ってしまう。
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現在使われなくなった小屋の日陰にて休憩。
暑すぎて、このままここでしばらく休みたいが、休んでいてもジリジリと体力は奪われ水は減っていく一方だし
なによりも自分で動かなければ目的地にはたどり着けないのが、自転車旅のツライところであり面白いところ。
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気合を入れて日向に飛び出し、漕ぎ出す。

たまに見える集落では、犬が放し飼いにしてあってやたら吠えてくる。
吠えてくるだけならよいのだが、彼ら立派な番犬意識の基、僕を追いかけてくる。
噛まれたらひとたまりもないので僕はペースをあげて逃げる。
が、フル装備の自転車で出せるスピードというものはたかが知れていて、四足走行の犬はそれを上回る速度であっという間に距離を詰めてくる。
石田ゆうすけさんは、こんなときブレーキをキュッとかけて笑顔でヨーシヨシと犬を撫でる“ムツゴロウ作戦”で敵の戦意を削いだというが
猛然と迫ってくる犬を目の当たりにして、僕にブレーキをかける勇気はない。
ので、追いつかれそうになったときの僕の作戦は“大声作戦”。
あと3m、2m、1m…と追いつかれる瞬間に『あ”っ!!』と言葉にならない声を腹の底からだす。
これが効果てきめんでほとんどの犬が一瞬怯む。その隙に逃げるのだ。
200mも敷地から離れれば、犬も追走をやめるので、一瞬といえどたじろがせることができればこちらの勝利。
毎回犬に追われる度こんなことをしているが、もっと良い方法はないものだろうか…

こんなかんじで犬とも戦っているとほんとバテバテ。
道行く先に地図に載っていないストアが忽然と現れる。
天の助け!!
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陳腐すぎる表現だけどまさにオアシス。
品揃えも立派でここで少々休憩。
再び荒野を駆る。
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明らかに色が変わっていて分かりやすいペインテッド砂漠。

グランドキャニオンへ抜ける分岐のところにストアがあってキャンプ場が併設されていたので本日はここで走行終了。
キャンプ場といっても、ただ単に裏庭にテーブルセットを置いただけの簡素なものだった。
客は週末というのに僕一人。
まぁここでキャンプするならグランドキャニオンでキャンプするよなぁ。
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2011年9月22日木曜日

アリゾナ北部観光

暑さで干からびそうになりながら二日間走りアリゾナ州中北部・ペイジの街に到着した。
走ってきたアリゾナ北部は僕の走るルートの中でも特にド田舎地帯で
ハリケーンから数えて約250kmの中で補給ポイントは4箇所しかなかった。
おまけに、この炎天下なので体力の消耗が恐ろしく早い。
通算10回目くらいのアリゾナ入り

僕がとれる方法はただ一つ。
早起きしてひたすら走るということだけだった。
最も、街と街が離れすぎているので早起きしないと辿りつけないというのもあるが。

出発前に氷を手に入れ、タオルで包んで首に巻いて走るも一時間もしないうちに溶けてなくなってしまい
肝心の暑くなってからは全く役立たずだった。

しかもザイオンから放出した高度を再び登り直すものだからスピードもなかなか出ない。

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そんなこんなで、ひいこらいいながらついたペイジ。
この街にはホステルがあるという噂を聞いていたのだが、訪ねてみると残念なことにもぬけの殻であった。
仕方なしに近くのモーテルをあたってみるもどこも80$以上と手が出せず、街外れのキャンプ場を教えてもらいそこに向かった。
このクソ暑い中、日晒しにされてキャンプをする気にはなかなかなれなかったが、
意外なことに紹介してもらったキャンプ場は快適そのものだった。
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それぞれのサイトに水場・電源があり、心配していた日差しも各サイトに一つ木が植えてあって問題なかった。
ただし、指定された僕のサイトにだけ、なぜかテーブルセットがなかった。
あたりをキョロキョロ見ると両サイドのサイトがそれぞれ、テーブルを連結させて使っていた。
『おのれ、犯人はどっちじゃー!!』
と怒り心頭になったが、どちらもがっつりものが載った状態で持ち主はいなかったので
やり場のない怒りをパワーに変えて一つ挟んだ向こうの空きサイトにあったテーブルをズルズルと引っ張ってきた。

日陰にテーブルを設置したら、あとはテーブルの上にゴロリ。
いい感じに風が抜けていって、灼熱の中走ってきた体をリラックスさせてくれた。
ただ、このいい風は雨雲も運んできて夕方になると本降りにはならなかったもののゴロゴロと雷を鳴らしていた。

早々に就寝した翌日、朝6時半に起きて行動開始。
この炎天下、観光も涼しいうちにしておかないと、ぶっ倒れかねない。
おあつらえ向きなことに、これから訪れる2つの観光ポイントはともに午前中~正午が見ごろ。
午後は前日と同じく、テーブルの上で昼寝を決め込むべく出発。

まずはホースシューベンドへ。
ここはその名の通り、馬の蹄の形にコロラド川が大きく湾曲しているポイントである。
街外れと聞いいていたが案外遠く、ダラダラと続くのぼりを10kmほど行ったところに入り口があった。
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自転車を停めて、15分ほどあるく。
足元は完全に砂漠で粒子の細かい砂の上を歩くと砂がズリッと滑るもんだからなかなか歩きづらい。
で、到着しました、ホースシューベンド。
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おお、すごい。
きれいに湾曲してる。

これが人の手でなく、自然によって作られたものだとは…
一体どれだけの時間をかけてこの曲線は作り出されたのだろう。
 ちなみにあたりは手すりもない絶壁。
上の写真もそぉーっとカメラを持つ手を伸ばして撮りました。

さて、日もだいぶ高くなって参りました。
次行ってみましよう。

本日のメイン・アンテロープキャニオンです!
アンテロープはキャニオンはパウエル湖と並ぶ、ペイジ観光の目玉で街からツアーも多く出ている。
このツアーに乗っかれば手っ取り早いのだが、現地まで直接行けば安くあげることができると聞いていたので、せっかくなので自転車で行ってみた。
遠くに見える火力発電所
火力発電所の手前にアンテロープキャニオンのゲートがあった。
道路を挟んでアッパーキャニオンとロウワーキャニオンに分かれていて僕は定番のアッパーキャニオンのツアーに申し込んだ。
値段を聞いてびっくり。値上がりして入場料とツアー代計35$ほどかかった。
街からでるツアーと1~2$しか価格差がなかったので、少しがっくり。

気を持ちなおしてツアー車に乗り込み未舗装のダートを進む。
ツアー車といってもピックアップトラックの荷台に簡単な座席をつけただけのものであって激しく揺れる。
ときには体が浮くほどのスピードで飛ばすトラックだったが、これはおそらく揺れや浮くことではしゃぐ我々観光客への“サービス”と思われる。 
まもなく入り口到着。
岩の切れ間にガイドに引き連れられ入っていく。

切れ間の中には

いきなり綺麗な岩肌をした地層が現れた。

すぐ外はあんなにごつごつした岩肌だったのに。

奥に進んでみる。


なにこれ?すごっ!

狭い岩の隙間をかいくぐって日光が地面まで届いている。

ものすごく幻想的な光景。

このアンテロープキャニオンは谷間を鉄砲水と風によって削られた地層である。
谷底はお昼前後の短い間にしか日光は届かない。
そのため、暑さとは無縁で涼しい空気があたりには立ち込めていた。
触れてみると、ひんやりするとともに、滑らかでしまった手触り。
どんだけ天然のやすりをかけたらこの手触りを作りだせるのでしょう。

このアッパーキャニオンそれほど長くは続かず、150mほど歩くと再び岩場に出た。
出口は入り口同様にとても狭小でなるほどこの狭いところに鉄砲水が突っ込んだら岩も削れちゃうもんなのかなと少し納得。

ここ、たぶん一人で来てたら大声出して歓喜しちゃってたと思いますが、
今回はたくさんの欧米人がいたので自粛。

ここにツアーでしかいけないなんてあんまりだ。
でも、行く価値は有り。おすすめです。

帰りは再び激揺れトラックに乗り込みダートを戻る。
時刻はまだ1時前。

随分濃い午前中だったなぁ。

午後はWalmartで食材を買い込んだあと、予定通りお昼寝タイム。

うーむ、贅沢だ。

2011年9月20日火曜日

自転車旅再開と灼熱地獄

両親が帰った後、僕はホテルを変えてラスベガスにもう一泊した。
ラスベガスのホテルはカジノでお金を落としてもらうために平日はホテル代が安い。
といっても泊まっていたPlanet Hollywoodのホテルは今の僕にとって目玉が飛び出るような高級ホテルなので、一人になったので安いホテルに移ることにした。
ということでHootersへ.。
これでもかなり立派なのだが、お値段\3000くらい。
外は灼熱なので冷房の効いたホテルで溜まっていたブログを書いて過ごした(それでも全く追いついてませんが…)

翌日、自転車旅再開のためにSt・Georgeへと戻る。
前のブログで紹介したアリゾナの岩壁地帯をここ数日で3度目の通過となった。

因縁のレンタカー屋に車を返却して久々に自転車に跨る。
今後のルートを考えると、今日中にHurricaneまで戻っておくのがベターだ。
ペダリングは軽かったが、時刻は午後3時。
照り付ける日差しがジリジリと僕を焦がす。
ここ数日、空調の効いた空間にいたのがほとんどだったので久々に浴びる日光は強烈だった。
東に進んでいたので直接正面で日差しを受けることはなかったが、それでもものすごい勢いで僕の体力を奪っていく。

日差しを“背負っている”そんな感覚だった。

一度きた道なので補給ポイントも頭に入っていたのにも関わらず、バテバテだった。

わずか40km程度の道程がえらくきつかったが、なんとかHurricaneに到着し、モーテルin。

ほんの数日であっという間に体が日光を受け付けない体になっていたことに、この先への不安が募る。

この先は、インターステートから離れた地域に入り、街の間隔も開く。
さらに先はナバホ自治区に入る。
ナバホ自治区は補給箇所も非常に少ないので自分の中で真夏のナバホ自治区がアメリカで一番の難所と考えていた。

こんな体力が落ちた状態で、大丈夫かな?と思いつつも走るしかないので涼しいうちに距離を稼ぐために、この日はさっさと床についた。

2011年9月19日月曜日

レンタカーで楽々観光

さて、ラスベガスの日々は自転車旅から離れたサイドトリップなので
写真で簡単に振り返っていこうと思います。

決して手抜きではありませぬ。

苦労して手に入れたレンタカーで一路南下。
途中アリゾナを少ーしだけかすめてネバダに入る。

このたかだか20~30マイル程度のアリゾナ州だが見どころは充分。
ちょうどコロラドプレートの端っこを下っていくため、
道路は岩壁をすり抜けるように走っていて迫力満点。

下手な観光地をまわるより、ここをドライブした方が楽しめると思う。

ここを抜けるとネバダに入る。

面白いのはネバダに入った途端にカジノが登場する。
それも本当に唐突にミニラスベガスのような街が現れるのだ。
これは北からネバダに入っても、南のカリフォルニアから入ってもそう。
不毛の大地に突然大きな街が現れるところにアメリカの底力をちょっぴり感じる。

ここからさらに1時間ほど車を走らせるとラスベガスに到着。
凄まじき大都会。

車の交通量も多く、タクシーや宣伝カーがバンバン走っているので事故らないように
慎重に車を走らせる(ちなみに過去の旅行で一度事故ってるので特に気を使った)

目的のホテルに到着し、両親を探すとあっさり見つけることが出来た。
が、さっそくトラブル。
初めての海外で英語が出来ないなりにロスで何とか乗り換えは出来たもののロストバゲージ。
ロスまでは荷物は届いているようなのであとで取りに行くことに。
この手配は僕が到着する前のことだったが、先に到着していたエツコさんに全て交渉してもらった。
エツコさんは、故郷のご近所の酒屋の娘さんで米系航空会社に勤めていて、ここラスベガスで暮らしている。
初日はホテルに荷物を置いて、エツコさんの自宅にお邪魔することにした。

すごく立派なうちでちょっと緊張。
めちゃくちゃうまいサラミから始まりサラダを挟んでマグロ、ステーキととんでもなく豪勢なディナーを頂いてしまった。

そして、日本の心・納豆まで!!白飯で美味しく頂いた。

途中から旦那さんも帰宅してきて、賑やかに食卓を囲む。

ご飯のあとは、小・中学校の大先輩との会話を楽しんだ。
その時旦那さんが若い頃世界を旅した時のアルバムを持ってきてくれた。
その中には、各国の紙幣が丁寧にファイリングされていた。

国の歴史上の要人が印刷されたものや、国鳥(なのかな?)が描かれたものなど、どれも個性的で面白い。
僕も、これから集めようかな?

翌日、これまたフルーツ盛り合わせとコーヒーという優雅な朝食を頂いた後、観光に出かけることにした。
ラスベガスのようなネオン街もいいが、せっかくのアメリカなのでこちらならではの大自然を見に行こうと、少し強行軍だけどグランドキャニオンを経由してモニュメントバレーを目指すことにした。

ラスベガスを出ると再び、何も無い荒野へ出る。

キングマンを経てセリグマンで寄り道。




ルート66の面影が色濃く残るこの街でしばし休憩&観光をして車はさらに東へ。

グランドキャニオンの玄関口であるウィリアムズを経てグランドキャニオン到着。
この日は土曜日でウィリアムズの街ではちょうどピカピカのクラシックカーが集結し何かイベントをやっていた。







言わずと知れた大観光地のド・ハイシーズンなのでめちゃくちゃな人・人・人。

それでもコロラド川が作り出したこの自然の造形美に両親は満足したようで、DVDのおみやげなんかも買っていた。

日も暮れかかっていたので、このまま東に抜けてTuba Cityで宿をとろうと思ったのだけれど、
このあたりは極端に宿泊施設が少ないため、どこもいっぱいだった。
何とか探し当てた、合宿所のようなモーテルに投宿しこの日は終了。
3人で60$のモーテル。自転車旅だったらとんでもない豪華宿だけれど、
せっかくの海外旅行でシャワー・トイレも共用の質素なモーテルしか見つからず、ちょっと申し訳なかった。

次の日は朝イチで、モニュメントバレーを目指す。
途中のkayentaのマックで朝食しながら、メールチェックしているとイエローストーンを一緒に走った明石さんからメールがきていた。

“いまモニュメントバレーにいます”と。

なんちゅータイミング。
前の日に届いていたメールだったけれど、もしかするとこの先で会えるかもと車を走らせていると
早速、街を出たところで発見!

嬉しい再会となった。

15分くらい話した後、差し入れを渡して別れた。
なんかまたどこかで会えそうだなー。

しばらく走るとユタ州に入りすぐにバレーの入り口。
入場料を支払い駐車場に車を停めて展望台へ向かう。
そこには5年前と変わらず、巨大なメサが鎮座していた。
残念だったのは、この展望台の隣にものすごーく立派なホテルが出来ていたことだ。

昔は、この風景を一日楽しむには、ここでキャンプするしかなかったのに今ではホテルの客室から優雅に快適に眺めることができる。

しかも以前あったキャンプ場は跡形もなくなくなっていた。というかキャンプ場だった所にホテルが出来ていた。

それでも僕が以前キャンプしていたところは辛うじて残っていたのがちょっぴり嬉しかった。
ちなみに5年前
今。帰ってきたぞー!!
あの時は、夕暮れ時にとんでもない砂嵐に見舞われ、テントも吹き飛ばされかけたときにドイツ人家族に助けられて、彼らのキャンピングカーで一夜を過ごした。
その時に撮った写真がトップページの写真です。

ホテルまで出来てしまい、もはや、ここがキャンパーだけが存分に楽しめる場所でなくなった今、
それでもここで誰にも出来ない楽しみ方をしてやろうと、車に戻って調理器具を取り出し湯をわかした。

作ったものは…

素麺。

自転車で暑い中走っているときどうしても素麺が食べたかった。
食べるなら、とびきり暑くて、褐色の土地で食べたいと考えながら走っていた。

その思いを実現するために、わざわざ親に頼んで麺汁と素麺を持ってきてもらっていたのだ。
車なら冷たい氷の持ち運びも容易。

ということで見よ!
素麺@モニュメントバレー!!


どうでしょう?赤茶けた大地に、素麺の純白がよい清涼感を出していると思うのですが。

これを見たナバホ族の人たちは大ウケ、観光の欧米人は白い目…

さっそく食らいつく。

このシチュエーションなのでとにかくシチュエーションも含めて美味かった。
ここで素麺食べるやつはさすがにいないでしょう…

モニュメントバレーでの個人的な目的を果たした頃には両親も観光を終えたようだったのでここを後にすることにした。
が、ここで父親のメガネ紛失。
どうもサングラスを試していたときに外した模様。だがショップの店員に聞いてもないとの返事。
1時間ほど探したが見つからないので、諦めることにした。

メガネ探しに時間を取られている間に空模様がかなり怪しくなってきた。
kayentaの街に戻る頃には叩き付けるような雨になっていた。

街の郊外では鉄砲水も発生し、即席の川が道路を寸断していた。
僕らの車は車高が高かったので強行突破したが、それでも深いところでは少し流されかけてちょっとひやひやした。

心配だったのはこのルートを自転車で走っている明石さんだったが、後日聞いたところkayentaで今日はストップしていたそうで、安心した。

こんなすごい雨も1時間も走れば晴れ間が見えてくるのが、日本では考えられられないこと。
さっきのは幻?なんて思えてくるが、バックミラーに目をやると真っ黒な雲が雷を携えてドクンドクンと脈を打っている。

帰路のルートは同じ所を通って戻ってもつまらないのでグランドキャニオンの北側を迂回してラスベガスに戻ることにした。
このルートは自転車で後日通ることになるので、ついでに補給箇所も下見しておこうという魂胆だ。

グレンキャニオンダムにかかる大きな橋を渡る。

この帰りのルートだとザイオンも通ることができるので、ドライブがてらザイオンを突っ切って戻ることにした。
写真は取り忘れてしまったが、あの因縁のトンネルも再び通った。

車で通っても真っ暗すぎて緊張した。とゆうかこんなところ自転車で走るヤツいたら僕だったら確実に轢いていな。とんでもないところを走ってたみたいです。

その後Hurricaneの街のWalmartに寄って、SC(Super Center)初体験の両親。

ラスベガスの街に戻る頃には夜10時を過ぎていてクタクタでホテルのベッドに潜り込んだ。
二度と泊まれないクオリティ
4日目になる頃には、両親もだいぶアメリカにも慣れたきたようだったので午前中は二人だけで市内観光に出かけた。
僕は、ホテルでのんびり。


午後に仕事上がりのエツコさんと再び合流し、市内を案内してもらった。

ストラトスフィアの展望台から市内を一望。

両親もさすがにアメリカ料理に飽きていたので、晩ご飯は郊外のベトナム料理屋さんでフォーを食べた。

両親のラスベガス最後の夜は、T.Iホテルで上演されているMystereのショーを見に行った。
ショーは本当に圧巻で、音楽、照明、演出、衣装、パフォーマーどれも全てに魅了された。
パフォーマーの観客も巻き込むパフォーマンスも秀逸で、あっという間に時間は過ぎていった。


翌日は早朝の飛行機で両親は帰路につくのだが、ホテルに迎えに来るはずのツアー会社のスタッフが寝坊して大遅刻してきた。


両親にとって最初から最後までトラブル続きの初海外旅行だったが、無難な旅よりも印象に残った旅になったのではと思うとまぁこれはこれでよかったのかもしれない。

ちなみにカメラのデータをくまなく探したが、両親やエツコさんの写真はすべて両親のカメラで撮っていたようで僕のカメラには一切写っていなかった…

まぁいい。

大切なのは写真じゃない。

旅行中に父親が使っていた薬ケースを見てびっくりした。僕の使っているのと同じものだったのだ。

世の中に巨万とある薬ケースのなかで父子が同じケースをチョイスする。これを単なる偶然で片付けられるものなのだろうか。

そういえば、僕が名古屋で暮らしていたときに、母親が訪ねてきたのだがその時カバンに入っていた名古屋のガイドブックも僕が元々持っていたガイドブックと同じものだった。

つまりはこういうことですね。