サンアントニオの朝。
久々のベッドは快眠そのもの。
さすがに若干疲れが残っているものの、気持ち新たに出発。
夜中、ヒーターをつけっぱなしにしていたので、衣類も乾いていた。
袖を通すと洗剤のいい香り。
今日もがんばろう。
さて、ここから先は2つのルートに分かれる。
一つはそのまま51号線をたどって標高1200m州都サルタへ向かう道。
20km先ぐらいから舗装路だそう。
もう一つは途中の分岐で曲がり、サルタには寄らずに南下するルート。
このルートは道中、幹線道路としては南米最高地点4895mのアカイ峠を越える未舗装路。
どちらもカファジャテという街で合流する。
どっちの道を行くか、これはずっと悩んでいた問題だった。
未舗装路も慣れてきたことだし、南米最高地点といっても今いるサンアントニオからは1200m程度のアップ。
何とかなるだろう。
問題は下り。
未舗装の下りは舗装路よりずっと神経を使う。
砂、岩、対向車に気を使いながら、スピードの出し過ぎも厳禁。
上りと違って、景色を見下ろしている分、次の楽しみも少ないように思える。
ナスカから標高をあげて2ヶ月半。
久々に下界に下りるにあたって、自分で稼いだ標高は気持良くくだりたいものだ。
また故障したカメラの修理や、ATMでお金を降ろさなきゃならないし。
それにアカイ峠の“幹線道路”としては“南米最高”という表現も何か限定的でピンとこなかった。
幹線道路の定義も曖昧だし。
そもそもボリビアなんかではただの轍を道と呼んでいるところを走った。
何かそれ以来、“道”というものへの自分の認識が変わってしまった気がする。
というわけで、多少遠回りになるがこのままサルタへ向かうことに。
サンアントニオを出ると再びダートの上り坂。
ここからずっと下りだと思ってた自分には予想外だったが、
ちょうど前日見たガイドブックに、サルタ~サンアントニオ間を走る雲の列車号は最高4100m地点を走ると
書かれていた。
このコースはその線路とほぼ並走していくコースなので、おそらくそこまで標高は上がり直すと思い
まずは4100mを目指すことにした。
ダートと言っても恐らく定期的に手入れをされているのだろう。
道幅も広く、今までに比べるとはるかにマシ。
ただ、その分交通量が増え、トラックが巻き上げる砂煙が否応なしに口の中がジャリジャリと音を立てた。
途中、アカイ峠方面への分岐を過ぎる。
しばらく走って20kmは越えたあたりで
救急車が僕の隣をけたたましい煙幕をあげて抜き去っていった。
以前にも書いたが、後ろから砂が来るとサングラスの内側に入り込んで不快極まりない。
勘弁してくれよと、俯き加減に自転車を漕いでいた。
やがて砂煙が風に流され、道が晴れてゆく。
その霞の向こうに何やら灰がかったものが見える。
あれは…
舗・装・路だ!
アルゼンチン初登場のアスファルト。
あまりにも演出された登場の仕方に一人叫び狂う。
その上にタイヤを乗せると面白いぐらいによく転がる。
改めてアスファルトの抵抗のなさに驚く。
現在標高は4000m。
前方に峠が見えた。
あそこがピークだろう。
その峠まで、みるみる景色が近づいていく。
宝石の道、シコ峠を通って自分はこんなにもレベルアップしたのかと驚くほどに。
と同時にあまりにもストレスなく進む自転車に、ちょっとだけ寂しさを感じている自分もいた。
峠は果たして、この長きに渡るアンデス高地生活に終わりを告げる峠だった。
そろりと下りはじめた自転車はあっという間に60kmに達し、ブラインドカーブが多い最初の数kmを駆け抜けると
風景はやがて視界の開けたダイナミックな渓谷地帯を滑るように下りていった。
標高3600mくらいになるとあたりにはサボテンが林立し、にょきにょきと懸命に天へ向かって伸びていた。
そんな風景をスピードに乗りながら、余裕をもって眺められる。
やっぱりアスファルトの下りは最高だ。
このままサルタまで突き抜けてしまえ!
誰が利用するか分からない、荒野にポツンと建てられたバス停で昼ご飯を食べ午後の部出発。
この辺に下りてくると左右に見える岩の走が黒だったりオレンジだったりピンクだったりと色味を帯びてきた。
この近くには土が含む鉱物の成分の違いからカラフルに見えるウワマカ渓谷がある。
おそらくこのあたりも似たような性質を持っているため、色づいて見えるのだろう。
綺麗だなーなんて口を開けながら見ていると、さっきまでと流れる景色のスピード感が違っているのに気付いた。
あれっと思ってメーターを見ると20km程度しか出ていなかった。
強い向かい風だった。
どうやら、この辺り渓谷地帯になっているため風のとおり道になっている模様。
標高も下がったのでこの辺には背の高い木々も生えていて、それらは一律して僕の進行方向と逆に斜めに生えていた。
パタゴニアほどではないにせよ風が年中強いところのよう。
風はどんどんと勢いを強め、地形の関係上カーブに差し掛かるところでは、
風が集まってきて時に自転車は10kmを切るほど。
下りでこれって…
そこからはさっきまでのスピード感との幻影もあり、精神的に参った。
ちょっとづつ進んでいるのだが、アスファルトの抵抗がない分何となく押し戻されているような感じ。
それでいてサルタまで50kmを切ったあたりで、まさかの未舗装ダート復活!!
嘘だろ!?
少しの間だけかなと思ったがダートは延々続き、道はだんだんとか細くなり、やがて川沿いの絶壁を走るように。
なんで?なんで?
とかなり納得が行かなかった。
サンアントニオからサルタまではほぼ一本道。
間に大きな街は皆無。
となるとさっきまでの舗装路はどちらかの街からか作業員なり機材なり、アスファルトなりを持ってきて建設されたものだろう。
アスファルトの完成度は高く、ひび割れた部分も丁寧に補修されていた。
この舗装路を作るために、わざわざ未舗装の道を作業員たちが通って仕事をしていたと考えるとなぜ?と思ってしまう。
街の前後が舗装されてなくて、間のところだけ舗装されているなんて、ぬか喜びもいいところ。
だいたい作業をするのも街から舗装していった方が輸送も楽になるのでは??
どうしても作業が困難な断崖絶壁の道というわけでもなかった。
実際、崖沿いの道を嫌った車が、広い川沿いを走る轍を作っていた。
うーむ、納得が行かんなぁ。
せっかく気持良く下れると思ったのに。。。
ぶつぶつと文句を言いながら、けれど再び手足にガタガタと伝わる振動に少し嬉しさを感じつつ山を下った。
2012年12月30日日曜日
2012年12月28日金曜日
峠の向こうの街
昨夜はアルゼンチン側のイミグレ出てをすぐの分岐を間違った方に進み、仕方なしに道ばたで野宿した。
道路脇の窪地でちょうど風も避けれたし、光の加減で見えにくい場所。
と思っていたのは僕だけで、実際はたまに通るトラックから丸見えだったらしい。
事実、一台のトラックが僕のテントに気付き手を振ってきた。
まぁこんなところでキャンプしてる奴を襲う輩はこの辺にはいないだろうとそのままそこで朝を迎えた。
こんなところ。
明けゆく世界は恐ろしいほどに寒く、寝袋から身を出した瞬間にどんどんと手足の末端から熱を奪われていった。
しんどい思いでやっとテントを撤収し、出発。
日向だ、とにかく日向を目指そうと身を震わせながら走る。
相変わらずのガタガタ道、日向が遠い。
やっとの思いで太陽の下に出ると少しづつ熱が体に戻ってくるようだった。
ひとまず本日の目標は30km先のオラパカト。
ここまでいけば小さなストアがあって各種補給が出来るらしい。
で、このオラパカトまでの道のりだが、何故か一枚も写真がなかった。
撮った記憶がある気もするのだが、現実一枚もないので多分取ってないのだろう。
というかオラパカト以降もしばらく写真がなかった。
その間の僕は一体どうしてたんだ??
ガタつくコルゲーションが続く開けた道の先にオラパカトはあった。
遠くからそれを視界に捉える。
村へは幹線から数百m外れなければ行けない。
その数百mがこれまででもかなりきつい深砂で手こずった。
たぶん、村の出入りでここを車が頻繁に通るからだろう。
人口100人未満ほどの小さな集落。
うらぶれた雰囲気の村だが、商店の一つくらいあるだろう。
その辺で作業していたおっさんに声をかけた。
すみません、お店はどこですか?
ぺちゃくちゃと話しだすおっさん。
どうもチリに入った辺りからスペイン語が聞き取りづらくなった。
そして早口だ。
もともと分かっていないのがさらに分からなくなる。
後で聞いた話だと、チリ・アルゼンチンのスペイン語はかなり砕けた言い回しが多いらしい。
砕けた言い回しとは言うもののほとんど別言語のように聞こえる。
その中で分かった言葉を繋ぎあわせると、おっさんは“この街に商店はない”と言っているようだった。
んな馬鹿な。もう行動食がないんですが。
改めて、今度は水が欲しいと言うと、あっちだと指をさし、裏だと言う。
指で示された建物には古びた飲料水の看板が。
ここが商店か?でも裏に回れってなんでだろうと思いながら行ってみるも開かない。
はて?
と思いつつ、やむを得ず近くの学校にいた兄ちゃんに聞くと、彼もまた“ない”という。
水は?というと学校の洗面所に通された。
そういえば、さっきの建物の裏にも蛇口はあったな…。
そんなわけで今はタイミングかもしれないがこの村に商店はないようだった。
水が手に入ったので最悪の事態は避けられそうだが、肝心の食料に不安が残る。
明日まで持つかな?
完全にこの集落をアテにしていた。
時刻は正午。
次の街までは約60km。
まぁ…
行くか。
というわけでシコ峠越えの一応の終点サンアントニオ・デ・ロスコブレスを今日中に目指すことにした。
この悪路の中を100km近く走るのは相当骨が折れるし、日暮れも刻々と迫ってくる。
でも以外とこういう差し迫った状況が嫌いではなく、むしろ好きな方だ。
今日はどこでキャンプしようかなーと目標なく走るより、
今日はここ!って目標が出来ると走りにも自然と力が入る。
変わることなく悪路は続く。
しかし、慣れてくるとアスファルトの平地を走るよりも時間の経過が早い。
常に状態のマシな路面を探して集中しているし、登り坂ともなれば下半身だけでなく
上半身、とくに腕に神経を注ぐ。
何よりも、最大限に軽くした自転車のギアと、僕のペダリング、定間隔の呼吸、山の傾斜とがいつの間にか
一体化している時間がたまらなく心地いいのだ。
もちろん苦しいけど、それ以上に自分そのものもアンデスの一部となっているような一体感。
コルゲーションでビートを刻んで。
そんな感覚に陥っていた。
おかげでろくな写真が残っていないのが残念であるが。
まぁいいや。
形として残せない感覚を味わえたのだから。
そんな強がりを言ってみた 笑
やがてシコ峠の最高点4560mの峠を越えた。
峠の向こう側はこれまでの高地の回廊のような景色とは一変し、
今いる場所を頂点として確実に標高が下がるのが一目で分かる。
故に見える景色もパノラミックだ。
そんな景色とは裏腹に悪路の下りはしんどい。
ルート選びがスピーディーに展開されていくし、常に80%近いパワーでブレーキは握りっぱなしだ。
立ち上がって、膝と肘を使って衝撃を和らげ、こまめに前後に体重移動もしなければならない。
登りで感じたような一体感を得ることなく、全方向に神経を注がなければならない。
この下りも気づくと間の区間の写真が消失していた。
なので上の写真の次は、もう下り終えた後。
いったい僕は何を考えくだっていたんだ…
とはいえ、長い長い坂を下り終えると朽ち果ててはいるものの人家が目につくようになり、小川も並走するようになってきた。
サンアントニオの村が近いのだろう。
日が暮れる前にどうやら間に合った。
目の前に突然、大きな陸橋が飛び込んできた。
そしてその陸橋を越えた瞬間、サンアントニオの街が始まった。
待ってました、アルゼンチン最初の村!
チリ最初の街、アタカマと比べてどんよりとしてボリビアよりの雰囲気が強いアドベの家々が目についたが、
中心地のはずれには、画一的に同じ家が幾十にも並ぶ戸建の団地が形成されていた。
そして近くには巨大なパラボラアンテナ。
昔は鉱山の街として栄えた
こんなアルゼンチンの果てともいえるところまで、現代文明が押し寄せているようだ。
ボリビアっぽいと思えど、似て異なるところ。
ここはやっぱりアルゼンチンのようだ。
さて、街についた途端疲れたが一気に出てきた。
早いところ宿を探そう。
そう思ってセントロと思しき場所を走り回る。
が、なかなか宿がみつからない。
あってもどうもしみったれた外観であまり食指が動かず。
僕の体を癒すには少々の清潔感が必要だ。
数km近く街を走り回ったところで声をかけたおじさんが宿を経営しているというのでひとまずついて行った。
案内された場所は、こう言っては悪いが、ボロ家。
どうも期待できそうになさそうと思いつつ、案内してくれたおじさんに悪いので、ひとまず中を見せてもらう。
驚いた。
外観と違って、内装は手が入っていて客室もめちゃくちゃきれいだった。
値段もまぁまぁだったので、ここで即決。
パネルヒーターまでついてるし。
暖房器具のある世界まで僕は五体満足で帰って来た 笑
他の宿も中はこのぐらいきれいだったのかな。
しかし、この宿分かんないよなー。
だって看板すら出してないんだもん。
こんなところでした。
道路脇の窪地でちょうど風も避けれたし、光の加減で見えにくい場所。
と思っていたのは僕だけで、実際はたまに通るトラックから丸見えだったらしい。
事実、一台のトラックが僕のテントに気付き手を振ってきた。
まぁこんなところでキャンプしてる奴を襲う輩はこの辺にはいないだろうとそのままそこで朝を迎えた。
こんなところ。
明けゆく世界は恐ろしいほどに寒く、寝袋から身を出した瞬間にどんどんと手足の末端から熱を奪われていった。
しんどい思いでやっとテントを撤収し、出発。
日向だ、とにかく日向を目指そうと身を震わせながら走る。
相変わらずのガタガタ道、日向が遠い。
やっとの思いで太陽の下に出ると少しづつ熱が体に戻ってくるようだった。
ひとまず本日の目標は30km先のオラパカト。
ここまでいけば小さなストアがあって各種補給が出来るらしい。
で、このオラパカトまでの道のりだが、何故か一枚も写真がなかった。
撮った記憶がある気もするのだが、現実一枚もないので多分取ってないのだろう。
というかオラパカト以降もしばらく写真がなかった。
その間の僕は一体どうしてたんだ??
ガタつくコルゲーションが続く開けた道の先にオラパカトはあった。
遠くからそれを視界に捉える。
村へは幹線から数百m外れなければ行けない。
その数百mがこれまででもかなりきつい深砂で手こずった。
たぶん、村の出入りでここを車が頻繁に通るからだろう。
人口100人未満ほどの小さな集落。
うらぶれた雰囲気の村だが、商店の一つくらいあるだろう。
その辺で作業していたおっさんに声をかけた。
すみません、お店はどこですか?
ぺちゃくちゃと話しだすおっさん。
どうもチリに入った辺りからスペイン語が聞き取りづらくなった。
そして早口だ。
もともと分かっていないのがさらに分からなくなる。
後で聞いた話だと、チリ・アルゼンチンのスペイン語はかなり砕けた言い回しが多いらしい。
砕けた言い回しとは言うもののほとんど別言語のように聞こえる。
その中で分かった言葉を繋ぎあわせると、おっさんは“この街に商店はない”と言っているようだった。
んな馬鹿な。もう行動食がないんですが。
改めて、今度は水が欲しいと言うと、あっちだと指をさし、裏だと言う。
指で示された建物には古びた飲料水の看板が。
ここが商店か?でも裏に回れってなんでだろうと思いながら行ってみるも開かない。
はて?
と思いつつ、やむを得ず近くの学校にいた兄ちゃんに聞くと、彼もまた“ない”という。
水は?というと学校の洗面所に通された。
そういえば、さっきの建物の裏にも蛇口はあったな…。
そんなわけで今はタイミングかもしれないがこの村に商店はないようだった。
水が手に入ったので最悪の事態は避けられそうだが、肝心の食料に不安が残る。
明日まで持つかな?
完全にこの集落をアテにしていた。
時刻は正午。
次の街までは約60km。
まぁ…
行くか。
というわけでシコ峠越えの一応の終点サンアントニオ・デ・ロスコブレスを今日中に目指すことにした。
この悪路の中を100km近く走るのは相当骨が折れるし、日暮れも刻々と迫ってくる。
でも以外とこういう差し迫った状況が嫌いではなく、むしろ好きな方だ。
今日はどこでキャンプしようかなーと目標なく走るより、
今日はここ!って目標が出来ると走りにも自然と力が入る。
変わることなく悪路は続く。
しかし、慣れてくるとアスファルトの平地を走るよりも時間の経過が早い。
常に状態のマシな路面を探して集中しているし、登り坂ともなれば下半身だけでなく
上半身、とくに腕に神経を注ぐ。
何よりも、最大限に軽くした自転車のギアと、僕のペダリング、定間隔の呼吸、山の傾斜とがいつの間にか
一体化している時間がたまらなく心地いいのだ。
もちろん苦しいけど、それ以上に自分そのものもアンデスの一部となっているような一体感。
コルゲーションでビートを刻んで。
そんな感覚に陥っていた。
おかげでろくな写真が残っていないのが残念であるが。
まぁいいや。
形として残せない感覚を味わえたのだから。
そんな強がりを言ってみた 笑
やがてシコ峠の最高点4560mの峠を越えた。
峠の向こう側はこれまでの高地の回廊のような景色とは一変し、
今いる場所を頂点として確実に標高が下がるのが一目で分かる。
故に見える景色もパノラミックだ。
そんな景色とは裏腹に悪路の下りはしんどい。
ルート選びがスピーディーに展開されていくし、常に80%近いパワーでブレーキは握りっぱなしだ。
立ち上がって、膝と肘を使って衝撃を和らげ、こまめに前後に体重移動もしなければならない。
登りで感じたような一体感を得ることなく、全方向に神経を注がなければならない。
この下りも気づくと間の区間の写真が消失していた。
なので上の写真の次は、もう下り終えた後。
いったい僕は何を考えくだっていたんだ…
とはいえ、長い長い坂を下り終えると朽ち果ててはいるものの人家が目につくようになり、小川も並走するようになってきた。
サンアントニオの村が近いのだろう。
日が暮れる前にどうやら間に合った。
目の前に突然、大きな陸橋が飛び込んできた。
そしてその陸橋を越えた瞬間、サンアントニオの街が始まった。
待ってました、アルゼンチン最初の村!
チリ最初の街、アタカマと比べてどんよりとしてボリビアよりの雰囲気が強いアドベの家々が目についたが、
中心地のはずれには、画一的に同じ家が幾十にも並ぶ戸建の団地が形成されていた。
そして近くには巨大なパラボラアンテナ。
昔は鉱山の街として栄えた
こんなアルゼンチンの果てともいえるところまで、現代文明が押し寄せているようだ。
ボリビアっぽいと思えど、似て異なるところ。
ここはやっぱりアルゼンチンのようだ。
さて、街についた途端疲れたが一気に出てきた。
早いところ宿を探そう。
そう思ってセントロと思しき場所を走り回る。
が、なかなか宿がみつからない。
あってもどうもしみったれた外観であまり食指が動かず。
僕の体を癒すには少々の清潔感が必要だ。
数km近く街を走り回ったところで声をかけたおじさんが宿を経営しているというのでひとまずついて行った。
案内された場所は、こう言っては悪いが、ボロ家。
どうも期待できそうになさそうと思いつつ、案内してくれたおじさんに悪いので、ひとまず中を見せてもらう。
驚いた。
外観と違って、内装は手が入っていて客室もめちゃくちゃきれいだった。
値段もまぁまぁだったので、ここで即決。
パネルヒーターまでついてるし。
暖房器具のある世界まで僕は五体満足で帰って来た 笑
他の宿も中はこのぐらいきれいだったのかな。
しかし、この宿分かんないよなー。
だって看板すら出してないんだもん。
こんなところでした。
2012年12月26日水曜日
無人の国境
目が覚めて、気がつくと、僕は朝を迎えていた。
あれほど恐怖心を煽られた風も、ひとたび眠りに落ちればあとは夢の中に身を任せるだけ。
睡眠は、恐怖や疲労、寒さや空腹などあらゆる感覚を遮断した。
全くもって人の体は都合のいいように出来ている。
朝になると、昨日の風は止んでいた。
テントを畳んで出発。
再び砂の回廊を、広がる景色とは裏腹にガタガタと自転車を揺らし、電線が伸びる丘をぐるりと回りこむように登った先に
昨日めざそうとしたエルラコの寄宿舎があった。
標識の距離表示とだいぶ位置がずれていたが、この場所で人工物を見ただけで何故か心はひどく安心感を覚えた。
寄宿舎を横目に再び歩を進める。
再び丘を越え、長い下りに転じた坂の途中にチリの国境警備の詰所があり、そこで出国のパスポートチェックを受ける。
問題なくスルーし詰所先の岩場で昼食。
ここから国境まで20km程度と詰所にいた警備員に教えてもらっていた。
その20kmが今回のシコ峠越えの中でもハイライトと言えるスペシャルな景色の連続だった。
デジカメが壊れていたので、大した写真は撮れていないのが残念だが
同じような高地の宝石の道とも異なる山岳風景。
その微妙な違いを言葉で上手く言い表すことができずもどかしいが、
とりわけ最後の数kmは黒ずんだ小山がぽこぽこと顔を覗かせ
可愛らしくも別な惑星を連想させるようだった。
峠とは名ばかりの、やや下りがかったまっすぐな道にそれはあった。
アルゼンチンの国境ゲート。
あたりにはこれ以外何もない。
南米最終国の入り口はこれまでで最も寂しい場所に黙々とあり続けた。
このゲートは決して僕を待っていたわけではないが、僕はこのゲートをくぐることをひたすら信じ、やってきた。
あれは、旅を始めてまだ間もない頃、カナディアンロッキーを走っていた時だ。
街に着いてキャンプ場を探していると、“アルゼンチンに行こうとしてるやつってお前か!?”と声をかけられた。
小さな街だったので、あっという間に僕のうわさ話が広がっていたらしい。
僕は、そうだと言いつつも、その日の激しいアップダウンに参っていて
こんな体で果たして本当に行けるのか?とちょっと頼りなく返事をした記憶がある。
あれから20000km近く。
地球半周分にもなる距離を走り、いつしか自信を持って
アルゼンチンまでさ、ウシュアイアまで行くんだって言えるようになっていた。
ずっとずっと目指してきたアルゼンチンにいよいよ入る。
ここにはそれを祝福してくれる人はおろか国境の係員すらいない。
たまにトラックが砂煙を立てて通り過ぎるだけだ。
でもそれでいい。
まだまだ先は長い。
ウシュアイアまでだって6000km近くあるんだ。
胸をなで下ろすのは、もう少し後でだ。
てか今日の寝床の確保すら危ういし 笑
そう思いながら、鉄のゲートをくぐった。
あれほど恐怖心を煽られた風も、ひとたび眠りに落ちればあとは夢の中に身を任せるだけ。
睡眠は、恐怖や疲労、寒さや空腹などあらゆる感覚を遮断した。
全くもって人の体は都合のいいように出来ている。
朝になると、昨日の風は止んでいた。
テントを畳んで出発。
再び砂の回廊を、広がる景色とは裏腹にガタガタと自転車を揺らし、電線が伸びる丘をぐるりと回りこむように登った先に
昨日めざそうとしたエルラコの寄宿舎があった。
標識の距離表示とだいぶ位置がずれていたが、この場所で人工物を見ただけで何故か心はひどく安心感を覚えた。
寄宿舎を横目に再び歩を進める。
再び丘を越え、長い下りに転じた坂の途中にチリの国境警備の詰所があり、そこで出国のパスポートチェックを受ける。
問題なくスルーし詰所先の岩場で昼食。
ここから国境まで20km程度と詰所にいた警備員に教えてもらっていた。
その20kmが今回のシコ峠越えの中でもハイライトと言えるスペシャルな景色の連続だった。
デジカメが壊れていたので、大した写真は撮れていないのが残念だが
同じような高地の宝石の道とも異なる山岳風景。
その微妙な違いを言葉で上手く言い表すことができずもどかしいが、
とりわけ最後の数kmは黒ずんだ小山がぽこぽこと顔を覗かせ
可愛らしくも別な惑星を連想させるようだった。
峠とは名ばかりの、やや下りがかったまっすぐな道にそれはあった。
アルゼンチンの国境ゲート。
あたりにはこれ以外何もない。
南米最終国の入り口はこれまでで最も寂しい場所に黙々とあり続けた。
このゲートは決して僕を待っていたわけではないが、僕はこのゲートをくぐることをひたすら信じ、やってきた。
あれは、旅を始めてまだ間もない頃、カナディアンロッキーを走っていた時だ。
街に着いてキャンプ場を探していると、“アルゼンチンに行こうとしてるやつってお前か!?”と声をかけられた。
小さな街だったので、あっという間に僕のうわさ話が広がっていたらしい。
僕は、そうだと言いつつも、その日の激しいアップダウンに参っていて
こんな体で果たして本当に行けるのか?とちょっと頼りなく返事をした記憶がある。
あれから20000km近く。
地球半周分にもなる距離を走り、いつしか自信を持って
アルゼンチンまでさ、ウシュアイアまで行くんだって言えるようになっていた。
ずっとずっと目指してきたアルゼンチンにいよいよ入る。
ここにはそれを祝福してくれる人はおろか国境の係員すらいない。
たまにトラックが砂煙を立てて通り過ぎるだけだ。
でもそれでいい。
まだまだ先は長い。
ウシュアイアまでだって6000km近くあるんだ。
胸をなで下ろすのは、もう少し後でだ。
てか今日の寝床の確保すら危ういし 笑
そう思いながら、鉄のゲートをくぐった。
2012年12月25日火曜日
吹きすさぶ恐風
昨日到着したソカイレでは村唯一の宿がタイミング悪く満室だったが
併設された屋根付きのテーブル台で有り難くキャンプさせてもらった。
今朝、出発の準備をしていると、向かいの母屋からセニョーラが“食べて”と薄焼きのパンを持ってきてくれた。
手にとると温かい。
お礼を言って、いま焼かれたばかりのパンを頬張るとほんのりとバターの風味が口のなかに香った。
こういう親切に触れると、やっぱり力が湧いてくる。
やったろうじゃん、シコ峠!
すぐにチリに帰ってくるよ、と、チリ最後の集落を後にした。
ソカイレを出ると事前の調べ通り舗装が途切れたものの、問題なく走れる状態の道をぐいぐいと標高を稼ぐ。
午後になってミスティ山(?)が見える頃辺りから足元はだいぶ悪くなってきたが、ボリビアに比べればまだまだ。
やっぱり、一度最低を経験すると強い。
“あの時と比べれば”そう思うと全く苦にならない。
それにしても、僅か1日半で再び世界がもとに戻った。
アタカマでの緩く流れた時間が幻だったかのような。
のんびりだらだらも大好きだけれど、
やっぱりこういう厳しい自然環境の中、張り詰めた感じでガシガシペダルを踏むのもいいな。
今夜はキャンプのつもりでいたが、
思ったよりも早く早い時間に予定していたアグアスカリエンテス塩湖のミルキーな湖面を捉えた。
もう少し頑張ればエルラコ鉱山の寄宿舎にも手が届きそうだ。
そう思いながら、塩湖に下る坂をおりていたら、突風と深砂に足をとられ激しく転倒した。
その拍子にサイクルメーターが外れ、どこかへ行ってしまった。
すぐ付近を探したが見つからない。
砂に埋れてしまったかと砂を返して探したがどうにも見つからない。
他の装備ならまだしもサイクルメーターは僕の轍の証明になるものなので、どうにかして見つけなければ。
唯一、車なんて数えるほどしか通らない道なので車に轢かれて大破ということはないので根気よく探した。
あらゆる可能性を探って、結局見つかったのは転倒地点から約500mほど戻った下り坂の入り口だった。
1時間近く経過していた。
メーターを探して引き返していたときに、気づいたのだがこの頃になると、恐ろしいまでの西風が吹いていた。
宝石の道を走っていたときにも経験したことのないような爆風が西から猛烈に吹きすさんでいた。
走っている最中は東進していたので気づかなかったが、メーターを探している間にどんどんと風は強くなっていった。
メーターを拾って安堵している間もなく、今度は風の恐怖と闘いだった。
進む分にはいい。
この悪路にあって、ほとんど漕がなくても20km近いスピードが出た。
登り坂にも関わらず、だ。
だけど、時折進行方向が代わって横風になると、バランスを崩して再び転倒しそうになる。
塩湖をいくつか抜けながら、今日はどこまで進むか?自問していた。
下手なところでキャンプをしたらテントごと吹き飛ばされてしまうんじゃ?
まだなんとかエルラコまで行けるか?
すさまじい追い風な分、ストップした時の恐怖があり、止まるに止まれない状況だった。
途中にあった、本日のベスト野営ポイントに思えた岩がごろついたエリアもストップできず。
少し先に人工物のようなものが見えて、
あそこがエルラコか!助かったと思って最後の踏ん張りで行ってみると
ただの打ち棄てられたブロックと、巨大な送電線だった。
送電線が建っているのだからエルラコは近いような気がしたが、時刻も日暮れ間近。
最悪、見逃して通り過ぎていた場合にこの先風除けはないので、止むを得ずこのブロックを頼りにキャンプすることに。
が、このブロック、風向きに対して微妙に斜めっていて大した風除けにならなかった。
かといって周りは何にもない原野。
もうこのブロックを頼りにする他、術はなく。
テントを広げるだけで四苦八苦し。
中に荷物を入れた状態でテントを立ち上げたのだが、驚いた。
その重しをした状態なのに、風でテントが浮いて持ってかれそうになった。
慌ててポールを掴んで、両足でテントの辺を抑えて踏ん張る。
我ながら相当にダサい光景。
逆に誰もギャラリーがいないのが寂しくなるくらいだ。
ブロックからは鉄筋が出ていたのでそれを頼りに張り綱をがっちりと張る。
ようやくテントを張り終えたのは、ここに着いて30分以上たった後だった。
すぐさま幕内に避難する。もう夕食なんて食べる気すらおきない。
薄っぺらいテント生地がバタバタと風に抵抗をする音を立てる。
細いポールもギリギリと必死に風をこらえている。
大丈夫、大丈夫。
止まない風はない。
僕はきっと明日を迎えられる。
気を抜けば、テントもろとも吹き飛ばされてしまいそうな自分に
シュラフの中でそう言い聞かせ続けた。
併設された屋根付きのテーブル台で有り難くキャンプさせてもらった。
今朝、出発の準備をしていると、向かいの母屋からセニョーラが“食べて”と薄焼きのパンを持ってきてくれた。
手にとると温かい。
お礼を言って、いま焼かれたばかりのパンを頬張るとほんのりとバターの風味が口のなかに香った。
こういう親切に触れると、やっぱり力が湧いてくる。
やったろうじゃん、シコ峠!
すぐにチリに帰ってくるよ、と、チリ最後の集落を後にした。
ソカイレを出ると事前の調べ通り舗装が途切れたものの、問題なく走れる状態の道をぐいぐいと標高を稼ぐ。
午後になってミスティ山(?)が見える頃辺りから足元はだいぶ悪くなってきたが、ボリビアに比べればまだまだ。
やっぱり、一度最低を経験すると強い。
“あの時と比べれば”そう思うと全く苦にならない。
それにしても、僅か1日半で再び世界がもとに戻った。
アタカマでの緩く流れた時間が幻だったかのような。
のんびりだらだらも大好きだけれど、
やっぱりこういう厳しい自然環境の中、張り詰めた感じでガシガシペダルを踏むのもいいな。
今夜はキャンプのつもりでいたが、
思ったよりも早く早い時間に予定していたアグアスカリエンテス塩湖のミルキーな湖面を捉えた。
もう少し頑張ればエルラコ鉱山の寄宿舎にも手が届きそうだ。
そう思いながら、塩湖に下る坂をおりていたら、突風と深砂に足をとられ激しく転倒した。
その拍子にサイクルメーターが外れ、どこかへ行ってしまった。
すぐ付近を探したが見つからない。
砂に埋れてしまったかと砂を返して探したがどうにも見つからない。
他の装備ならまだしもサイクルメーターは僕の轍の証明になるものなので、どうにかして見つけなければ。
唯一、車なんて数えるほどしか通らない道なので車に轢かれて大破ということはないので根気よく探した。
あらゆる可能性を探って、結局見つかったのは転倒地点から約500mほど戻った下り坂の入り口だった。
1時間近く経過していた。
メーターを探して引き返していたときに、気づいたのだがこの頃になると、恐ろしいまでの西風が吹いていた。
宝石の道を走っていたときにも経験したことのないような爆風が西から猛烈に吹きすさんでいた。
走っている最中は東進していたので気づかなかったが、メーターを探している間にどんどんと風は強くなっていった。
メーターを拾って安堵している間もなく、今度は風の恐怖と闘いだった。
進む分にはいい。
この悪路にあって、ほとんど漕がなくても20km近いスピードが出た。
登り坂にも関わらず、だ。
だけど、時折進行方向が代わって横風になると、バランスを崩して再び転倒しそうになる。
塩湖をいくつか抜けながら、今日はどこまで進むか?自問していた。
下手なところでキャンプをしたらテントごと吹き飛ばされてしまうんじゃ?
まだなんとかエルラコまで行けるか?
すさまじい追い風な分、ストップした時の恐怖があり、止まるに止まれない状況だった。
途中にあった、本日のベスト野営ポイントに思えた岩がごろついたエリアもストップできず。
少し先に人工物のようなものが見えて、
あそこがエルラコか!助かったと思って最後の踏ん張りで行ってみると
ただの打ち棄てられたブロックと、巨大な送電線だった。
送電線が建っているのだからエルラコは近いような気がしたが、時刻も日暮れ間近。
最悪、見逃して通り過ぎていた場合にこの先風除けはないので、止むを得ずこのブロックを頼りにキャンプすることに。
が、このブロック、風向きに対して微妙に斜めっていて大した風除けにならなかった。
かといって周りは何にもない原野。
もうこのブロックを頼りにする他、術はなく。
テントを広げるだけで四苦八苦し。
中に荷物を入れた状態でテントを立ち上げたのだが、驚いた。
その重しをした状態なのに、風でテントが浮いて持ってかれそうになった。
慌ててポールを掴んで、両足でテントの辺を抑えて踏ん張る。
我ながら相当にダサい光景。
逆に誰もギャラリーがいないのが寂しくなるくらいだ。
ブロックからは鉄筋が出ていたのでそれを頼りに張り綱をがっちりと張る。
ようやくテントを張り終えたのは、ここに着いて30分以上たった後だった。
すぐさま幕内に避難する。もう夕食なんて食べる気すらおきない。
薄っぺらいテント生地がバタバタと風に抵抗をする音を立てる。
細いポールもギリギリと必死に風をこらえている。
大丈夫、大丈夫。
止まない風はない。
僕はきっと明日を迎えられる。
気を抜けば、テントもろとも吹き飛ばされてしまいそうな自分に
シュラフの中でそう言い聞かせ続けた。
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