2012年6月30日土曜日

ペルー北部危険地帯を行く その2

思いの外、見の危険を感じることなく走り抜けれたペルー北部前半。
今日は町もいくつか点在するルートなので待ちぶせリスクは格段に減る。
町中でカメラをバシャバシャ出さなければ問題無いだろう。
ということで少し遅目の8時出発。

さらにレストランで朝ご飯。
昨日の夕食を取ったお店のお米がおいしかったので、同じ店に行ったのだが、朝ご飯はユカイモに肉を和えたものだった。
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ユカは食感こそジャガイモに似てホクホクしているけど、甘みは少なく若干繊維質が強い感じ。
肉がかかってるところは、味がついていてうまいのだが、単品で食べるとただの炭水化物の塊ってかんじ。
本音を言えば、料理のクオリティの高いペルーにおいてはあまり積極的に食べたい食い物ではなかった。

飯のバリエーションに乏しい、エクアドルでは唯一パンが美味しくて、卵とパンとコーヒーのシンプルな組み合わせながら朝ご飯は毎回楽しみにしていた。
飯レベルの高いペルーの朝ご飯はどんなものかと期待して注文しただけにちょっとこのユカは肩透かしを食らった気分だった。
まずいものじゃないんだけどね。

そんなこんな。
結局まともなスタートは8時半となった。

街を出て、昨日の幹線に戻る。
前方に山が見えた。
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地図によると標高は1000超。
この区間はずっと平地が続くと思っていたんだけど、昨日この山を見かけたので念の為にと標高を調べたら
等高線はこの山のところでガクンと急角度で孤を描いていた。

“え、まじ。。登るんスカ。。。”

と予想外の展開に焦りつつ、宿を出るときにカルロスに尋ねてみたら

“ポキートだ、ポキート(ちょっとの意)”
と答えが返って来た。
カルロスはいいやつだが、こっちの人のポキートは全く当てにならない。
それ相応の覚悟と携帯食を準備して街を出た。

街を出ると道は山から逸れるように大きく曲がった。
ここからグネグネとつづら折れで登ってくのかなーと思っていたら、どうも様相が違う。
曲がったものの道は依然として真っ直ぐで道はこのまま山を貫いている。
よくみると、山と山のちょうど切れ間の一番標高が低いところを狙って道は伸びていた。
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結局のところ上ったのは100mちょっと。

これが、山岳大国ペルーの実力ですか。
エクアドルだったら問答無用でてっぺん近くまで登らされるであろう道なのに、全く苦労せずに抜けちゃった。

あんたすげぇよ…

こんなことたぶん普通のことなんだろうけど、何せ悪路と急傾斜続きのエクアドル南部を抜けてきたばかりだからとてつもない衝撃。

今日一番の難所を10分でクリア。

山を越えると登った分をそのまま下り再び地平を見渡せるはてない平野が広がる。
しばらく走って着いた街で休憩。
この街にはホテル東京があるらしい。
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休憩に入った商店ではペルーに入って登場した30円くらいの棒のチョコレートを食べて一休み。
となりのテーブルにいた親子が話しかけてきた。
旦那さんは兵庫の高砂に行ったことがあるらしく、簡単な日本語を話してくれた。
彼らから、大きなミカンを2つ頂いてしばし談笑。
何度も言うが、ここが危険地帯とはまったく感じさせない雰囲気だ。
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彼らと別れた後に再び入った次の商店でも親切に椅子を用意してくれて色々と日本について尋ねられた。
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半砂漠地帯も多いこのあたりは大抵街の入口に給水塔がある。
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ちなみにこの辺りはインカ以前に反映したモチェ文化の遺跡がたくさんあって、この日通過してきたトゥクメの街にもピラミッドがあるとのことだった。
素人目には見応えのない遺跡との事だったのでここはそのままスルー。
トゥクメのピラミッドの一つ…なのかな?
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まぁでもせっかく遺跡が沢山あるところに来たので一つぐらいは見ておこうということで、この先の大都市チクラヨの手前にあるフェレニャフェというなんとも頼りない名前の街にシカン文化で栄えた土器や黄金を集めた博物館があるということだったので今日はそこまで。
途中、モチュミの街を過ぎたところから脇道に入ってフェレニャフェを目指したのだが、地図には舗装路と書いてあったのにひどい道路だった。
最初は、エクアドルのパンアメリカンハイウェイの方が道悪かったじゃん、余裕!と思っていたのだが次第に道はさらに悪くなり、漕ぐのにストレスが溜まる道になった。
石がボコボコ埋まった道や、おそらくは昔は舗装路だったであろう現在穴ぼこだらけの道。
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種類は違えど、ひどい道にかわりはなかった。
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そんな道でスピード感は全くないのに、メーターに目をやるとおよそ13km程出ている。
しかし、おしりが浮いてしまうほどの凸凹道は、全然気持ちよくなく…
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すれ違うトラックは砂煙を巻き上げ、追い抜くモトタクシーは僕と同じようにピョンピョンと飛び跳ねながらも強引に道を進んでいった。
現地の人たちは、車といえど、この悪路にストレスを感じないのだろうか?
そうして道がこんな状態になってしまっているのは、これまでも散々目にしてきた明らかに積載容量を大きく超えたトラックのせいであろうことは簡単に予想がついた。
全く気持ちの良くない道を15km、ひたすらに恨み節を唱えながら走るとようやくフェレニャフェについた。
給水塔が街の入口のサインであると共にペルーの街はもうひとつ街の入口を示すサインがある。
それはゴミである。
どこの街も大抵、街の外縁部にゴミを不法投棄していて悪臭がひどい。
このゴミ地帯を抜けると街の本体にたどり着く。
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この街は、いまいち街の作りが分かりづらく、どこに繁華街があるのか分からなかったのでちょうど目についた警察署でホテルの場所を聞くと、わざわざパトカーを走らせて先導してくれた。
紹介されたホテルは値段の割にあまり設備の整ったホテルとは言いがたかったが、せっかく警察官が案内してくれたホテルだったのでそのままここに泊まることに。
今日は月曜日で博物館は休み。
明日の午前中を使って博物館に行ってみるつもりだ。
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2012年6月28日木曜日

ペルー北部危険地帯を行く

いまいるチュルカナスの隣町のピウラから200km南のチクラヨ間は言わずと知れた自転車乗りを襲う強盗多発地帯。
ここは無人の砂漠地帯が延延続いていて、人気の少ないところで強盗が待ち伏せしてチャリダーを襲うそうだ。
旅行作家の石田ゆうすけさんもこの区間で強盗に襲われており、その顛末は“行かずに死ねるか!”でおかしなオチつきで語られているのだが、やっぱり強盗は怖い。
最もこの区間で強盗が多発したのは90年代のことで、今はそのチクラヨから南のトルヒーヨ間が今も強盗活動がさかんに行われているとの事だった。
出発当初、この区間はバスで飛ばすことを考えていた。楽しい旅行が強盗によって壊される恐怖は言わずもがな。
危険なところはすっ飛ばすのが懸命だ。
ただ、1年近く走ってきて少し心持ちが変わっていた。

僕は一度アメリカ、ソルトレークシティ近郊の山道で10kmほど車に載せてもらっている。
あのときは体調も優れないというのがあったのだが、それ以上に車窓から見て感じた道のあっけなさが強く心に残っている。
車を使って上った山の下りのなんと虚しいことか。
もともと苦労は承知の上だったのに、車に乗ってしまった罪悪感。

体調が悪いとはいったって、時間もあったし、水も食料もたっぷりあった。
自分自身限界ではなかったし、命の危険はまったくない状況で目の前の人参に飛びついてしまった。

正直なところ乗ってしまったことは今でも後悔が残る。

かといって完全自走にはこだわっているつもりはなく、危険を感じればもちろんどんな手段を使ってでも回避すべきだと思う。
ただ、あの時に関して言えば乗らなくてもいいのに乗ってしまっていた。

あれからも、何度か乗ってくかと声をかけられることはあったが、全て断ってきた。
もちろん、声を掛けてくれたドライバーには申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、
“そう言ってくれるだけで嬉しいよ”と言って断る。

自転車で世界一周ってゆうのは正直なところ自分とのこだわりの戦いで
厳密に言えば日本を出るのにさえ、自転車だけでは出ることは出来ず船や飛行機といった手段を使うことになる。
もっと言えば何をもって世界一周なのか?行った国の数?距離?地球を横に周ってきたら世界一周になるのか?
東西の概念が自分のいる位置によって変わるように、とても曖昧なことを自転車でやろうとしているのだから
必然的に、自分自身でルールを課すようになる。

僕の場合。

限界や命の危険を感じるところ、自転車では渡れないところ(海など)は公共機関を使う。

というようにしてきた。

話を戻すと。

この先のペルー北部地帯は、ヘタをすると命に危険が及ぶ場所でバスを使って飛ばすべき区間なのかもしれない。

実際この一ヶ月くらいずっとこの区間をどうするか考えてきた。

最初はエクアドルでアンデスを越えてアマゾン川をつたって迂回する方法も考えたが、エクアドルからアマゾンに抜ける船の乗り換えが多くスケジュールも曖昧なので止めた。それにパナマ~コロンビアの船旅で何かに身を任せて進んでいくってのは自分には合わないことをつくづく実感していた。
そこで素直にパン・アメリカンにそって南下してきてぶち当たったこの区間。
どうしたものか。
エクアドルにいた頃には実際に行ってみて雰囲気を確かめて決めようと思っていた。
いざペルーを走ってみると、前回書いたようにとてもフレンドリーで犯罪の影はこれっぽっちも見当たらないほど。
油断さえしなければこの辺りは走れそうと直感した。

それにこんなに気のいい人達が住んでいる地域を飛ばしてしまうのはもったいなく思えた。
ただし、このいい雰囲気に混じって、悪い輩は潜んでいるわけだからたったひとつかみの悪に寄ってこの地域の印象が悪くならないよう僕も気をつけて進まなければならない。
加えていうと、僕の走るルートにおいて完全に自走で端から端を自走できそうな大陸はここ南米だけになりそうだった。
なのでここで南米の轍を途切れさせたくないと思い、走ることにした。

とはいえ、安全には万全を期す。

いまいるチュルカナスには前述のピウラには寄らずに田舎道を通ってきた。
そして、これから行くチクラヨにも砂漠ルートではなく、100kmほど遠回りになるが街も多い迂回路を進むことに。

チュルカナスを出る時も夜明けとともに朝6時に出発。

のはずが、前日に荒野で泣きを見ることがないようにと点検した自転車のブレーキが外れていたり、突然サイクルメーターが電池切れになったりと結局6時半の出発になった。
これは神様が今日はやめとけといってるのかとも思ったが、この街で閉じこもってるほうがつらかったので出発。

街の入口には、坪のサイン。やっぱりこの街は陶芸が有名なようだ。
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で7時前に撮ったこの写真を見て分かる通り、早起きしたにも関わらずもうすでにみんな活動中だった。
こっちの人たちの朝はホントに早い。

ここを過ぎると民家は途切れはじめ、とりあえずは最低限の人目にしかつかずに街は出てたかなと思っていたら10km先の幹線との合流地帯は大きなレストエリアになっていてたくさんの人がたむろしていた。
ジロジロと見られ、“どこに行くんだ?”
と声がかかる。
ここで素直に答えては、もし相手が悪意を持っていたら待ち伏せされてしまう。
と思い、申し訳なく無視。
といってもこの先は130kmほど一本道。
まぁどこに行くかはバレてるでしょうが。
ともかく完全にこの辺の人達を色眼鏡で見ていた。
ビビっていた。

合流地点を過ぎると、朝らしい涼しい風が脇を流れた。
およそここが危険地帯とは思えないのどかな景色が続く。

安心したのは、地図にないところにも小さな集落が点在していたこと。

これだけで待ち伏せのリスクは格段に減る。

集落の人々はこれまでのペルー人のように僕を見るとにこやかに手を振ってくれた。

しばらく走ってようやく気持ちが落ち着いてきた。

ただし、強盗の大半が午後に犯行を行なっている。

午前中になるべく距離を稼ぐために時速25kmでペダルを踏む。

目の前にはどこまでも真っ直ぐに道が続いていた。
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すぐ西にはアンデスがそびえており、とてつもない威容を携え佇んでいる。
しばらくしたらまたあの山の中か…
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結局、午前中には110km走り目的のオルモスの街までもうすぐというところまで来れた。

がここで12回目のパンク発生。
これが、出発してすぐとかだったら、気持ち的には相当焦っただろうが、もう今日は危険はないと感じ、
近くのガソリンスタンドで修理。
直したと思ったらどうやらもう一箇所パンクしているようだった。
スローパンクだったので、オルモスまでは空気を入れつつ騙しながら走る。

着いたオルモスの街。

これまでの集落からするとウソみたいな都会だった。

街外れのホスペダへへ投宿。
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オーナーのカルロスは中々相性がよさそうな良い奴で、ちょっと高かったけど部屋も綺麗なのでここにした。

シャワーを浴びて街を散歩に。
今日は日曜日でセントロの公園では何か子供たちが砂を使ってクロスを作っていた。
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子供のアイス売り。
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街の一画には、この規模の街にしてはかなり大規模なメルカドと青空市があった。
これが日曜市で特別大きいのかは分からないが。
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洗剤など細々したものを買い、レストランで適当な食事を取って宿に戻る。相変わらず米のクオリティが高い。
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ペルー危険地帯1日目。
なんとか無事に終えることが出来た。
明日は今日に比べれば距離も短いし、大きめの街も続くのでもう少しリラックスして走れそうだ。

2012年6月26日火曜日

ペルー入国1日目 平地生活始まりました

前回のブログに書いたとおり、朝起きると高台のベッドを除いて床にはコオロギが大量に発生していた。
奴らを払いのけホテルをチェックアウト。
ここからペルー国境までは目と鼻の先。
さぁて、12カ国目ぺルーに行ってみますか!
マカラ郊外はいかにも南米の低地らしいだらしない作りの民家が多く、そこを抜けて2kmほどいくと国境についた。
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しょぼい作りは民家だけでなく、国境事務所までしょぼかった。
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入国時同様、機械印字式のスタンプを押してもらい出国。
この際、入国の時は書かなかったツーリストカードのようなものを書かされた。
たしかニカラグア出国の時も書かされたけど、もう出国なのになぜ?普通入国の時じゃない?と思ったが書かなくては出国できないので書く。
国境はいつもの通り川で隔てられていた。
川の向こうに、新しい橋が建設中でどうやら日本の支援で建てられている模様。
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これまた中米の話になるが、同様に日本の支援で作られた橋は中米でも多く見られた。その橋も大抵国境付近。
日本さんはよっぽど、国境に橋を作るのが好きらしい。
現存の橋もまだまだ使えるように思えたので正直援助するならここまでの道をなんとかして欲しい。
せっかくここが綺麗な道でもここに来るまでが最悪なのだから。
そういえば中米の国境越えでも同じようなことを思った。
(国境は支援として分かりやすく目立つ場所ってのもあると思うんだけどね。中米に関しては、雨季の大雨で既存の橋が流されてしまったからという記事を見かけたことがあるし、まぁ理由はそれぞれあるんだろうが。)
ともかくも。
ペルー入国だ!
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橋を渡ってすぐの事務所で入国手続き。
朝早いこともあり、並ぶことなくあっさりスタンプGET。
ペルーはただでさえ国土が広い上に、ルートの都合上、縦断と横断まるまるしなければならない。
それにマチュピチュを始めとする古代遺跡の宝庫、そして過酷な山道と自分でもこの国を抜けるのにどのくらいかかるか予想つかなかったので、係員に“4ヶ月滞在させて”ってダメもとで言ったらあっさり4ヶ月の滞在許可が下りた。
写真で見て分かる通り、すごくのどかな国境で両替の声もかかることなくあっさりと通過。
(ペルー通貨ソルは事前に用意済みだった)
国境が川ということは、当然の上りからペルー走行のスタート。
相変わらずの山だけど、本当に平地になるのかなと思いながら登る。
お…

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おお!!
ほんとに前方に山が消えた!
道もまぁまぁ綺麗。

後方には昨日越えてきた山々が。
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平地はコロンビアのカリ以来だから約2000kmぶり?
久々の平地をかっ飛ばす。
あっという間に60km走り最初の街へ到着し昼ご飯に。
ペルーはご飯が美味しいという噂はかねがね聞いていた。
ここはぺるーの定番定食ロモ・サルタードでその実力拝見ということで注文。
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盛りつけ自体は、これまでと大差はなかったのだが、噂通り味が良くなった。
特に米。
これまでは、黄ばんだ米が出てくることもあったのだけど、ここで出てきたのはまばゆいばかりに純白のお米で
ほんのり甘みがあってそれほどパラパラしない、日本の短粒種に近い味だった。
ここが低地ということもあるのか、よく炊けている。
あっという間に平らげる。
値段はエクアドルに比べると少し高くなったけど、このクオリティなら十分。
そういえば、ペルーに入ってどこか懐かしい気分になっていたんだけど、なぜかと言えば
この辺りに広がる田園地帯から稲穂の香りが流れてきたからであった。
故郷を思い出させる香りが心地良い。
ペルーなかなか良い国のようです。
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さて入国して気づいた大きな変化といえば、この国元タクシーが凄まじく多い。
エクアドルではほとんど見かけなかったのに、この国のすれ違う車両のほとんどがモトタクシー、それ以外は貨物トラックというくらい多い。
中には中坊くらいの少年が小遣い稼ぎで運転していたりする。
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休憩を終えて走りだし午後2時くらいにはタンボグランデの街についた。
もう、90km以上走っていたし、ここで今日はおしまいにしても良かったのだが、あまり街の雰囲気がよろしくなく、休憩していても浮浪者が絡んできたりしたのでもう少し進むことに。
タンボグランデから脇道があってそこを進むと、100km程ショートカット出来たのでそちらを使って次の街へ。
地図では、未舗装と書いてあったが実際に未舗装だったのは一瞬だけであとは舗装路が続いた。

目標のチュルカナスまでは40km。
その間幾つかの村を通り過ぎたのだが、こんな田舎道を通る邦人に対して人々はとてもフレンドリー。
家々を通り過ぎる度に、すべての家に手を振っていたんじゃないかというくらい、笑顔で手を振ってくれた。
ペルー北部は自転車乗りの間では極めて治安の評判が悪く、かなり警戒していただけに
拍子抜けするくらい彼らの笑顔が胸にすっと入って来た。

ただし、ある集落の学校で呼び止められちょっとした世間話をしているとこの先のチクラヨ、トルヒーヨという街はやはり現地民でも警戒するほど危険らしい。
僕からその話をするまでもなく、彼らからその話が出てくるということは依然としてこの区間は自転車乗りにとって鬼門だということだろう。
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舗装がしっかりしていて快適に走れた田舎道。
地図にはこの田舎道を横断して川を示すラインがいくつか引かれていた。
橋か何かあるのかと思ったら…
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何もなかった。
道が川で途切れ、川の向こうにしっかり再開している。。
やっぱり田舎道は田舎道ってことか。
ってことでグアテマラ以来の渡渉。
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まぁ深さはそれほどないので難なく渡るも、この渡渉、結局5回ほど繰り返した。
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ここは何とか迂回路あり。

この日は130km走って5時頃チュルカナスに到着。
街にホテルがあまりなく、しばらくうろついた後広場に面したホテルに投宿。
15$ほどしたものの、便座なしの水シャワー…
あぁ、エクアドルのホテルが恋しい。。

このチュルカナスの街は南米随一の陶芸の町だというのだが、セントロに来るまでの間それらしい建物は一切見かけなかった。
代わりに竹内モータースは発見した 笑
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日系の人の家なのかな。

夕方になると、人々はセントロの広場でそれぞれの過ごし方で夕澄みを楽しんでいた。
相変わらずモトタクシーがひっきりなしだった。
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2012年6月24日日曜日

エクアドルアンデス最後の峠

せっかく苦労して山に戻ってきたのに、今日は再びこの山岳世界とお別れをしなければならない。
山岳世界のお別れとともに今日はエクアドル最後の日。
この山を下った先がペルー国境だ。

国境のマカラまでは100km。
マカラの標高が400mそこそこなので、ここ1900mのカタコチャから下りとなるので普通だったら午後一で着く計算なのだが、このあたりのパンアメリカンハイウェイが未舗装なのでどうなることか…。

ホテルを出ると外は快晴。
本日も頑張りましょう!
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意気込んで街を出るといきなり猛烈な下り。
例によって未舗装なのでブレーキをかけながら全く無駄な標高エネルギーを放出。

と,坂の途中、素晴らしい景色に出くわした。
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見渡す限り続く雲。
昨夜、下りてきた雲が谷底の盆地に溜まって見事な雲海を形成していた。
ありきたりだがまるで、この上を歩いていけるんではないかと錯覚するほど密度の濃い雲海が眼下に広がっていた。
この雲の先はペルー。
しばらくこの雲に時間を忘れてしまうほど、見とれてしまう。
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自転車でしか訪れることの出来ない街で、天気、季節、時間など色んな要素が重なってしか見ることのできない景色に出会え、やっぱり自転車はたまらないなと改めて思う。

ただし、再び自転車に跨りボコボコの坂を下るとその、甘美な気持ちはすっかり消えてしまう。
そしてこう思う。
自転車ってなんて場当たり的な乗り物なんだ。。。

楽しくない下りはあっという間に位置エネルギーを放出し終え600mまで下りてきていた。
進んだ距離、わずかに10km。

あれだけ時間と苦労をかけて上った山道の顛末がこれである。

これで結局残りの90kmは自力で進まなければならない。

ここからは暑さと未舗装の戦いだった。
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おまけに無駄なアップダウンの復活。
あっという間にバテバテ。
昨日の坂を苦にしない自分はどこへ行ってしまったんだ?

幸いにも山から流れてくる湧き水が豊富だったので、時たま水をかぶって休憩しつつ前進。

この辺りは目下舗装工事中らしく特に道が悪かった。
水の差し入れをもらった作業員たち。
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しばらく進むと、舗装工事を終えた道路が登場。しかも下り。
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絶景を眺めながら、悠々と下る。やっぱり下りはこうでなくちゃ。
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そんな舗装路との蜜月は長くは続かない。
お昼休憩をした分岐のレストランから少し進んだところで出会ったアルゼンチン人のバイカー、ルイスは言った。
“10km行くと道が悪くなるぜ”
まじですか…
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彼の言った通り、ちょうど10km先から道はこれまでの調子を取り戻した。
おまけに上り。
ここがエクアドルアンデス最後の峠になるのだが、最後にして今までで一番傾斜がきつかった気がする。
1200mそこそこの峠のはずなのに、随分遠くまで道が続いているのが見えるものだから、滅入ってしまう。
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上りの途中、考えていたことは本当にこの山を越えたら平地になるのだろうか?ということ。
とても今の周りの風景からして、この先が平地になるとは思えない。
そして、最後にこの山道を作ったエクアドル国土交通省をひたすらに呪っていた。

獲得標高こそ昨日より小さいもののキツさで言えば断然今日のほうがきつかった。

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ふらふらで峠手前の村にたどり着き、コーラ補給をしたあと少々の上りを進むと、山を巻くような道路に出た。
下りが近い。
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右手に今日の道程を眺めながら進むと、下りは突然やってきた。
長きに渡るエクアドルアンデス終焉の瞬間だ。
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最後の下り坂も当然の如く悪路の急傾斜で全く景色を楽しむ余韻もなく、ただただブレーキを握る握力との戦いだった。
やがて傾斜も緩くなり、遠目にマカラの街が見えた時は本当に嬉しかった。

マカラの街は今朝いた高原のカタコチャとは全く異なり、いかにも中南米然とした雑然とした建物が立ち並ぶ街だった。
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最初、セントロらしい場所が見当たらず、疲れていたのでフラフラしていて目に入った一軒目のホテルで即決。
どこか締まりのないと街並みとは裏腹に決めたホテルは広く綺麗だった。
しかも朝食付でこの低地にあってしっかりシャワーのお湯が出て900円。
やっぱりエクアドルのホテルのレベルは高い。
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ホテルのおじさんにセントロの場所を教えてもらい、散歩に出かけたがこれといって面白みにかける街だったので早々に部屋に戻って、明日の下調べをすることにした。

部屋に戻ってみてビックリしたのがコウロギが数匹部屋にいたこと。
ギョッとして慌てて退治。
一階の通路に面した部屋だったのでどこからか紛れ込んだのかな?と思い部屋から追い出す。
それでも再びコウロギの影が視界にチラついたのでどこか開いてるのかなと、部屋のカーテンを開けるとそこにおびただしい数のコオロギが密集していたので、速攻見なかったことに。
あまり飛び跳ねるタイプのコオロギではなかったのが唯一の救いで、この広くて快適な部屋にあって結局ベッドの上だけが僕の聖域となったのだった。
(翌朝、僕のバッグには10匹以上コオロギがたかっていました…)