2012年11月28日水曜日

風と砂の洗礼

今日の目的地は分岐のあるアロタの村。
ここまでは道も良いそうで、距離も60kmということだったので、サンクリストバルは少し遅めの10時に出発。
ホテルでは朝食もついてきたので、たっぷりと頂いて。

道は引き続き良好。
15km先の村を過ぎると少々の峠があったが難なく越える。
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それからも順調に距離を稼ぎ1時半くらいにはアロタに着く目算だった。

お昼ぐらいになると、これまで1時間に数台しかすれ違わなかった車の交通量が増えた。
といっても目覚しく増えたわけではないので、特に問題はなかったのだが、
対向車のトラックが巻き上げる砂煙の流れを見て、気付いた。
いつのまにか西から風が吹いて、向かい風になっていた。
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そう、この辺りは強い西風が午後になると吹くことは事前の調べで分かっていた。
前日が全くの無風で快調に進めたことですっかり風のことを忘れて、今日は遅い出発だった。
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向かい風だと認識しだしてから、風は強まる一方。

20km近く出ていたスピードは12km、10kmと遅くなり、しまいには7kmしか出せなかった。

すれ違う車が巻き上げる砂煙は容赦なく僕を砂まみれにし、すぐに口の中がジャリジャリと音を立てた。
小石も飛んできて、地味に痛い。
でも特に厄介だったのが追い越し車だった。
対向車の砂煙は目を細めて、サングラスである程度防げたが、追い越し車の場合後ろから砂煙が回りこんできて回避不可能だった。
しかも、砂煙が風に流されて逆流してくるので、僕の進行方向と相まって長い時間この粉塵の中に閉じ込められることとなった。

甘く見ていた60km。

アロタに着く頃には気持ち的にヘロヘロで。

アロタはまさに寒村といったかんじの人気のない村だったが
幹線沿いにあるホットシャワー付きの宿を見つけ、早々に砂だらけの体を洗い流した。
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2012年11月26日月曜日

宝石の道への序章

南米一、あるいは世界一とも呼ばれる悪路がこのボリビア南部に存在する。
その道を知ったのはいつ頃だったろう。
記憶が曖昧だが、ペルーに入った辺りから今後のルートを検討するにあたって、はっきりとその道を認識しだした。

ボリビア南部ウユニの街から南西に430~460kmほど。
エドゥアルド・アバロア国立保護区からチリのサンペドロ・デ・アタカマへ抜けるこのルートは、
赤や緑色に染まる湖、湖に群がるピンクのフラミンゴ、周囲に点在する火山や雪山…
多くの色彩に囲まれた様子を称して『宝石の道』と呼ばれている。

とんでもんなくキツイが、その苦労を上回る景色が待っている。

らしい。

昔の自分であったら、もっと楽な舗装路のなるべくフラットな道を選んでいただろうが、
コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアとおよそ半年に渡ってアンデスに挑み続けているうちに
僕の心と体は、よりアンデスを欲するようになった。

この道を走りたい。

そう思ってラパスにいる頃から少しづつ準備と情報を集め、ここウユニで最後の準備を整えた。

この宝石の道は大きく分けて2ルート。

150kmほど先のアロタの村から南に向かう奇岩が見れるルートと、そのまま西進し湖の点在するコースを通るルート。
どちらも保護区に入ってすぐのコロラド湖で合流する。
どっちが楽とかはない全線コルゲーションダートのハードなコース。
僕は、コロラド湖北にあるArbol de piedoraと呼ばれる風雨によって根本を削られながらも立っているバランスロックが見たかったので後者のルートをチョイスすることに。

では、行ってみますか。

ウユニの中心から500mもたたないうちに、道は砂の深いダートへ。
いきなり走りづらい。

こんなで走りきれるのかよと不安がよぎったが、すぐに未舗装ながら綺麗に踏み固められた走りやすい道に変わった。
アスファルトと遜色ないくらいに走れる。
時折、コルゲーションや砂の堆積した場所があったが問題なし。

右手にウユニ塩湖の末端のような白い平原を見ながら走った。

傾斜もほぼ緩やかであっという間に90km先のサン・クリストバルに到着した。

サンクリストバルは、もともとここより北西17km程のところにあったそうだが
近年鉱山が発見されて1998年に現在の位置に移ってきた新しい街。

日干し煉瓦の多いボリビアの街にあって、コンクリートで建てられた新し目の街は
中心に日本のお城のような形をしたセントロがあって可愛い街だった。

コロンビアのヤルマル、エクアドルのカタコチャ、ペルーのカハマルカへ行く途中の湖畔の街(名前ど忘れ)
ガイドブックに決して載らないお気に入りの小さな街々を訪れてきたが
ここボリビアでもお気に入りを見つけることができた。

安宿が営業していなく、セントロにあった140Bの宿を100B にしてもらい投宿。
これからハードな道を行くための、最後の贅沢をして明日に備えた。
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2012年11月24日土曜日

ウユニの魔列車

ウユニはもともとチリ・アルゼンチンの列車の中継地点として栄えた街。
現在は週に数本の観光列車を残して、列車は廃れてしまっているが
郊外にある列車墓場で往時の勇姿を拝み見ることが出来る。

打ち棄てられ、腐食の進んだ列車はなんとも言えない味がある。
使える金属でもあるのか地元の人が瓦礫の山を漁る姿も見られる。
ここら一体はまるでゲームか映画の世界そのもの。
僕がすぐイメージするのはファイナルファンタジーⅥの魔列車。
SFC世代なんでね。
本当に魔列車の如く、突然動かしてもおかしくない雰囲気だ。
独特の世界観をもつ場所だった。
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2012年11月22日木曜日

夢の終わりと現実回帰

憧れの地の走行も本日を持って最後。
今朝はゆっくりと明けゆく空を眺めてから走りだした。
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前方に微かに見えていた塩のホテルを通過すると、白の大地は徐々に黒ずみ、製塩所のあたりまでくると
もうはっきりと塩湖の終わりが見えてきた。
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石がむき出しのゴツゴツした路面に変わり間もなく砂地に戻った。
ガタガタとハンドルに伝わる振動から夢の時間の終わりを告げられる。
製塩所の先はコルチャリという小さな集落。
ウユニ塩湖走行が終わった。
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しかし悲しいかな。
ボリビアの悪路はウユニ塩湖の余韻に浸る暇など与えてくれなかった。
ここからウユニの街までは約20km。
一応、ダートながらラパスからウユニに向かうメイン幹線であるため
これまで以上のコルゲーションが待ち構えていた。
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これは走行に支障をきたすレベルでまともに走れそうにない。
それは車も同じようで、道の両サイドにはコルゲを避けた車が作った轍が縦横無尽に通っていた。
こっちなら多少はまともそうだったので行ってみると、こっちはこっちで砂が多い。
どっちをとっても地獄という具合だった。
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ウユニと言えば世界的にどうかは分からないが、日本人からすれば一大観光地。
とりわけ雨季のウユニの鏡張りの人気は絶大で、
南米を旅するバックパッカーは雨季のウユニに合わせて南米入りする人もいるほどだ。
ボリビア随一の観光地なのに、この道路の放ったらかしっぷりはいかに。
と思っていたら、街の入口には小さな空港があった。
金のある外人さんは、飛行機使いなさいってことですか。。。

さて、到着したウユニの街。
こちらも相当な田舎町。
塩湖周縁部の集落に比べればだいぶ賑やかだが、街もおおよそ観光客が大挙してやってくるとは思えない寂しさ。
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もともと目星を付けていたホテルにチェックインし、3日振りのシャワー!
といきたいところだが、その前に自転車の清掃だ。
塩湖走行で壮絶に塩まみれになった自転車。
塩の破壊力は、カリブ海のヨット旅で経験済み。
今回は潮風どころか、塩そのものを大量にかぶっているので早い所清掃しなければ。

近くの商店で、タオルと歯ブラシ、洗剤を買ってきて清掃開始。
念のため完全分解し
ゴシゴシ
ゴシゴシ…

と実に3時間もかけて清掃をした。

疲れた体にムチをうっての掃除だったのでさすがに疲れたが
まだボリビアのハードな道のりが残っている。

ウユニ塩湖まで導いてくれた相棒の労をねぎらうのもたまには必要だろう。
まだまだよろしくお願いしますぜ。