2011年5月30日月曜日

台風の影響

ここ数日は台風の影響でひたすらの雨模様だった。
そんなときに限って外出の用事があるもので、雨の中あっちこっちに出掛けていた。
というのも5月30日から一週間程度、実家の福島に帰る予定だからだ。

社会人一年目のときに病気の療養で帰ったのと友人の結婚式で帰った2度しか帰っていない。
実に3年ぶりに帰ることになる。

福島は、今や悪い意味で世界のFUKUSHIMAになってしまっていて、これに関しては
僕も色々と思うこと考えることがあるのだが、まだ現地に足を踏み入れていない身だ。
メディアで見聞きしたことだけで何かを判断するのは早計だと思うので、
実家に帰り、自ら体感してから判断したいと思う。

福島に帰るための手段として新幹線が最もベターな方法だがいかんせん高い。
往復で四万円近くかかってしまう。
近隣のアジア諸国に出掛けたほうが安くつくくらいだ。
せっかく3年ぶりの帰福だ。新幹線では味気がない。

そこでフェリーで帰ることにした。
福島の港に直行する便はないが、名古屋~仙台を結ぶ航路が太平洋フェリーから出ている。
値段も2等で6500円と良心的。
時間はかかるが(21時間)その方が、旅情も手伝って良い帰福になるのではないか。
仙台から福島の距離は割と近い。
シティラビットなる快速列車が走っており1時間ちょっとで結ばれている。
格安バスも多く、福島市内の高校生は同じ福島の郡山ではなく仙台に遊びにいくのが定番だ。
かくいう僕も学校帰りに仙台に遊びにいって終電で帰ってくるなんてことをたまにしていた。

実は、このフェリー計画は3月から温めていて情報収集をしていて
この航路に辿り着いたのが3月10日だった。

その時は、新しいフェリーが3月13日から就航するということで
『こんなきれいなフェリーがこんなに安い!仙台の友達にも会えるし一石二鳥だ』
なんて思いながら、想像を膨らませていた。

その翌日。あの地震が起きた。
僕が降り立つだろうと心躍らせた仙台の港は津波で壊滅的な状態だとTVは
悲惨な映像と共に繰り返し伝えていた。
当然、フェリーは休航となった。

あれから2ヶ月が経ち、フェリーは臨時ダイヤながら5月26日より名古屋~仙台ルートが
再開された。
グッドタイミングとばかりにすぐに予約を入れ、帰福の準備を急いだ。

そして昨日、何やらメールが届いてるぞと開いてみると…


どうやら僕はこのフェリーに縁がないようだ。
さて、どうやって帰ろうか。

2011年5月29日日曜日

東京優駿

今日は第78回日本ダービーだった。

先週までは現役で働いていたので、今日は何年振りかの日曜日の休日を満喫しようと
金山駅にあるウインズへと向かった。

金山といえば、数ヶ月前までの職場が金山であり、当初異動が決まった時は
『毎週、通勤途中に馬券が買える!!』なんて浮かれたものだったが
蓋を開けてみれば、朝は7時に家を出て、日付が変わる頃に帰宅いう暮らしで
馬券を買うなんてのは夢物語だった。

そんなわけで久々の競馬を楽しむ。



結果は前走を圧勝したオルフェーブルが連勝し、見事5年ぶりの二冠馬誕生となった。

それにしても圧巻の走りだった。
直線入り口で、ナカヤマナイトに思い切りぶつけられ内に押し込められそうになるも
怯むことなくジワジワと伸び、進路が開けたラスト300mの切れ味は半端じゃなかった。

最後に安勝ウインが並びかけるも、坂を上りきってさらに伸びて振り切った。

オルフェもすごいが、鞍上の池添騎手の肝の据わりっぷりも見事だった。
一番人気でのダービーという重圧に潰されることなく、自分の競馬に徹した。
道中はずっと後方5番手。ひたすら最後の直線へ向け脚を貯める。
自分だったら、この不良馬場で終いの切れが落ちてしまうんじゃないかって不安になって
少し前目につけてしまうだろうな。

直線を向いて内に閉じ込められても脚を使わず進路が開けるのをひたすら我慢。
ここでの我慢が最後の最後に極上の切れを生んだ。

馬を完璧に信頼していないと出来ない芸当だろう。
馬もすごかったが騎手もすごかった。

実際ダービーってのはそうそう簡単に勝てるレースではない。
いい例が98年のダービーで、勝った武豊は11年目での初制覇だったが
勝利が目の前に見えた最後の直線でムチを落としてしまっている。
またその時の2番人気キングヘイロー福永はプレッシャーに潰され無謀な逃げをうち自滅。
福永はまだ当時デビュー3年目の若手だった。

GIレースは、馬の底力も大切だが、騎手の腕も試される。
ダービーというG1中のG1ともなればなおさらだ。
そんな中で池添は馬を信頼し馬の能力を100%引き出してみせた。

デュランダルスイープトウショウ といい、彼に末が切れる馬を乗せたら鬼に金棒だ。

派手な活躍とは裏腹に勝ち鞍こそ思ったより伸びないが、
大舞台でこそ引き立つ彼の個性はとても貴重だ。

人馬一体となって掴んだ世代の頂点。デビュー以来、ずっとコンビを組んできたからこその勝利だ。
今日の勝利ジョッキーインタビューでは
『テン乗り(初騎乗)には絶対に負けたくなかった』

いいねぇ、この負けん気の強さ。

ところで今回のダービーの売上げは前年比20%減の198億8450万3300円だったそうだ。
過去最高は90年の567億8692万400円からのこの凋落ぶり…。
年間売上も4兆円を越えていた97年から僅か10年と少しで2兆5000億を
割り込むところまできているし大丈夫だろうか…。

良くも悪くも馬の人気に支えられている競馬界。
今はヴィクトワールピサブエナビスタのように強い馬はたくさんいるがちょっとスマートすぎる。
かつてのオグリトウカイテイオーのような華のある馬が不在なのかもしれない。


今回のダービーも前評判はスターホース不在といわれた中だったので、
勝つべき馬が勝ってくれてよかった。

オルフェーブルには、これからずっと勝ち続けなくてもよいから、
勝つべきところだけは落とさず勝って競馬を盛り上げていって欲しい。

ちなみに本日の戦果は、的中するも投入分がそのまま返ってきてプラマイ0円でした。

2011年5月27日金曜日

うもうのねぶくろ

シュラフ選択は大いに悩んだ。

自転車という移動手段の都合上、真冬の走行は転倒や事故の可能性が高まりとてもリスキーだ。
積載できる荷物の量も限られるので、なるべく暖かい時期を狙って走っていくようになる。

そこでのシュラフ選択である。
元々手持ちのsky high mountain works オリジナル sky high bag180を持っていこうと考えていた。

sky high bag センタージッパーがカッコイイ

シュラフメーカーのNANGA社のOEM生産のためクオリティは非常に高く、よく出来た逸品である。
センターに配されたグリーンの止水ジッパーはカッコよく、所有者欲を高めてくれるとともに
体温調整も容易にしてくれる。
ダウン量が180gのため、少し保温力が心配だがそこはシュラフカバーとインナーシーツで
幾分か温度は稼げるだろうと想定していた。

が、しかし…

暖かい季節を追いかける想定であっても、冬に追いつかれたり、アンデスの高所となると
夏でもかなり冷え込むらしい。一般に100m高さが変わると気温は0.6℃変わってくるといわれる。
世界最高所にあるボリビアの首都ラパスの気温を調べてみた。


年間平均で10度を下回っている…。


当面の僕の目標は南北アメリカ縦断でアンデスの高地は何度となく越えていかなければならない。
グラフはあくまで平均値であって、大きく下振れすることもあるだろう。
何もない荒野で風に吹き付けられたら、体感温度はグッと下がってくる。

暑いのは対策はいくらでもとれるが、寒さに関しては、手持ちの装備が貧弱ではどうしようもない。

こと睡眠に関しては最重要課題だ。
荷物が嵩張り重くなるのは仕方ない。

シュラフを買い足すことにした。
本当は、sky high bagにダウンを増量(NANGA社HPによると有料対応で出来るらしい)
したかったのだが、あいにく軽量性を優先したシングルキルト構造(つぶし縫い)だったので
せっかくダウンを増やしてもロフトが損なわれてしまう。

順当に新しいものを買うことにした。

NANGAのNANO BAG410。
sky high bagの元ネタになったシュラフでセンタージッパーが
ベーシックなサイドジッパーになったモデルである。
超撥水加工のNANO Texが施されており水分を寄せ付けない。
何よりも、ボックスキルト(隔壁を設けた構造)のため、ダウンのロフトが最大限に引き出されている。
肩周りにもショルダーウォーマーがつき、熱を逃がさないための工夫があちこちに見られる。
 
nano bag 肩の日の丸が心憎い



コンプレッションバッグで圧縮。恐ろしくコンパクトになる




















旅の夢はコイツに包まれて見ることにしよう。

買ったのが3月だったので本格的なテストをしないままになりそうだが、
ダウンが180→410(共に860FP)と倍増してることから問題ないだろう。
あとは手持ちの衣類を着込むのみ。

2011年5月26日木曜日

引越しました

引越しをした。
中川区から天白区へと名古屋の端から端への引越しだ。


有給消化中とはいえ、もうすぐ無職になるので
今回は引越し業者を使わず、2tトラックを借りてセルフ引越しにチャレンジ。

これが想像以上にきつかった。
最初に、洗濯機やら冷蔵庫を運んだのでいきなり握力を使い切ってしまい
ヘロヘロになって他のものを運んだ。

一回の荷積みでは乗り切らなかったので、往復した。

搬入は搬出に比べ階段も緩く、距離も短かったのでそれほどつらくはなかったが、
入れてからの、復帰作業が苦労した。
幸いにも割れたり、壊れたりしたものは皆無であった。

ものを設置するのも大変だったが、配線などの地味な作業も体力的にしんどく
昨日は途中で投げ出して寝てしまった。
なんとかリビング周りはきれいに復帰

キッチン兼通路。キッチンが狭くフライパン入らん。

一日経った今日も握力は戻ってこない。そして筋肉痛…
日常的にこれを仕事にしている引越し屋ってすごいなぁとつくづく思う。

しかし、引越しの度思うが、たくさんのものに溢れて暮らしているなぁということ。
人が生きていくのにこれほどモノが必要だろうかとも思うが、
こんな時にとか、もしもの時に…とIFが重なってモノがどんどん増えてくる。

なるべく、モノを買ったら何か代わりに捨てるようにしているが
それでもモノは減らない。

 “これでいい”って暮らしは難しい。

2011年5月24日火曜日

持ってくストーブ

sotoのMUKAストーブの発売が6月15日になったそうだ。


















MUKA=霧化とかけていてガソリンを霧化させて射出することにより
プレヒート(余熱)の時間を大幅に削減したそうだ。
詳しいことはよく分からんが。
アロマディフューザーみたいなもんか??
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4548718940066


去年の発表以来、メーカーHPがなんの音沙汰もなかったが
ようやくアップされていた。
http://www.shinfuji.co.jp/sod371.html

既にアメリカでは発売されていて、REIのサイトでも軒並み高評価。





















思わずポチってしまいそうだ…。


ウリにしているプレヒート不要や高火力(4000kcal)なんかはあまり魅力を感じない。

プレヒートの時間ってそんなにストレスだろうか?
高火力にしてガソリン喰うなら、火力を抑えて燃料効率を上げて欲しかった…

手持ちのMSR ウィスパーライトインターナショナルと比較して僕が欲しいポイントは


・燃料ホースが柔らかい  
・ゴトクもきれいにしまえる
・赤ガスでもススが出ない 
といった点。


燃焼や火力調整については及第点なら特に気にならない。
長期の旅になると、その都度出し入れが手間になるし、
水も限られた状況では、ガソリンのススで手が汚れるのは大きなストレス。

ウィスパーライトは燃料ホースは割と硬めで、調理中に燃料ボトルを動かしたい時や
収納するときのホースの取り回しに苦労していた。

ただし、ホースの柔らかさは一転して耐久性について不安がある。
ライターの高橋庄太郎氏もPEAKS紙面で言っていた。

そしてメンテナンスのしやすさはどうなんだろう?

長旅になればなるほど、故障の可能性は高まる。
そんな時にどこまでセルフメンテナンスでリカバリーできるかが気になるところ。

写真を見た限りだと、難しそうな…

本体以上にポンプが大変そう。
圧力ゲージや火力調整ダイヤルなど機能満載な分複雑なんではないか。
それはカタログスペックでポンプのみで164グラムもあることからも想像される。
因みにMSRのポンプは実測65グラム。
この99グラムの差が機能差でありメンテナンスのしづらさと予測するが…

むむ…

なんだかんだでポチりそうだなぁ。
発売が出発ギリギリだしよく検討しよう。

2011年5月23日月曜日

終わりました

日付は変わってしまったけど、仕事が一区切りした。

いよいよ旅が始まるのかという期待感が沸々と湧いてくる。

たぶん、このワクワク感は行く2~3日前ぐらいから絶望的な気持ちに変化するんだろうけどね。

んで、一ヶ月くらいはテンション低~いままなんだと思う。

『なんでこんなことやりだしたんだろう…』とか。

ペダルの重さにも絶句だろうな。

前のアメリカのときもそうだった。

でもそれも乗り越えていくのが旅の醍醐味。

楽しいことばかりじゃねーもんなぁ。

酸いも甘いも旅のうち。

今からその絶望への耐性を準備しておきます。

2011年5月21日土曜日

夜風

先週の長雨のせいか、空気が湿気を帯びて夜でも冷え込みが少なくなってきた。
蒸し暑いとまではいかないが、じっとしてると汗ばんでくる。

ついこの間まで、羽毛布団が手放せないくらいだったのに。

暖かくなって、というよりかは暑くなってきたので思い切って布団を封印してみたのだけれど
さすがにそれは早すぎて、一日で布団復活しました…

それでも羽毛に包まれなくてもよくなる季節まであと少し。

温い夜風を纏うと、なんだか妙な自信と期待感が湧いてくるのであった。

あと二日

早いもので仕事は土日の出勤を残すのみとなった。
残り僅かな出勤ではあるが、特別感慨深さがこみ上げて来る、という訳でもない。

ただ、思い起こせば色んなことがあった四年半だった。

改装あり新店あり、移転ありと赴任先でことごとくイベントごとがあり立ち止まる時間はなかった気がする。
文字通り突っ走った四年半ではなかったろうか。

仕事は楽しかった。
売上を積み重ねることはシンプルで奥が深かったし、
自分の働きがお店の浮沈を握るダイレクトさはとてもやりがいを感じた。

同時にたくさんの失敗もした。

その度に会社に守られている自分に無力感を感じた。

会社に居続ければきっと飯に困ることのないぐらいの給料をもらい、
失敗してもある程度の寛容さの中で働くことが出来ただろう。

だけど…

この会社しか知らずに、この先30年余年働き続けれるだろうか?

好きで入った会社で好きな仕事をさせてもらっているわけだけれど
この世界しか知らないことはとてももったいないことに思えた。

幸いにして、うちの会社はアルバイトから働ける会社だ。
外の世界を見て、やっぱりここしかないと思えたら門戸は開いている。
また、やり直せばいいのだ。

大きくなって帰ってきます。