2012年5月27日日曜日

下山、生きる歓び、そして…

7時に山頂に立ち、9時頃には山小屋へ戻ってきた。

7時間近くかかった登りに比べ、下りは2時間しかかからなかた。
やはり下りは早い。

といっても急斜面を上ってきたと言うことは下りも同じ。
登頂の油断で下りで滑落なんてことないよう慎重に下りた。

それと自分は登りに比べて下りがとても苦手。
膝が弱く、ゆっくり降りないと下山した後大変なことになる。

それにしても、日がすっかり上って視界のひらけたコトパクシはたまらなく美しく
雪面に反射された太陽が輝き、時として神々しささえ感じさせるほどだった。
永遠の深い闇に見えたクレバスも神秘的なブルーに染まり、
氷壁からは、小学生の頃の僕が見たら大興奮してしまいそうな長い氷柱が無数に滴っていた。

ただし、滑落防止のためのザイルで互いにつながれているためそれらを写真をとる時間はなく
僕の心に焼き付けるのみとなった。

下山道中になると同パーティのベリンダはすっかり元気を取り戻して軽快に下っていく。
僕らより遅れて登頂したウルスラおばさんもひょいひょいっと下っていく。

一方僕はというと、登頂で体力を使い果たしたこともあったが
吹きさらしの風でお腹がヤバイことになっていた。

早く山小屋に駆け込みたいのに、苦手の下り。
焦ると滑落。
おまけに颯爽と下るベリンダとつながれたザイルが、僕のお腹に巻かれたハーネスを刺激する。
とてもリズミカルに。

やめろ、やめてくれぇ…

まじで八方ふさがり状態。

汚い話で申し訳ないが、正直もらすしかこの苦しみから解放される手段はないように思えた。

ギュル…

グルル…

グギュルギュルー!

僕の代わりに僕のお腹がSOSの悲鳴をあげる。

しかし無情にもその悲鳴は、氷河に吸い込まれ誰の耳にも届かない。

どうやら俺もここまでか…

僕は観念した。

生まれて27年と11ヶ月。悔いはない。

あ、でもパタゴニアは走りたかったな…

異国の地でこんなみっともない姿で 散る私を許してください…

そう、観念したのだ。



…したつもりだったのだが、ここで体力も精神力も尽きかけた僕に
不思議な変化が起きた。

体が、心が何も感じなくなったのだ。

なんだろう、この間隔!?

これが体のオートファジーってやつ!?(違う)

これが悟りを開くということ!?

悟りかどうかは分からないが便意も体力的な辛さも含め何も感じなくなったのは確かだ。
心は至って平常心。
もう早く山小屋ー!とかトイレ~とか何も考えなくなり
ただ粛々と歩くことしか考えなくなった。

ただし、悟りというものは煩悩が少しでも現れると一気に瓦解するようで
山小屋の黄色い屋根が見えた瞬間、全てを取り戻したかのように便意の苦しみが戻ってきた。

んぐぐ…

やっぱ涅槃への道は遥か遠いぜ…

でもあと少しだ。

黄色い屋根が見えたのはいいが、固いプラスチックブーツを履いた足取りは極めて遅く
おまけに2分に一度やってくるビッグウェーブがくると足が止まる。

おれは…

生きてかえるんだ…

うんこひとつで大げさな話だが、このときの心境は本当にこんなことを考えていた。

どうにか山小屋まで辿り着いた。

ただし、油断は出来ない。

トイレは小屋の離れにあるのだ。

それに誰か先客がいるかもしれない。

少しでも油断したら、待つのは死だ。

トイレまで時速2kmで猛ダッシュ。

ピッケルを投げ捨てトイレへ駆け込む。

先客は…

いない。

この勝負、俺の勝ちだ!!

最後の力を振り絞り、パンツを勢い良く引き下げる。

その刹那、便座に座り込むとほぼ同時に僕の体内溜め込まれた悪性物質をぶちまける。

『※□★△◎◆※★*$!!』

い、生き返ったァ~。

我が人生において最大級の安堵感。

僕は帰ってきたのだ。

僕は生きて帰ってきたのだ。

10分ほど便座に座り込み、生きる喜びを噛み締める。

さて、みんなも心配してるかもしれない、そろそろ小屋に戻ろう。









…… !





………!!

紙がねぇぇーーーーー!!!
(ここから先はご想像にお任せします)

2012年5月26日土曜日

5897mの天空世界

寝袋からひょこっと出した顔に冷気を感じて目が覚めた。

高地では呼吸の浅くなる睡眠時に高山病にかかりやすい。
寝袋に顔ごとうずめてしまいたいぐらい夜は冷え込んだが、
高山病になってしまってはまずいと顔を出し、意識的に深呼吸していたのだが
いつの間には深く眠ってしまったようだ。


昨日は、氷河での練習から帰ってくると、すぐに夕食となり
食べ終える頃には6時過ぎ。
夜半の出発になるため、山小屋で一息つく間もなく7時前には寝袋に潜り込んだ。

随分よく寝た気がするが今何時だろう。
どれぐらい時間が過ぎのかとポケットから携帯を取り出し時間を見ると
21時半。
19時に寝たのだからまだ2時間とちょっと。

あれだけの深く眠ったつもりだったのにこれしか時間がたっていないなんて
やっぱり少し緊張しているのだろうか。

たったこれだけの睡眠だったが既に眠気は消えていた。
しかし少しでも体力を温存すべく、ひたすら目を閉じた。
高地の乾燥地帯のためひどく喉が痛む。
枕元のコーラで喉元を湿らせつつ時間が来るのをまった。

23時あたりになると先行するパーティがガサガサと準備を始めたので
気になって横になっていることも出来ない。

しばらくすると、ガイドのマルコが僕らを起こしにやってきた。
寝袋から出る。
高山病の症状はない。
二日前から同程度の標高を行ったり来たりしてなんともなかったので
当然といえば当然かもしれないが、少しホッし、出発の準備にとりかかる。
防寒対策のためウェアはほとんど着込んでいた。
オーバーパンツとハーネス、プラスティックブーツを装着し1階へ。

シリアルの簡単な朝食が用意されていた。
しかし牛乳かと思って手にとった白のボトルはヨーグルトだった。
どうも牛乳が見当たらず、どうやらそのまま食べる様子。
既にボウルにシリアルをよそった後だったが、牛乳なしではどうにも食べる気がおきず
代わりに牛乳と見間違えたヨーグルトをこれでもかと、腹いっぱい流し込んだ。

朝食を終え次第、順次出発。

僕はガイドのパブロとベトナム人のアンとスリーマンセルでパーティを組むことになった。

小屋を出ると寒さは思ったよりも緩かったが、確実に氷点下以下。
晩に降った雨で雪が氷状になってなければいいのだが。

これだけの高地でどれだけの星が見れるだろうかと期待していたが残念ながら星は見えなかった。
遠くにキトの明かりが見える。

0時15分登頂開始。

昨日の練習で行った氷河の取り付きとは別な方へ行くようだ。
少しでも砂地で標高を稼ぐためだろうか。
20分ほどで着いた昨日の氷河の取り付きとは違って
1時間近く砂礫地帯を歩いて取り付きにでた。

ここでアイゼンを装着し、いざ。

細かい砂でズリズリと滑った砂礫地帯より、こちらの方がパワーは使うものの
断然歩きやすい。
心配していた雨もそれほど影響なく、しっかりアイゼンの歯が氷河に食いつきグリップしてくれた。

隊列は前から順にパブロ・アン・僕の順。
最後尾というのが有りがたかった。
先頭は、ともかく真ん中は自分の性格上余計なプレッシャーを感じてしまいそうだった。
一番後ろだったらとにかく何も考えず前についていくのみで気楽だ。
それに、パブロのペースも僕らに合わせたゆっくりなペースだったので息も乱れない。

高所登山は体力云々よりも高度順化がものをいうと思う。
だから僕は今回、高度順化のためピチンチャ山に登ったし、眠る時も深呼吸を心がけ水分も多めに摂った。

こうして歩いている時も、考えていることといえば深く腹式呼吸をすることで
呼吸の妨げにならぬよう口元は寒かったが外気に晒した。

5000mを超えたあたりだろうか。
一瞬頭部にピリッとした頭痛が走った。
まさかと思ったがその後その痛みは感じなかった。
今のはいったい…
相当高山病にはナイーブになってるってことか?

パブロのペースは究めて穏やかで本当に楽だった。
それにコロンビアンアンデスで会得したゆっくり上るための心の持ち方。
自転車での経験もここで活きている。

ただ、そんな中でもアンの呼吸が乱れだした。
はじめは立ち止まって休む程度だったが、次第に歩くペースが落ち、ピッケルにもたれて肩で息をするようになった。
様子からするとまだ行けそうなようだったが、真ん中ぐらいに出発した僕らのパーティは気づくと最高尾まで落ちていた。

登り始めて2時間まだ5200m地点。
厳しい山の洗礼がすでにはじまっていた。

このペースでは登頂が厳しいと判断したパブロ。
アンと別れ、僕が先行パーティと合流することになった。

アンは一度ここで休み、パブロは先行パーティに事を知らせに、僕も追いつくべくペースをあげた。
ガイドのアンはやはりさすがと言うべきか、一人になるとほぼ直登ぎみに氷河の急斜面をグイグイ登って行く。
僕にはさすがに真似できないのでジグザグにトラバース気味に進む。

一人で氷河を歩いていると、増して最後尾、前方にしか頼りの明かりがないので若干心細い。
ここで僕に何か起きてもすぐに気付いてくれる人はいないのだ。
前方に灯るヘッドライトの明かりを見失わぬ様ペースをあげた。

先行パーティのマルコ・ベリンダに追いついた時は少々息が切れていたがまだ大丈夫。
ここからは互いをザイルで結びアンザイレンで確保しあいながら上る。

マルコもパブロ同様、僕らに合わせて歩いてくれるので有難い。

しばらく続いた雪面地帯が終わり、氷壁が現れた。
先行チームは、その氷壁のリム沿いを登っているが、このあたりは風の通り道になっていて
雪庇になっている場所も多い。
誤って踏み抜いたら最後、足元にはどこまで深いか皆目見当がつかない深く暗いクレバスがバックリと口をあけていた。
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ここで僕らはマルコの判断により迂回して別なルートを通ることにした。

迂回したはいいものの、その先でも大きなクレバスがあったりして、何度も登り下りが続いてルートを探す。
これが体力を著しく奪う。
相変わらず頭痛は無いが、ひどく眠くなってきた。
やはり前日は寝不足だったのだろうか?
それともこれも高山病の症状のひとつ?

このあたりの斜面は傾斜も緩く、歩くのも楽なのでぼーっとした頭に拍車をかける。
そのうち半分眠った状態で歩いていた。
その時、右足を滑らした。
一瞬で僕は斜面に滑り落ち、そのまま滑落しかけたが咄嗟にピッケルを立てたこと
ザイルがつながっていたこともあり大事は免れた。

トレイルに戻り、さっき転落しかけた斜面の先を見るとどんな光も届かない漆黒の闇が広がっていた。

でも、どういうわけか僕は何も感じなかった。

一歩間違えれば死ぬかもしれないこの状況で、恐怖心も何も感じなかったのだ。
この時も考えていたのは、ひたすら呼吸を乱さないことというだけ。
あとどれだけとか、疲れたとか、寒さも何も感じずただぼーっと歩を進めるだけだった。

いま思うと、あの時の思考状態はちょととやばかった。
生きた心地がせず、ただの歩く人形だった。

そんな状態で何時間歩いたか分からなかったが、前方に光を捉えた。
先行グループの光だった。
どうやら元のルートに戻ってきたらしい。

ただ大きく迂回した僕らと、先に見える光には果てしない距離があるように見えた。
遥か、上空に見える明かりを追いかけて僕らは淡々と歩いた。

この頃になると、真ん中のベリンダが体力的に相当厳しくなっていて
10歩進んでは休むというような状態になっていた。

マルコが懸命に“がんばろう!”と彼女に声を掛けてどうにか持ち直すも
長くは続かず再び足が止まる。

彼は僕にも“大丈夫か?”と声をかけてくれ、僕も親指を立てて行けるよと返事をするも
実際には空元気で相変わらず頭の倦怠感は抜けていないし、
こうしてベリンダが止まってくれて、むしろ有難いくらいだった。

“百里の道も九十九里を以って道半ばとす”という諺があるように
頂上は近いようで遥か遠い道程だった。

ここまで来てリタイヤするわけにもいかない。
かといって上を見ると頂きはまったく見えない。
下を見ると、こんなとこを上ってきたのかと思う信じられない傾斜。
行くも引くもどちらも地獄。
こんな状況にあっても未だ僕の頭はフラフラしたままだ。
もしかしたらこれが生と死の間にいる間隔なのかもしれない。

両の足に装着したアイゼンの、24本の歯が僕をこっちの世界につなぎとめていてくれた。
それは1cm2cm程度、氷河に食い込んでいるだけのひどく頼りないものだった。

頂上まであと1時間だというあたりで休憩をとった。
この寒さにベリンダは指先をやられたらしく、マルコが必死に自分の呼気を送って
彼女の手を温めていた。
“あとちょっとだ、がんばろう!山頂の景色を僕は君たちに見せたいんだ”
そんな風に彼女を励ましていた。
この言葉がどんな風に彼女に響いたかは本人しか分からないがベリンダは再び歩き始めた。

ただこれだけの高所になると中々息が続かず、10歩歩いては休むという有様だ。
僕も体力的にかなり辛くなっていて、次の休憩の際、マルコにもたれ掛かるように倒れ込んだ。
疲労困憊の僕とベリンダをサポートしながら上るマルコも相当疲れているはずなのに
彼は僕を抱き支えながら言った。
“あつし、僕の国を訪れてくれてありがとう”
彼のこの言葉が胸を打った。
なぜ、彼がこの場でこの言葉を言ったのかは分からない。
けれど、僕は何かを取り戻したかのように
それまでの倦怠感はすっかり消え、頭は冴えだした。
そうだ、僕はちゃんと無事に下山しなければいけない。
登りましただけでは駄目なんだ。
日本に帰ったら、こんなことがあったんだよって話せるように生きて帰らなければ。

マルコのその言葉によって、僕は急速に生きてる間隔のようなものを取り戻した。
さっきの休憩のときのベリンダも同じ気持ちだったのかな。

気づくと空は白み始め、あらゆるものを吸い込むかに見えた暗黒に少しづつ陰影が浮かび上がっていた。

さぁあと、少しだ。

山頂に着く頃にはすっかり夜があけていた。
太陽は僕らの反対側だったのでその姿を捕まえたのは頂上に出る瞬間だった。
あと5mで山頂ってところで太陽の光が溢れてくる。
一歩一歩上るごとに、輪郭が大きく、くっきりしていく。
不思議な間隔だった、これだけ直視しているにも関わらず全く眩しくないのだ。
こんなに美しい太陽を僕は生涯見たことがない。
その太陽の全貌があらわになった時、僕は5897mの頂きに立った。

そのまま崩れ落ちるように僕は倒れた。
やった、ついに登り切ったのだ。

涙が止まらなかった。

登頂した達成感なのか、遮るものの無い天空世界の圧倒的な景観なのか、ここに導いてくれたマルコへの感謝の念なのか
生きていてよかったとの安堵感なのか、何が僕の心を揺り動かしたの分からないがただただ涙が止まらなかった。

ぜぇぜぇと荒れた息が少しづつ普段の調子に戻ってくる。
体を起こし、改めて辺りを見渡す。

そこには神々の世界に限りなく近い天空世界が無限に広がっていた。
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2012年5月24日木曜日

天空世界への誘い

ピチンチャ山から帰って来た翌日は一日休養日を設けゆっくり休んだ。
体力的に体調的にも問題ない。
ただ一つ、キトについて4日目カメラを盗られた日に食べた夕食を食べてから
ずっと水状の便が続いていたのが気がかりだった。

出発の朝、装備のレンタル屋にて集合。
9時の集合だったので、特別急ぐこともなくホテルの朝食を食べ、
いらない荷物を預け一旦チェックアウトしての出発。

明日の今頃、僕はコトパクシの頂きに立つことは出来ているのだろうか?
やれる準備はやった。
あとはひたすらに成功イメージを持って上るのみだ。

レンタル屋に行くと既に初老のおばさんが到着していて自分のギアの確認を行なっていた。
彼女はウルスラ。スイスから中南米の旅行に来ているそうだ。
けっこう、スペイン語もペラペラで聞けばメキシコで3週間勉強したそう。
多言語国家でイタリア語(スペイン語と似ていると言われる)も公用語の一つのスイスだから
そんな短期間でスペイン語の基礎をマスター出来たのかもしれないが、
その年齢で今なお衰えぬ探究心、それにこれから僕らとコトパクシに登ろうというのだから恐れ入る。

僕も同じく装備の確認をしていると、今度は女の子がやってきた。
オーストリア人のベリンダはキトの南400kmのところにあるクエンカでボランティアをしているとのこと。
オーストリアとオーストラリアを勘違いするのは僕ら日本人だけじゃなく
他の国の人達も同じようで、自己紹介をするといつも“あぁカンガルーの!”と言われるそう。
“それはオーストラリアだっつーの、まったく勘弁してよね~”なんておどける今時の女の子だった。

装備の最終チェックを終えると僕らのガイドになるマルコが迎えに来た。
英語堪能な明るい好青年ですごく印象がいいやつだった。

4人でトヨタのSUVに乗り込み出発。
30km南にあるマチャチの街で食料の買い出しともう一人のガイドのラウールと落ち合う。

マチャチを出ると未舗装の石が無理やり地面にねじ込まれたような
ガタガタの道に変わった。

時には車1車線の幅しかないような道もあり、ここで対向車がきたらどうするんだろうと
ハラハラしながら進んだ。

そして、よく分からない牧場の奥に佇むゲストハウスに立ち寄り、
もう一人、登山客をピックアップ。
カリフォルニア州出身のジョン。
もう標高は3500mくらいあるのにTシャツ一枚のいかにもって感じのアメリカ人だった。
このゲストハウスからはコトパクシが見えるそうだが、今日は雲がかかっていて
ここからはよく見えなかった。

再びダートのガタガタ道を行くと、ようやくコトパクシの公園ゲートに到着。
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園内にはいると、ダートには変わりないもののそれまでとは見違えるような綺麗な道に変わった。
それに、景色は最果て感の漂う荒涼とした平地に変わっていた。
これがアルティプラーノだろうか。
ときおりコトパクシダウンヒルツアーと思しき自転車が目に留まる。
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時間は午後1時。
園内にあるレストランで昼食ということで寄る。
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そこでさらに2人仲間が増える。
ベトナム人のアンとポーランド人の男の子(名前失念)

かなりインターナショナルな登山隊がここに結成された。

レストランで、サンドウィッチ、バナナ、リンゴ、チョコレートの昼飯を摂り
ここで靴を履き替え、ジャケットを来て山仕様に着替える。

関係ないけどレストランのトイレ。
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再び車に乗り込んで10数分走ると、コトパクシの麓の駐車場に到着。
この時点で標高4600m。
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太陽が出ている時間帯だったので、寒さはそれほど感じないが風がとても強い。
コトパクシの山頂は相変わらず分厚い雲で見えないが、少し先に氷河が見える。

今日は駐車場からも目視できる4800m地点の山小屋を目指す。
距離にしても大したことないように見えたが、先日のピチンチャ山の頂上付近の砂礫地帯のように
ズルズルすべる深砂で歩きづらい。
自分の荷物もさることながらみんなで食料を手分けもっているのでそれもまた大変だった。
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雪のない山小屋までは、地元民たちの観光スポットにもなっているようで
そこから下ってくる人も多かった。そいした人々は普段着で登っているし、まだ3歳くらいの子供もいる。
4000mを越える高地がない日本では考えられないことだけれど、
これがエクアドルにとってはスタンダードのようだ。
下ってくる彼らに、“山頂までか?頑張れよ”と声を掛けてもらうと否が応でもヤル気が出てくる。
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1時間くらいかかっただろうか?
本日の宿泊地になる山小屋に到着。
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但し今日は、これで終わりでなく荷物を置いた後に
ここから少し行ったところにある氷河の末端部分で
アイゼンとピッケルワークの練習。
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傾斜も緩いところでの練習だったので皆滞り無くアイゼンを使った歩き方を身につける。

ガイドのマルコがじゃあオマケといって後ろ向き歩きを教えてくれた。
山を背負って、向こうに姿勢を反転させるとそこには得も言われぬ美しい世界を見下ろすことが出来た。

『うわぁ』

この場所でこれだけの風景だ。

山頂から世界を見下ろしたら、いったいどれだけのものが見れるんだろう…

考えると、体の奥のほうがゾクゾクとした。

4800m地点から見た原色の世界は、遥か上空、天空世界へと僕を誘うのだった。
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2012年5月22日火曜日

コトパクシ前哨戦 ピチンチャ山

前回のブログでコトパクシ山のアプローチにはキトが便利だと書いたがそれには理由がある。
コトパクシ山のような5000mを越える高山はもちろん雪山対策や己の体力も重要だが
それ以上に高山病対策が必要だ。

高山病は体力のある、なしに関わらず人によって耐性が違うが
高地にある程度滞在することで順応させることが出来る。

キトの標高は2800m。
ここだけでも十分な高地だが、それでもコトパクシ登頂となると3000m以上の標高差となる。
都合がいいことにキトのすぐ裏には標高4700m近いピチンチャ山があるので
2800mのキト→4700mピチンチャ→4800mのコトパクシの山小屋と段階を踏めば
比較的順化を促しやすくできる。

しかも、ピチンチャ山の3900m地点までは麓のロープウェイで簡単に行くことが出来る。
こんなうまい話はないので、高度順化のためコトパクシ登山2日前にピチンチャ山へ。

といっても僕は特に登頂する気もなく4000m~4300mくらいのとこで半日過ごせばいいかなぁと
防寒具と雨具は持ったが、飲み物と食料はほぼ持たずに出かけた。

タクシーでロープウェイ乗り場へ。
入り口にはさみしげな遊園地が。
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遊園地の奥にロープウェイのテレフェリコがある。
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teleferiQoの名称通りQuitoだからQがついた名前だと思うが、キトはそのQにけっこうこだわりがあるらしい。
街中の至る所で青文字の円(O)にQの並線部が赤字で書かれたロゴはよく見かけるし
先日カメラをかったショッピングモールもQuicentroだ。
ケーブルカーの券売所にはこんあポスターも。
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キトのアンデスということでキンデス。
キトのQに対する並々ならぬこだわりを感じずにはいられない。

さて、8$で往復チケットを購入して乗車。
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ぎゅいーんと上がって10分後には4000m世界。

実は僕の最高標高は登山も含めてこれまでマレーシアのキナバル山で4100mないくらい。
それに近い標高まであっさり上ってくるんだから、ちょっとアンデス懐が深すぎやしないかい。

とゆうか、こんなんでいきなり6000m級の山に挑戦するのも無謀かもしれないな。

まぁ、とにかくこの辺ウロウロして高度順化だ。

ちょっとトレイルがあるから歩いてみよう。

テクテク。
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テクテク…
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ちょっと休憩。
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テクテク…
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ありゃりゃ、ひらけた尾根道歩きが楽しくて気付いたらけっこうきちゃった。
もう前方にピチンチャの頂きが見えてるし…
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なんか体がのってきちゃったぞ。
でももう午後過ぎてるし、天気も悪そうだしどうしようかな…
と思ってると前方から警察官の登山グループが。
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トレーニングかハイキングか分からないが、聞くと彼らはピチンチャ登頂してきたそうだ。
彼らが言うにはあと1時間で着くというので、この際だから上ることにした。

飲み物があと一口分しかないけど、気温も低いし大丈夫でしょう。

しかしトータルで50人以上の警察官グループとその都度挨拶してすれ違ったのだが
みんなユニフォームなのか上下黒のフリースに頭はバラクラバ。
POLICIAのワッペンが貼ってあるからいいものの、一見すれば囚人服風。
僕も最初は服役者の更生トレーニングかと思ったし。

しばらく行くと岩稜地帯に。
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この辺りは足場も不安定なところが出てくるので踏み外さないよう慎重に歩く。
ちょっと小雨がぱらついてきたけど雨具を来て前進。
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最後の頂上の岩場への取り付きは細かい砂礫地帯で足が埋まるは、ズルズル滑るはで案外大変だった。
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あとちょっと。ラストスパート。
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最後の方は、もうどこがトレイルか分からず、面倒だったのもあって岩を直登して登頂。

予定外の4696m。
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前哨戦の時点で自己記録更新。
特に高山病の症状もなく、このくらいなら順応できることを確認して下山。

と、その前に…

山頂にはだれもいないな…

としたら…

やっちゃうか!

おもむろにバババッと服を脱ぎ全裸で記念撮影。
昔読んだ野口建の本で彼の相方が登頂した瞬間に
極度の精神状態で山頂で裸になって飛び降りてしまったという記述があったが
決して高山病の症状ではないです。

男にはこんなことをしたくなるときがあるのだ。

※縮小表示ですがクリックすると大きくなります。
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とこんなアホをやってるうちに天気がさらに崩れてきて雹が降って来たのでそそくさと下山。
往路同様、道が分からなかったので無理やり降りる。
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こんな時は四肢を使って岩を降りてていくのでさすがに生身の手では寒かった。
手袋ぐらいもってくればよかったなぁ。

下山途中にトーマスというドイツ人と会って一緒に下山することに。
この辺になると雹はまた雨に変わってきたので足を滑らさないよう慎重に下る。
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ロープウェイ近くまで戻ってくると天気は持ち直してきた。
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途中でトーマスの彼女も合流して一緒にロープウェイで麓まで。
ちなみに彼女、オタバロのバスでバックパックまるごと盗まれたらしい。
それでもそんなこと気にせず旅を楽しんでる様子だったので、たくましいなと思った。
と同時に盗難や交通事故を含め自分の身の安全をバスに全て委ねてしまうバス旅は
やっぱり自分には向かなそうだなとも思った。

麓で彼らと別れて、バスとタクシーで新市街に戻る。

コトパクシ山への高度順化はこれにて完了。
果たして本番、高山病になりませんように!

2012年5月20日日曜日

増える遊び道具

荷物を受け取った翌週、旧市街から新市街のホステルに移った。

新市街はいかにも近代都市の様相で高層ビルに、大型ショッピングモールもある。
キトは中央部にアンデスの高峰群(シエラ)、東にアマゾン河のあるオリエンテ地方、
東の南国地方(コスタ)の遥か先に浮かぶガラパゴス諸島の玄関口にもなっている。
そのため新市街の一画、マリスカル地区はバックパッカーエリアになっていて
小奇麗なホステル、旅行会社、各国料理のレストランがひしめき合っている。

キトで主目的の荷物の受取は済んだのだが、荷物待ちの間いろいろ調べているうちに
挑戦しようと思っていたキトの南50kmにあるコトパクシ山へのアプローチには
キトが便利そうだったので安心して荷物を預けられる新市街のホステルに移ってきた。

キトはエクアドリアンアンデスの主峰チンボラソ山を筆頭に5000m超の高山が10座あり
コトパクシ山は5897mのエクアドル第三の山だ。
ちなみにチンボラソ山は、6310mの標高だが、わずかに楕円の地球の中心部に位置していて
地球の核からの距離でいうとエベレストを抜いて世界一の高さになるらしい。
同じく、コトパクシも火山の定義によるが一応世界一高い火山ということになるのだそうだ。

コトパクシ山はキトからのアプローチも容易ということもあって登山者にとっては人気の山だ。
登頂できるかどうかはともかくとして、こんな身近に世界一が転がってるんなら挑戦してみるっきゃないでしょ。
ということで、新市街の旅行会社を周って、コトパクシ登山を申し込んだ。

思いの外安く済んで、アイゼン、ピッケル、ブーツ、オーバーパンツのレンタル込で190$。
ジャケットや保温着、グローブは自分のものを使うことしたが、実際にはそれらも追加料金なしで借りることが出来る。

旅行会社は、コトパクシ山の麓からの自転車ダウンヒルツアーなんてのも催行していた。
楽しそうだけど…
自転車ってのは、自分で登るからダウンヒルが気持ちいいんだ!ってことでこれはパス。
コトパクシ登頂に目標を定め、準備に取り掛かった。

準備っていっても大したこと無いんだけどね。

新市街周辺にはアウトドアショップもたくさんある(とゆうかアメリカ、カナダを除いて過去最大級の品揃え)
その中で少し北にあるエクアドル国産のアウトドアブランドTattooの旗艦店へ。
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店内はアメリカのREIのみたいに体育館並の売り場面積にトレッキング、自転車、カヤック、クライミングなど
各種アクティビティのギアが揃っている。
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クライミングウォールや、山の書籍スペースもあるし。
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こんなアウトドアショップ久々でテンションアップ。

店内は自社ブランドのTattooのウェアが中心で、その他
マーモットやブラックダイヤモンド、オスプレーにキーンといったアメリカンブランドもけっこうあった。
キャンプグッズもGSIやMSRも一通り揃う。
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なんとMSR社の今年の新作ウィスパーライト・ユニバーサルまで置いてあった。
(ガソリン、灯油が使えるマルチフューエルストーブにガスも使えるようになった進化版)
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ほしい…

僕はクッカーとストーブに目がなくて
日本にいたころはついついすぐ新しいものを買ったり、アルコールストーブを自作したりしていた
(部屋で燃焼実験していて火災報知機鳴らした苦い思い出も…)

しかもこれ、間違えてガスが使えないインターナショナル版と値段が逆になってるんだけど…
もしかして、こっちの安い値段で買えたりして…

いかんいかん、こないだ自分のストーブのパーツ取り寄せたばっかじゃないか!

と商品の前でずっと葛藤を繰り返していた。

そうそう、本来の目的を果たさなければ。

この先の南米大陸はペルーのワラス周辺やアルゼンチン・チリに広がるパタゴニア地方などなど
トレッカーヨダレモノのフィールドがたくさんあり、そこでのトレッキングも旅の楽しみのひとつ。
先日のチリポ山登山で、やっぱりストックがあればなーと思ったので
コトパクシ対策も含めてストック選び。

むむーと一時間ぐらい試しあるいたり悩んだりで結局ストックじゃなく
長さ調整機能のないブラックダイヤモンド社のサポートポールを購入。
強度、実用的にはストックの方がいいんだけど、いかんせん自転車の時の取り回しが大変そう。
それも踏まえて、仕舞寸法が小さく、軽量なサポートポールに落ち着いた。

それと、今回の山とは関係ないが別なショップで小さなペンタイプの釣竿と仕掛けも安かったので購入。

むぅ、トランシーバーに単眼鏡、釣竿に、ストックとどんどん遊び道具が増えていくなあ。。

2012年5月19日土曜日

キト、旧市街で過ぎる日々

キトに到着してちょうど一週間。
ようやく日本からの荷物を受け取る事が出来た。

キト到着前に日本から発送しておいてもらって週末挟んで10日。
無事届いてよかった。

この手の国際郵便に関して、南米はおろかカナダなどの先進国でも
荷物が届かないとかものすごく待ったとか、挙句には紛失したとかって
悪評はよく聞くわけだけれど、僕の場合は
メキシコ、エクアドルと荷物を受け取って、カナダ、メキシコ、グアテマラ、エクアドルで日本に荷物を送っている。
どれも大きなトラブルなく届いている。
もちろん、首都クラスの大都市で荷物を受け取る、送り荷は日本で開梱しておいてもらう、重すぎず箱は小さくなど
細かい努力はしているし、日本から送ってもらう時も手間をかけてもらっているのだが(いつもありがとうございます)
いま現在のホントのところの世界の郵便事情ってどうなってるんだろう?
僕の運がいいだけなのかな?

たぶん、それだけじゃない気もする。

旅をしていると“あそこは危ない”、“どこどこで誰かが襲われた”などの話はよく聞くわけだが
実際に自転車で走ると、至って平和で噂ばかりが先行しているような場所がいくつも見られた。
ただもちろん、郵便と同じで暗い時間の外出を控える、人通りの少ないところは歩かないといった
基本的なことは守ってるわけで、被害に合わないようにする行動は心がけていた。

あ、カメラ2回盗られているよねってツッコミはなしで 笑

正直なところ噂で聞く危険地帯よりも、体感的に感じる危険地帯の方が
何か起こりそうな雰囲気がプンプンしていた。

話を戻すと、治安にしても郵便にしても少しづつ状況は変わってきていると思うのだ。
治安に関しては、プラスに転じている部分、マイナスに転じている部分双方あるので
一概に良くなっているとはいえないところがあるけれど
郵便や道路事情、その他インフラは中南米を旅している中で思ったよりいいというのが現状感じていることである。

精密機械の修理などもメキシコの片田舎でも修復してもらえたし。

悪い話っていうのは、聞く分にも話す分にもおもしろくていいネタになるので
話す方としては、事実に“+α”を加えがちになりやすいと思う。
そこに伝聞となると、話はもう事実が湾曲して広がり、残るのは極端な結果だけになるような気がする。

いい例が、僕の前々回のホテル・スクレの話だ 笑

とこんなことを書いて何を言いたいかというと
少しづつ、特に第三世界と呼ばれる国々も良くなってきていて
僕がこうしてブログに文章として残すことで
昔の風評被害に近い悪評を取り除いていければいいなぁということ。
なるべくなら、その国のポジティブな印象を伝えていければなぁということ。
地を這うように、バス旅行者がいかないド田舎を訪ねる(訪ねざるを得ない)
自転車旅行者ならではことだと思う。

話が長くなりましたが、、、
荷物受け取れてよかったぁ!!

トラッキングNoでチェックして6日目にはエクアドルの税関まで来ていたみたいだったので
それからは毎日、郵便局に行って荷物届いていませんかと尋ねていた。
郵便局員も親切にその都度、トラッキングNoで状況を確認してくれた。

そうして受け取った荷物。
中身は…
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自転車パーツとウェア等々。
一番のメインは小さくて分かりづらいが、ガソリンストーブのジェネレータ。
このところ愛用のムカストーブの調子が悪く、以前のような火力が得られず
もしかするとそろそろジェネレータの寿命が近いかもしれないと思い、調達。

ウェアはヘビロテで使っていたpatagoniaのウインドジャケットのジッパーががコスタリカで
壊れてしまったので、新しいものに。
同じサイズを送ってもらったのだが少しサイズ感が変わってゆったり目になっていた。
合わせて、自宅のタンスに眠っていたウェアも送ってもらう。

そして、アンデス最終兵器のリアスプロケ36T!!
パナマでも同じ商品が売っていたが、日本の倍以上の値段だったので日本で調達。
前回のスプロケ交換から6000kmしか使っておらず歯もしっかり残っているので、
今のスプロケは日本に返送。
34T→36Tと2Tしか変わらなけど、この2Tがアンデスではものをいうハズ!!
てことで装着。
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あと送ってもらったのはチリ辺りで交換しようと思ってるフロントインナーギアや
コロンビアで壊れたブレーキハンガー、データバックアップ用のUSBなど。

梱包に使われた日本の紙が懐かしかった。

さて、キト旧市街滞在中他にやったことと言えば
毎日泥棒市にも通った。

宿から10分位の大通りに面したビルに盗品が売られているマーケットがあると耳にしたので
盗まれたカメラがないかと探して周った。
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こんな感じでよくある雑居ビルのお店の中に新品から中古品、そして盗品と思われるものが並んでいる。
品揃えは玉石混交といった感じで、何年も前の携帯やカメラなども平然と並ぶ。
カメラも中にはかなりいい物も売られていて、Panasonicの防水カメラも売られていた。
値段は100$。多分値切れば90$ぐらいになるだろうしここで買ってもよかったかな。
でも、明らかに盗品だし、持ち主の未練が宿ってそうだしなぁ…

子供が店番に建っていることも多く、たまに商品の値打ちを知らない子に聞くととんでもない破格値を行って来る。
まじ?こんなに安いの?!と思って一瞬心が揺らいで、翌日同じ店に行って今度は店主らしき人に値段を聞くと適正値。
こんなやりとりも結構楽しい。

その中で一番心が揺さぶられたのがKingstonのUSBメモリで容量は256GBとHDD並の高容量だった。
値段を聞くと、40$とあり得ない安さであったのだが、商品を手にとって見せてもらうと
何故かパッケージはカラーコピー風の安っぽい印刷だし、肝心の容量“256GB”の文字は白いテープで上張りされているし…
この大容量にして対応OSはWindowsVistaだし(ビスタの時代にこの大容量は無いはず、あっても数百$レベル)
怪しさ満点すぎる。もしや256MBだったりして…
だって同じKingstonメモリを売っている他のお店でも16GBが最大容量で30$ぐらいなのに、この店だけ大容量すぎる。
パチモノなのか真贋なのかはどうでもよかったけれど、果たしてこのUSBメモリが本当に256GBあるのかはめちゃくちゃ気になった。

結局のところ僕のカメラは見つからなかったが、毎日通っているうちに本来の目的を忘れ
ウインドーショッピングを楽しむほうが日課になっていた。

思いの外、お店の商品は回転が早く前の日に売られていたものが、今日はないというのもザラだし
商品のカメラを触らせてもらい、試しに電源を入れると日本語表記だったり、挙句には
日本の電子辞書が売られていた。
僕と同じく盗難にあった旅行者の方、心中お察し致します。

毎日食べていたサッカーボールアイス。
程よい甘さのミルクチョコ味で20円。
類似品でパンダアイスもあり〼。
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そうそう一応、キトのセントロ。イストリコは世界遺産になってるんですが
撮ったやつは盗まれちゃったわけで…

やっつけ仕事で一回行ったとこももう一回行って写真撮ってみました。

特筆事項、なしです。

サンフランシスコ広場。
左手の角に見えるのがスクレで、一番左に写ってるレストランのWiFi電波パクってます 笑
スクレのリビングからはこの広場を見渡すことが出来て、夜景が綺麗なんですが
広場では突然朝6時にパレードをやりだしたりして、結構迷惑極まりなかったです。。
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このあたりは何故か文具屋、パーティグッズ屋が多い。クオリティは低い。
それでもお客は何に使うんだってくらいかごいっぱいにもりもり入れていた。
ちなみにスクレの一階も文具屋。
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ヘビ。海外にもあるんですね。
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街並み
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カテドラル
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時計台。上に上ることができる。
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スクレの最後二日間は、宿が一緒になった日本人旅行者の人の計らいで
その人が使っていた部屋を引き継がせてもらった。
ようやく電源、窓あり、野良電波あり。あざっした。
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ちなみに元の部屋。
これで同じ値段とか…
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