2013年9月27日金曜日

レオンの友人たち

レオンの図書館前で友人の八田と大学時代以来の再会をした。
彼は現在、このレオンに語学留学で来ていたのであった。
そこに僕の一時帰国が上手く重なったので彼に自転車を預かってもらうことにしていた。
数年ぶりに会う八田は、全く変わっていなく、それは彼も僕に対してそう思ったようで
「変わってないね」と異国の地スペインでお互いにそう言い合い、再会の言葉とした。

そして、彼にレオン在住のマコトくんという男を紹介してもらった。
彼はスペインが好きでこっちに移り住んでもう2年以上、
もともとスペイン語を専攻していたので言葉も流暢に話す。
八田曰く「レオン人以上にレオン人」と言わせる彼に、
どうしてマドリッドやバルセロナじゃなくてこの街にしたの?と尋ねると
「このくらいの規模だと街の顔がよく見えるから」と答えた。

その言葉の意味は帰国までの数日間、一緒に街を案内してもらってしみじみと思い知らされた。
カミノ・デ・サンティアゴを2度巡礼している彼はとにかく歩く。
歩きに裏打ちされた経験が、街を知り尽くしている。そしてよく話す。
街を歩くと彼の友達が色んな所から顔をだし、その都度足を止めて話す。
レオン人以上にレオン人と例えた八田の表現が納得できると同時に
街の顔が見える、その言葉の意味も分かったものだった。

夜になると僕らは毎晩バルへと出かけた。
ここで僕の今までのバルのイメージが一気に覆されることになる。
バルと言えばビールに生ハム。そんな感じでこれまでのバルは過ごしてきた。
他の料理もあることにはあるのだが、外れを引くのがちょっと怖いという理由で
いつも無難な生ハムを頼んでいたのだ。
けれど、バルというのはそれぞれのお店に名物タパスがあるもので、
その各店の名物タパスを知っている人と行くバルは楽しみ方がまるで別次元に変わった。
毎日4~5件程バル巡りをしていたのだが、
コロッケやスープ、オムレツなどバリエーション豊かで同じものを食べる日がなかった。
それにこのレオンはアルコール一杯に対しタパスがついてくるシステムで、
それでいて一杯1~1.5ユーロという安さ。
4~5件まわったところで、そんなにお金がかからないのだ。
毎度毎度、料理の豊富さと旨さに驚く僕に「これでいくらだと思う?」とニヤついた顔で
聞いてくるまことくんの顔が憎たらしかった。

レオンの中心部には目を引く美しいカテドラルがあった。
夜にはライトアップされて一層その姿が映える。
まことくんと八田にカテドラルや街の歴史なんかを教えてもらいながら、
ほろ酔い加減で毎晩その前を歩いた。
数日もいるだけなのに、随分長いことこの街にいるような感覚。
明日のことも荷持の事も、旅のことを何も考えない浮遊感はなんとも言えない感覚で。
スペイン北部に分類されるレオンはそれこそ夜は10度以下まで下がってかなり冷える
寒い寒いといいながら飲むビールと毎晩の締めに飲み干す行きつけのバルの名物スープを啜った。
目前に迫った旅の中断と一時帰国への実感はまるでないままだったが、
またこの街に帰ってこよ、帰ってこれるんだと思わせてくれる友人たちに感謝をしつつ
その時がやってきた。
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2013年9月12日木曜日

【近況】新連載始まりました。

相も変わらず、本当に相も変わらず更新が遅れている当ブログを御覧頂いている皆様
本当にありがとうございます。
さて、そんな状況にも関わらず、またもう一件、新連載が始まります。
リクルート社が運営する旅行サイトエイビーロードにて、
海外でするアクティビティをテーマに登山やトレッキングのガイド記事を書いていきます。
 こちらは毎月一本の連載となります。
 (ブログ右手のエイビーロードのところをクリックすると記事に飛びます)
ますます、こちらが後手に回りそうな予感は、既にプンプンしておりますが
エイビーロードはアクティビティ情報、MUJIブログは無印っぽく、
当ブログこそが旅行者目線としてのリアルな感情を綴ってあると思っていますので
長い目でこれからもよろしくお願いします。

とはいえ、エイビーロードも含めた他の連載もどうぞお楽しみいただけたら、
と思っています。
よろしくお願いします。

2013年9月9日月曜日

中断の土地

巡礼者の朝は早い。
アルベルゲのチェックアウトは朝8時だ。
7時に起床し、朝ごはんを頂き出発準備をする。
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標準時の関係で、この時間帯はまだまだ暗い。
まだ眠っている薄暗がりの街を背に走り出した。
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寒い。本当に寒い。
4月も中旬だというのに切れるような寒さ。
どうもカセレスの手前の峠で気候が北と南に寸断されている気がする。
こっちの朝晩はまだまだ冬の気配。
慌てて手袋を取り出してはめる。
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道端には先に出発した巡礼者が歩いていた。
「Buen camino」と挨拶をすると、それだけなのになぜか随分気持ちが軽くなる。
左手に視線を落とすと、まだまだ長く伸びる自分の影があった。
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こうやって影を意識しながら走るのはいつぶりだろうと考えてみると、
思い返しただけでも末恐ろしい暑さだったアメリカ以来かもしれない。
あの時は涼しいうちに少しでもと朝早くから自転車を漕いでいた。

長い影は一緒なのに、今日は早く太陽を焦がれているのに対し、
あの時は太陽よ出て来ないでおくれと心境が間逆なのがおかしい。

徐々にあたたまる体と短くなる影でそんなことを回想していた。

いったん影が形をほとんどなくす頃、レオン県に入った。
そして間もなくレオン都市圏へと入る。
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ここで旅は一区切り。
この場所に着いてもなお、日本に帰るのだという実感は湧かない。
まぁなにせ2年に近い時間を海外で過ごしてきたのだ、
今の自分にとって日本は非日常の世界なのだ。

この街に住む友人との待ち合わせの図書館前に自転車を走らせ、
そこで僕の自転車旅前半戦は終わったのだった。

2013年8月30日金曜日

エセ巡礼者の葛藤

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。

モロッコからスペインに入ってからこの言葉をしばしば耳にし、目にしていた。
スペイン北西部太平洋にほど近いサンティアゴ・デ・コンポステーラには
イエス・キリストの弟子の12使徒の1人、聖ヤコブの遺骸が祀られていて、
ここを参拝することはキリスト教徒の責務の一つであるとか。
そんなこともあって、
サンティアゴはエルサレム、バチカンに並ぶキリスト教三代聖地になるのだそう。
言ってみればお伊勢参りみたいなもんだろうか。

似ているといえばお遍路にも似ている。
このサンティアゴへ向かう道のうちスペイン国内分に関しては、巡礼路の整備が進んでいて
巡礼路各所にはアルベルゲと言われる巡礼路が格安で提供され、
また巡礼者向けの食事を提供しているレストランもあるのだそう。
そういった巡礼者向けの施設で歓待ともいえるサービスを受けるには
クレデンシャルという巡礼手帳が必須で、これに各所でスタンプを押して貰うことが巡礼の証明になる。
果たしてサンティアゴ・デ・コンポステーラで結願を迎えた暁にはクレデンシャルと引き換えに
巡礼証明書がもらえるそうだ。

信仰心のない僕にとって巡礼自体は特に興味を引くものでもないのだけれど、
「格安で泊まれる巡礼宿」これは随分と魅力的な響き。
それにちょうど今いるあたりは銀の道と言われていて数ある巡礼路のうちの一つ。
走っている時もバックパックと金剛杖を持った巡礼者をたまに見かけていたし、
巡礼路のシンボルマークの帆立貝も目にしていた。
この銀の道はそのままレオンまで貫いているし、一時帰国後の再出発後もレオンから
巡礼路で一番ポピュラーなフランス人の道に合流するのだ。
つまり巡礼路を辿っていけばフランスまでは宿の心配は無用になる。

そんな現金な気持ちが優先でサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路上にいるのだ。

実は銀の道自体はもっと南のセビージャが起点になっていて、
これまでも巡礼宿は見かけていたのだけれど泊まるために必要なクレデンシャルが
なかなか手に入らなかった。
起点のセビージャで手に入れておけば問題なかったのだけれど、
あの時は帰国のためのチケットの手配でそんな時間はなく、その後の途中の街々では曜日合わせが悪く週末だったり、小さな街では発行していないようでずっと入手できずにいた。
そんなクレデンシャルをここサラマンカでようやく手に入れた。
そうはいってもこの街でも、まずカテドラル行ったら修道院へ行けと言われ、修道院に行ったらここじゃなくて併設の事務所に行けと少々手こずったのだけれど。
まぁともかくなんとかクレデンシャルGet。
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これで巡礼者デビューだ。
信仰深く真面目に歩いている方々には申し訳ないが。
あ、ちなみに巡礼手段は自転車も認められています。

今日の目的地は60km先のサモラ。
サラマンカから先はゆっくりとした下り基調の平地だったので本当に一瞬で到着した。
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サモラは街の規模の割に随分静かな街で、これまででも最上級のシエスタをやっている。
街がゴーストタウンじゃないか。
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それが第一印象だったのだが、あとで知った話、どうやらこの日はサモラの属するサモラ県の祝日だった模様。
おかげで結局一日中街は死んだままだった。
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セントロ近くの修道院に隣接した場所にアルベルゲはあった。
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立地抜群。祝日が悔やまれる。
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BUEN CAMINO。ブエンカミノ。
これが巡礼路上の合言葉になっていて、良い巡礼を!そんな意味でみんな声を掛け合っている。

アルベルゲに入ると、世話人の男がチェックイン手続きをしてくれ、ベッドを案内してくれた。
チェックインの時にパスポートを出そうとしたらクレデンシャルだけでいいよと言われた。
この道上の通行手形であるクレデンシャルのパワー恐るべし!

初めてのアルベルゲはいかがなものかと、内心少し不安だった。
巡礼者ってみんな汗臭くて汚いんじゃないか、格安宿だけあって設備がひどいんじゃないか…と。

どれどれ…。

キッチン。
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リビング。
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ベッドルーム。
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めっちゃ綺麗じゃないっすか。

どれもこれも清掃が行き届いて清潔感満点。
洗濯物を干す物干し場もついていて、まさに完璧な旅人向けの宿。
聞けば、朝食もつくそうだ。
極めつけに現代の旅人に必須のネット付き。

それでいてお値段驚きの寄付制。
調べた所だいたいアルベルゲは5ユーロ~7ユーロ前後なので、
恐らく寄付額もこの程度で妥当なよう。
価格破壊もいいところ。
こりゃどうなってるんだ、連泊したいじゃないか。

といってもアルベルゲはあくまで巡礼のための宿なのでよほどの体調不良以外は連泊不可。
消灯も10時時には消灯だしチェックアウトも朝8時と時間の制限はかなり厳しい。
この時期の10時とかまだ空少し明るいし。

それを補って有り余るほどのコストパフォーマンス。
素晴らしい。

アルベルゲは巡礼を目的とした宿だから、目的が共通していて宿泊客と話す内容も
「どこからスタートした?」「何日目??」といった巡礼に関わる内容が多い。
そういった会話になる度、安宿目的で泊まっている僕は肝を冷やすような
肩身が狭くなるような思いだった。
とは言え、決してラクではない巡礼の道だからか、年齢層が高くて落ち着いた人たちが多い。
そんな巡礼者と会話をしているうちに、こうしたアルベルゲ文化も楽しいし、
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで行ってみようかな、そんな気持ちになってきた。

太西洋のあるロカ岬で折り返して、日本を目指すつもりだったのに、
また大西洋方面に向かおうかななんて考えているこの場当たり感…。
そもそもロカ岬だって当初の予定からすると予定外なのだ。
これ以上ヨーロッパの滞在期間を無駄に費やすわけにはいかないのだ。

うん、いかないのだ。
…そうなのだけれど。

そうなのだけれど、
ただ、それ以上に面白そうだなと感じている自分がいるのだ。





あーーーーー、もーーーー!!!!!

単に綺麗に一本道で轍繋げてったってしょーがねーもんなー。

わかったわ。

行くわ、行けばいいんでしょ。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ!!

行ったるわ、あー、もう!!

はい。
そんなわけで再び寄り道決定。
まぁ駆け足で走ってばっかりも何のためだかわからないしね。

とりあえず、明日はこの旅の前半戦の一区切りレオンだ。
奇しくもレオンは今いる銀の道と巡礼路のメインロードフランス人の道の交差するところ。
ここで旅の前半戦を区切って再出発はサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にしよう。

気持ち的にはかなーーーーり面倒くさいことになったなと思ってるのだけど、
でも目標が一つ定まるとそこに向かってワクワクする自分も確かにいるのだ。
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2013年8月28日水曜日

美しい街

サラマンカは美しい街だった。

まぁこう書き出してしまうと、はっきりいって後に続く言葉が出てこない。
美しいを補足するためにあれやこれやと陳腐な言葉をつけると
その美しいがどんどんと価値が下がる、そんな感じがする。

ただ、だからといって美しい、たったそれだけで終わらせてしまうと、
僕のこの旅は他の誰かにとってかわってもらってもいい旅になってしまうので
少しぐらいは説明を加えたいと思う。

僕がこの街を直感的にいいなと感じるそれは、多分にこの街がもつ空気だ。
歴史的にイスラムの支配下に置かれた時代を経て、再びキリスト教の手に戻った
言い換えれば、様々な変化を受け入れてきた街。
スペイン最古の大学を抱えるこの街は若い学生たちが通りを賑やかす。
今日では世界各地から学生が集まるから、すれ違う顔つきも人それぞれ。
そんな若い空気が、
歴史的な街だからといって懐古主義に留まらせない生きた流れがあるように思えた。

灯された光の織りなす陰影に溜息の漏れる夜のマジョール広場。
スペイン屈指とも言われる美しい広場の価値などお構いなしに地べたに座り、
思い思いに談笑する若者たち。

通りの反対側の先にある2つのカテドラルの間にある広場も日中は若者で一杯。
その若者に混じってサンティアゴへの巡礼路を行く、巡礼者がちらりと見える。
きっとこの人だかりの中には地元の人間もたくさんいるのだろうけれど、
外からやってきた者達がもたらす新しい風、その風が気持ちよく流れる街だった。
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たまたま昼と夜とで同じアングルで撮れた写真。
昼夜の街の表情の違いをご覧ください。
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2013年8月9日金曜日

リスボンの夕闇

リスボンには、ロカ岬到達前の宿泊も含めて合計4泊。
帰りの飛行機が迫っているので、当初は2泊くらいでさくっと抜けるつもりが
2日目か移動した宿が思いの外、居心地がよく風邪の治りも悪いので
ここでのんびり回復を待つことにした。

とはいえ、残された日数で今回の終着点である、
友人の待つスペインのレオンまではかなりカツカツの日程。
色々検討して、ポルトガルはやむを得ずここで切り上げて、
分岐のスペイン国境バダホスまでバスで戻ることにした。

そんなわけでバスチケットを買いにリスボンの新市街のバスターミナルまで来たわけだけれど、
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文明の香りがする別世界だった。
ポルトガルってEU諸国じゃお荷物国家のはずなのにこのクオリティ。
隣接するショッピングモールも随分とご立派。
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チリ・アルゼンチンで先進国って思ってたけど、やっぱ本場は違うわ。
このあたりは98年のリスボン万博跡地。ゆえに特に先進的な建築が集結するエリアになっている。
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ただ、先進国に戻ってきた安心感は嬉しいのだけれど、
なんとなくあの途上国の得体のしれないエネルギーというかパワーのようなものは
ここでは鳴りを潜めていてちょっと寂しい気も。
それはないものねだりだというのは分かっているんだけれど、
それにしてもあの玉石混交の中から“玉”を探しだすような感覚がここではないのはやっぱり寂しい。
ここはお金を出せばそのままの価値が返ってくる世界。
それはそれで分かりやすくていいのだけど、今の自分にはちょっと物足りないかな。
まぁまぁ、そんな風にいわゆる途上国と先進国を同じ土俵で比べてみても
まったく意味がないってことは分かっているから、ヨーロッパも楽しみ方を見つけて満喫しなきゃ。

バスのチケットを手配して、旧市街に戻る。
リスボンも地下鉄網が整備されていて移動はスムーズ。
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滞在中はこれといって何か観光をしたわけではないけれど、
毎夕に宿の坂を上ったところにある丘から暮れる街並みを見下ろすのが日課になっていた。
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石やレンガ作りの古い街並みってどちらかと言うと重苦しくて苦手なんだけれど、
こと夕暮れに関しては全くの別意見。
忍び寄る夕闇に、ぼぉっと灯る街灯が鈍く石壁に反射し深い陰影を作り出す。
ずいぶんといい雰囲気だ。丘にそよぐ夜風も実に気持ちがいい。
闇に染められた街ゆく人たちは単調な黒のシルエットとなり、街角へと消えていった。
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