2013年1月31日木曜日

真・散財の街

このサンティアゴ。
別名、博物館の街なんて呼ばれるくらい市内には旧文明の遺品やコンテンポラリーアートを収蔵した美術館などが
多くあるそうだ。
旧市街のセントロも、植民時代の重厚な石造りの町並みが保存され市内観光の中心になっているそう。
少し前の自分だったら多少無理してでも見に行っていたのだが、いい加減コロニアル都市は食傷気味だ。
それらにまったく行き気も起きなかった。
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代わりにこの街で楽しみにしていたことがある。
それはパタゴニア走行へ向けた装備の新調!
この中南米、エクアドルのキトを除けばまともなアウトドアグッズを売っている店を見つけるのは至難の業に近い。
パチものや中国製は多く見かけるのだが、やはり信頼が置けない部分がある。
旅も1年半近くに達し、各種装備がかなり傷んできたものもあるので、
ここらへんでクオリティの確かなものに買い直ししておきたい。

そういうことでまずは地下鉄に乗ります。
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メキシコシティ以来の地下鉄。
区間内は乗り放題で値段は時間によって異なる。

こいつに乗ってエルゴルフ地区へ。
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この辺りは開発が進む新市街の中でも特にハイソなエリア。
スーツをビシっと決めたビジネスマンが闊歩し、高層ビルが林立する。

ここでお目当ての…
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パタゴニアストア!カナダのカルガリー以来の再会。

さすがにこれだけ感覚があくと色々新製品が出ていて物欲が。。。
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これから必要なタイツと傷んだ短パンの買い替えをしたかったのだが、物欲に負け、結局必要ないであろうベストも購入。

いきなりこんな無駄使いしてしまって大丈夫か?
次に向かうところはもっとすごいと聞いている。
というのもそこは、アウトドアやスポーツの専門モールで馬鹿でかい店内に各種ギアが揃っていると聞くのだ。

そこへ行くには電車に乗って、更にバスに乗り換える。
ちなみにバスに乗るにはこのカードに入金して支払う仕組み。
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地下鉄はこのカードがなくても乗れるが、バスはこれがないと乗れない。発行料約3ドルと地味に高い。
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バスに揺られて郊外へ。
やって来ました。
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名前もそのまま。スポーツモール。
写真じゃ分かりづらいが、建物がクルーズ船をモチーフにしたデザインになっている。

入店するといきなりクルーザーがお出迎え。
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モール内に入っているテナントはそれぞれがそれぞれの専門店で、自転車屋だけでも4店舗以上あった。
なかには馬具専門店や車の屋根につけるキャリア専門店なんてのもあり、かなりマニアック。

館内中心、吹き抜け部にはクライミングウォールやSASUKEみたいなアトラクションもある。
そとにはスケートパークや人口波のでる装置があって館内は遊べるモールがテーマのようだ。
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各専門店の品揃えもなかなかいい。
さすがにピンポイントでこのメーカーのこれ!ってまでは行かないが各種必要なものはここで全て揃う。
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オルトリーブまで売ってるし。
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自転車屋だってこの通り。
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いやー、あるとこにはあるもんですなぁ。
自転車屋はともかく、アウトドア用品なんて中米じゃほんっとうに売ってなかったもんなぁ。

モールに入って以降、空いた口が塞がらないというよりはむしろ、ニヤケが止まらなくって終始口に手を当てて不審者がられないように平静を装った。
このモールでも替えのタイヤとチューブ、なくした鍵とライトなどを買った。

で、このあたり、このモール以外にも自転車屋が多数。
ちょっと歩いただけで3店舗ほど。
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サンティアゴの本気恐るべし。

しかし、装備を買い直しするのは何故にこんなにワクワクするのか。
早くこいつらを使って走り回りたい衝動にかられる。

本日の釣果はこちら。
うん、無駄使いしすぎました。。。
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さらに翌日はセントロに近い旧市街の一角を攻める。
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今度は食材の買い出し。
このあたりには韓国食材店があるのだ。
新市街とは違って、やや雑然とした町並み。
少しリマっぽい気もする。
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買い出しの前に腹ごしらえ。
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ここの韓国料理が当たりだった。
6,000ペソ(約1,000円)でそこそこするんだけど、小鉢が沢山ついてきてお得感満載。
どの小鉢もウマイし、やっぱりアジア飯は小鉢ですなー。

数件ある食材店もなかなか。
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ここで大量の韓国製ラーメンと味噌等々をゲット。
意外かもしれないが韓国製ラーメンは日本のインスタント麺より麺がしっかりしていてウマイ。
味付けも日本にないようなものも多くて、辛いもの好きな自分にとってかなり相性がいい。
ここの食材で残りの南米を乗り切るつもりでまた大量に買ってしまった。

サンティアゴ。
ここが博物館の街かどうかは全く分からないが少なくとも旅に関わる物資を揃えるなら中南米でも屈指の大都市である。

2013年1月30日水曜日

サンティアゴ到着

朝。
湖に落ちる朝日の陽光を見つつテントを撤収する。
さすがに高地なので、そこそこ冷えるが
指が切れるような痛みと格闘しつつテントを畳んだあのボリビアの高地に比べれば遥かにまし。
順調ならあと、2~3時間後にはこの山も下りきるだろう。

キャンプのお礼を伝えに、ホテルのレセプションに行くと
昨日の支配人らしきおばさんがもう働いていた。
朝も早いにも関わらずチェックアウトの黒山でごった返す受付。
そのすき間から、簡単に挨拶だけでもと機を見計らっていると僕に気付いた彼女が
『朝ごはん食べてくでしょ?』
と、さも当然のように僕を社食の食堂に招いた。
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さすが高級リゾート。
社食ですらこのクオリティ。
ハム&チーズにパン、そしてコーヒーをたらふく食べて、今度こそお礼を伝えにいく。
拙いスペイン語で感謝を伝えると
『いいのいいの、気にしないで。その代わり、私が日本に行ったときはよろしくね』
と返されてしまった。
こんな風にスマートに旅行者に無償の親切を与えれる彼女の懐深さに感服しつつホテルを後にした。

サンティアゴまで145km。
彼女にパワーをもらった今なら、今日中にいけちゃう気がするぞ。
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ホテルゾーンを抜けると一気に標高を下げるべくつづら折れに。
まじで99回折れてるんじゃないかってくらい、折り返しまくる。
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うね、うね、うね…
とカーブを曲がる。
こういう下り坂の場合、見た目には面白いが
ブレーキを使って減速しつつ下らなければならないので少しつまらない。

つづら折れを抜けるとカーブの緩やかな谷沿いを行く。
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トラックがエンジンブレーキを使いながらゆっくり下る所を、僕は姿勢を低くしブレーキを開放し一気に下る。
うぉぉー、行ったれー!!
何台ものトラックを大外一気で抜き去る感覚は、本当に筆舌に尽くしがたい。
上りのときはさんざん抜かれまくっているから、なおさらだ。

気がつくと
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あっという間に下りきった。

勢いそのままに、麓のロスアンデスには寄らず一気にサンティアゴを目指す。
残り80km。

ところが、サンティアゴに続く幹線道路は左右を山に挟まれ思いのほか再び上りに転じた。
首都の標高が500mほどだから、てっきりあとは平地かと思った。
そして気候がガラリと変わって、めちゃめちゃ暑い。
ロスアンデスで休憩を行けなかったことを少し後悔しかけたが、ナイスタイミングで野菜直売所併設の売店発見。

いつ以来?か忘れたが久々にジンジャーエールを発見し、それと一緒にこのあたりの飲み物であるモテもオーダー。
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モテは小さなモモと麦をシロップのようなものにつけた飲み物。
見た目の濃厚さに反して、割と飲みやすく、暑さで乾いた咽をほどよい甘みで潤してくれる。

一息ついて再出発。
坂を登り切る手前で再びトンネル登場。
昨日の国境のトンネルと同じく自転車通行不可。
手前で道路局のトラックを呼んでもらって、トンネルの向こうに渡してもらう。
トンネルがある事自体が文明を感じるのだが、さらにちゃんと自転車の規制をしているんだから
チリは先進国だなぁ。
ってここトンネル以前に道路自体がもともと自転車通行不可なんだけども 笑
まぁさすがにそこはラテンとゆーか。
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サンティアゴ近郊になるとさすがの交通量で、料金所も増えてきた。
ここでももちろんお咎め無し。
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そしてマック登場。
寄ってないけど、外で市内の地図調べるために勝手にネット繋がせていただきました。
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渋滞をかい潜りつつ、市内中心を目指した。
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中南米の首都に付き物の排ガスやホコリもなく、早く行けやと言わんばかりのクラクションの嵐もない、
それに乗れ乗れーというコレクティーボの客引きの声も聞こえない。
盆地にあるサンティアゴは排ガスによる大気汚染が問題になっているそうだが、各国の首都に比べれば遥かにまし。
それこそラパスなんかと比べれば雲泥の差だ。

渋滞で進みは遅かったが、ひどく淡々と交通が流れている。
そのことに、いいも悪いもないし、どちらかと言えばありがたいくらいなのだが
どこか肩透かしを食らった気分であっさりとセントロに着いた。

そこから少し離れたところにある目的の宿に投宿。
ベッドのマットもよくって快適に過ごせそう。
ここでイースター島やこれから始まるパタゴニアの準備をしたいと思う。

2013年1月22日火曜日

アンデス最後の峠 チリ再入

チリとアルゼンチンを分かつアンデス山脈。
3,000km以上国土を接しているにも関わらず、両国の関係は良いとは言えない。
人口の集中する中部において舗装路のまともな国境は唯一このリベルタドーレス峠しかない。
この峠の旧道には両国の大砲を潰して作った友好記念のキリスト像が立っているのがなんとも皮肉だ。
両国の垣根はアンデスより高いようだ。

道中、プエンテ・デル・インカと呼ばれる温泉成分が凝結した場所を横目に、
南米最高峰アコンカグアの登山口を過ぎると国境のトンネルに出る。
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かつては標高4,000m近いところまで登っての峠越えも現在は、3,100m地点にトンネルが掘られそこを通る。
ここは自転車通行不可なのでアルゼンチンの交通局がトンネルの向こうまでピックアップしてくれる。
最後のアンデス越えがなんとも消化不良に終わってしまうが、止むを得ない。
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3kmほどのトンネルの向こう側はチリ共和国だった。
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メイン国境だけあって、イミグレは非常に混み合っていた。
結局30分以上かかってようやく手続完了。
建物の外に出る頃は、日が暮れかけていた。

実は、今日はアルゼンチン側でストップする予定だったが、国境の街が日曜ということもありどこもやっていなく、
宿も営業していなかった。
仕方なしにその日にチリ入りしたのだが、チリ側は高級ホテルが立ち並ぶリゾート地帯だった。

到底手の届かない高級ホテルたち。
ただ、ここから下りに入るので、これ以上の走行は危険と判断。
どうにかここいらで夜を過ごさなければいけない。

それにアンデス最後の夜はどうしてもこの高地でキャンプして終わらせたかった。
というのも雪のかぶった山々に落ちるピンクの夕日が美しく、ここで泊まらなければならない使命感に襲われたのだ。

そこで、国境を出てすぐのホテルにキャンプさせてもらえないか、ダメもとで頼んでみたらあっさりとオーケーが出た。
しかも、客のいないロッジの庇の下を使っていいと言ってくれた。
ホテルはスキーの各国代表も合宿で利用するホテルにも関わらず、マネージャーの女性は
にっこり笑って“私が日本に行ったら、泊めてね”と言って快く泊めてくれた。
あっさり過ぎて拍子抜けしたと同時に、この笑顔が見たくてチリに戻ってきた気がする。
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そして、ロッジにテントを張った目の前には…
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このレイクビュー!!
ホテルの客室よりもどこよりも一番いい場所でテントを張らせてもらえたことに感謝。
山間に落ちる太陽を見送りながら、心地良い寒空の空気が体に入ってきた。
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コロンビアから始まったアンデス山脈との付き合いも、早半年以上が過ぎた。
もう南米の山道を走ることはないと考えると、こみ上げてくる感情は安堵や達成感よりも寂しさのほうが勝っている。
初めてのアンデスで登った丘の向こうに見えたヤルマルの街、4000mのパンパで出会った無垢な少年、
生命活動を拒否する無が広がる砂漠…
いつだって鮮烈な印象の残る場所の傍らにはアンデスがあった気がする。

またいつか戻ってきたい。