2012年5月17日木曜日

地球の真ん中で考えた

さて、前回カメラの盗難になったというのに性懲りもなくスクレに滞在しています。。
施錠さえしっかりしてスキを見せなければ大丈夫そうなので
トイレに行く時などのちょっとのスキも必ず鍵を掛け、
洗濯物は部屋で干すか、乾くまで屋上で過ごした。

なんでここまで無駄とも言える努力をするかと言うと、
自転車下ろすの大変だし、やっぱりこの安さには逆らえないんだよね…

荷物もあと数日で届きそうだし、届いたら宿を移ろうということになった。

カメラは新市街にあるモールで翌日速攻買った。
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首都一番のモールにソニーストアありの法則。
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希望の防水モデルは売ってなかったが、一番活躍するであろうサンブラス諸島の旅も終わったし
まぁ扱いに気をつければ大丈夫でしょう。
防水とのトレードオフでズーム機能がUPしたってことで前向きに。

本屋にバガボンド売ってた。
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あ、そうそう自転車で超えた赤道の写真はないんですが
別で行った赤道モニュメントの写真は若干あったんです。

どん。
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ドン!
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DON!!
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こんな立派なモニュメント作っといて実はホントの赤道はここから200mくらい離れたところにある。
モニュメント作った後にちゃんと測り直したら実はずれていましたというなんともお粗末な話。
僕の通ってきた赤道はきちんと合ってたのにね。

ここの敷地内はいかにもテーマパークな感じで土産物屋やレストランが数多く並んでいた。
観光客も多く、線を跨いでキスしたり、
遠近差を利用して球状のモニュモントを手に乗せる写真を撮ったりそれぞれ楽しんでいた。

一度赤道を跨いできたので正直あんまり興味なかったのだけど
せっかくだからと来てみたのだが、まぁこんなもんか。

だいたい地球の真ん中と言われたたって正直ピンとこない。
この線が地球を南北に分かつとしても、僕にはなんの変化もかんじない。
アンデスの山を必死に上った先の下りのほうが僕にとっては分かりやすい地球の変化だし、
パナマ運河のようにはっきりと地形として切れ目があるわけでもないし。

この線に何の重みがあるんだろうか…

どうも僕はこの星の感じ方についてはマクロ的な感じ方より、
こういうミクロなことの方が何かと感じるものが多いようだ。

しかもさぁ、ここ入場料とは別に色々と追加料金かかるんすよ。
このモニュメントの上に上るのも別料金、本物の赤道に行くのも別料金。
入場したら最後、芋づる式に金を巻き上げられる。

ちなみに本物の赤道付近では重力が均等に働くというコリオリの力を利用して
卵を立てたり、シンクの水が時計回りに渦巻いたり、渦巻かずに流れ落ちる実験など
テレビでもたまに見かける恒例のショーが見れるそうだ。

僕はそこに行かなかった。

お金をケチったわけではない。

なーんか、その実験は胡散臭いし、第一だからそういう小道具使わないと地球の中心は感じれないのかよ~って感じで
自転車の下りとか上りとかのほうが分かりやすい変化でいいよなーとちょっと白けた気分だった。

あ、でも赤道上では北斗七星と南十字星が同時に見れるってあれだけはちょっと憧れるかな。

それに因んでか、モニュメント脇にはプラネタリウムが併設されていた。

料金追加で15$。

だーから、またお金とんのかよ!!

もう一度いう、お金をケチったワケではない。笑

2012年5月16日水曜日

キトの奇妙な宿

オタバロの村を出て役100kmの道程を2日間で走り、
エクアドルの首都キトに入った。

スペイン語で赤道(Ecuador)とそのままの国名を持つこの国の首都は
その赤道を跨いで南半球に位置している。

僕が走るパンアメリカンハイウェイ沿いには『世界の真ん中』と書かれた看板とともに
5m程の柱のモニュメントが建てられていた。

当然、僕もそのロードサイドアトラクションに立ち寄り、GPSで位置を改めて確認したり
赤道を跨いで写真を撮ったりとパナマ運河に続く、南北アメリカ大陸の一つの節目を満喫していた。

しかし。

そこで撮った写真はいま手元にない。

キトで泊まった宿でカメラを再び盗まれたためだ。


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キトに着いたのは土曜日の夕方。
その日は11時と遅めに出発したこともあり、都市圏に入るのが遅くなった。
市内に入ると、雨にも振られオタバロで清掃したばかりの自転車が早速のどろまみれ。
おまけにキトの手前20kmくらいから延々と上り坂が続き、さらに市内に入っても坂は続いていた。

普通、大都市に入る場合は安全のために午前中や午後一で到着するようにしている。

しかし、キトのセントロイストリコ(歴史地区)にはそのべらぼうな価格設定から世界中の旅人が
訪れる宿があり、事前に情報を仕入れていたので特に焦らず街に入った。

その宿はホテル・スクレ。

歴史地区の広場の角に立つこの宿はかつては一泊シングルで3$を切る値段だったそうだ。

キトでは日本から荷物を送ってもらう手筈になっており、中央郵便局留めで宛てた郵便局もこの宿の近くという利便性、
郵便事情が不安定なこの国でいつ到着するか読めない中、
荷物待ちでどこかに滞在しなければならないということに対して
現在の一泊4.5$という値段はあまりにも魅力的な価格だった。

ただ、この宿はもうひとつ別の顔があった。

“出る”
のである。

いや、何も幽霊が出るわけではない。

泥棒が出るのである。




都市圏に入って緩んだ気持ちに雨と坂道にやられてヘトヘトで僕はスクレに到着した。

レセプションのある二階にあげると名物従業員のホセが『アリガト、アリガト』と独特のダミ声で迎えてくれた。

部屋が空いているかと尋ねると、窓なしの部屋ならあるという。

昔、この宿は売春宿だったようで、恐らくその部屋は売春部屋だろう。

明日になれば、別な部屋を用意してくれるというので、
今日は近くの別なホテルに泊まろうかなと思って、他のホテルの場所を尋ねると
ホセは今晩も今日も泊まってけとしつこい。

まぁ明日、部屋を移れるならと今日も泊まることにした。

ホセは一階に停めた自転車を“盗まれちゃうからここに持ってきな”と
ホテルの角にあるリビングを案内してくれた。

正直、部屋まで持っていくのが一番の対策なのだが、今日の部屋は3階。
運び入れる体力が湧いてこず、案内されたリビングへ停めた。

リビングに自転車を停めていると、そこにいた宿泊客たちから“nice bike”とか“cool”とか言われ
少し僕は鼻高々に自転車から荷物を外していた。

部屋の準備を今からするから待ってくれと言われ、リビングで待っているうちに日が暮れた。
辺りは暗くなっているというのにリビングには明かりが灯されず暗いままだった。

この宿にはWi-Fiがないのだが、サンフランシスコ広場に面するその角のリビングだけは
広場に飛ばされた公共Wi-Fiと向かいのレストランの電波を拾うことが出来る。

自分のとこの電波でもないのにリビングの入り口には“Wi-Fi Zone”なんて書かれた看板を掲げていた。
暗くなったリビングを照らすのは誰が見てるわけでもないTVと野良電波につながれたPCの明かりだけだった。

そこで部屋の準備を待っていると、時折物売りがやってきてアクセサリーや食い物を売りに来た。
よくよく見ると、なんだか宿泊客ではなさそうな人も頻繁に出入りしていた。

嫌な予感がしたので、部屋の準備が整ったら結局自転車を部屋まで運び上げた。

3階に奥にある僕の部屋は、まさしく連れ込み部屋のそれのような様相だった。

窓なしの4畳半にベッドとゴミ箱。
裸電球のスイッチが有るだけで部屋に電源口すら用意されていなかった。
おまけに部屋の壁を塗り直したばかりのようで、強烈なシンナー臭が立ち込めていた。

そのくせ、壁の窪みに設けられた棚は手付かずのままボロボロで
そこに荷物を置くと真っ白な粉塵が付いた。

まぁ明日は部屋変わるし、この値段だし。

そう自分に言い聞かせ雨に濡れた体を温めるべくシャワーへ。
ガスで沸かしたシャワーは湯音も水量も豊富でよかったと思ったのもつかの間
しばらくすると、何故かドクン、ドクンと脈をうつように温水と冷水が交互に出るようになった。
おまけに温水の取手のところから熱湯が漏れ、取手を回そうにも火傷するぐらいあつい。

トイレも兼ねたこのシャワー室は朝晩になると入浴者がいるため、用を足すにも順番待ちになってしまう。
各階1つずつあるトイレは屋上のものは電気がつかず夜は使用不可、2階のものは便座がない。
唯一まともに使える3階のトイレもトイレットペーパーは用意されていないという有様だった。

久々のヒドイ宿に唖然としつつも、疲れていたので早々に就寝。
ベッドに横になって天井を見ると、天井は扉を3枚貼り合わせたような不気味な意匠だった。

翌日、12時がチェックアウトで12時半には部屋を用意すると言われていたので
午前中はどこにも行かずに時間を待った。

従業員のホセはまたダミ声で“オハヨ、アリガト”なんておどけつつも掃除をしたりシーツを干したり熱心に働いている。
ところが、約束の12時をすぎた頃、彼はリビングのソファで居眠りをしだした。

あれっ、部屋の交換は!?

そう思ってホセに要求すると“もう今日は空き部屋がない、明日だ明日”と言われてしまった。

僕の午前中が…

たぶん、部屋を交換する気ゼロだな。こりゃ…

ここラテンアメリカで彼らの言うことはこと全て適当だ、と言ったらラテンアメリカ全てを印象づけてしまうようで
あまりこういうことを口外すべきではないとは思うが、荷物待ちで長期滞在を予定していただけにこの共住環境かと落胆する部分は大きい。

しかし、リビングの済にドンと置かれたベッドを案内された人がいたり、まぁ使い勝手は悪いけれども温かいお湯がでるシャワーがあるだけでも
有難いと、日に日にこの独特の空間に馴染んでいった。

スクレ4日目の日。

馴染んできたといっても、ここは泥棒宿。
いかにも如何わしそうな目をした男やいつもバスタオルを巻いたままウロウロしている中年女など
油断は出来ない状況は相変わらずだった。
僕は防犯のために、部屋の明かりは常につけたままにしていた。

夕方、部屋で少しうつらうつらとしていたら何かの違和感を感じた。
目を開けるとく、そこは暗闇の空間だった。

電球が切れたようだ。

あららと思って電球の替えをもらいにレセプションへ。

しかし、レセプションの女は替えの電球はないという。

はぁ!?窓なしの奥の部屋でなにも見えないのにどうやって過ごせというんだ?!

女は明日準備するといってるが、どうせ部屋替えの時と一緒でそんなつもりないんだろ。
(案の定翌日になっても電球の話は一切出なかった)
電球切れで初日に感じた宿への不満が再び噴出した。
ふざけんなと思いつつ、このままでは夜を過ごせないので自分で電球を買いに行ったが
周りのお店は既に店じまいをしていた。

やるせない気持ちを抱えたまま、しかし部屋では何も出来ないので
やむを得ずリビングにPCを持ち込んで、メッセンジャーで友人にこの宿の不満を話していた。

相変わらずリビングも明かりがついていないが広場からの明かり、TVの明かりがあるだけまだましだった。
薄明かりの中、TVを見ている宿泊客の『イーッヒッヒッヒ』と汚い笑い声が延々と響き
僕のイライラは決壊寸前だった。

PCの充電も切れかけた20時前。
もう仕方ないから今日は寝ようと部屋に戻る。

その時、通路に使われていない電球があるのを発見した。
そこの電源をつけてみるときちんと明かりがついた。

そう言えば、屋上のトイレも電球がついていなかった。
たぶん、僕と同じように部屋の電球が切れて、替えの電球をもらえなかった人が
トイレの電球を持っていったのだろうか。

通路の電球は見たところ、取ってしまっても特に問題のなさそうな場所にあったので
これを部屋の電球に移植することにした。

クルクルっと電球を外して、部屋に戻る。
そうすると、部屋の鍵がきちんとかかっていないことに気付いた。

電球切れのイライラと暗闇の中だったので、きちんと確認出来ていなかった。
すぐに部屋に替えの電球をつけて見渡す。
特別変わった様子はない。

暗い中だったので部屋は少し散らかっている。
荒らされた散らかりっぷりではない。
あくまで自分で散らかしたものだ。

片付けて寝ようと、荷物を整理する。
と、コンパクトデジカメがないことに気付いた。

僕はあれっ思う前に、すぐ盗まれたと確信した。

と思いつつも念のため荷物を全部バラして、ベッドも毛布をとって探した。
が出てこない。

この時、僕はカメラが無くなったことに特に焦りはなかった。
“あぁ、やられたか”と冷製だった。
1ヶ月分まるまるの写真データがなくなったニカラグアのときと違って
今回はキト到着前まではデータも移してあったこともあるだろう。

それにここ数日キトを歩いてみて、予想以上にモノが溢れていたので
すぐに代替品を買えばいいやと切り替えれた。
カメラ以外の貴重品も部屋にあったのに被害がカメラだけでよかった。

さっき宿に対して怒りがメラメラと燃えていたのと
まるで対照的に落ち着いていた。

まぁ仕方ない。
自分にも非がある。
しかし泥棒宿で泥棒かぁ。

なんて苦笑しつつ、床についた。

さすがに眠る前になると、この盗難事件について考えてしまう。
犯人はだれだ?
そう言えば、向かいの部屋の現地人が僕が通路の電球を外している時、
なぜか部屋の扉のすき間からずっと覗いていたな…
まさかあいつが…?
とはいえ証拠はないし…
つっても僕の部屋は一番奥で、ここ数日いた中で、わざわざ奥の僕の部屋まで来る奴は
あいつぐらいだけだったし、今日に限って電気が消えてる変化に気づくのもあいつぐらいのはず。
電気が消えいて、僕がリビングに居るのを確認していれば部屋は無人だってわかるし…。
そんなチャンスを狙っていたところに、僕もヘマをやらかしたんじゃないか。
カメラだけ盗られたのは、直前までPCのUSBからカメラを充電していて
PCをリビングに持って行く時、一番わかり易いところに無造作に外していったから
暗闇で見つけた貴重品はカメラだったってことか…?
いやいや、人を見かけで判断しちゃ…
つーかこんな宿にこなければ…

と悶々と考えてしまった。

そうすると目も冴えてしまい、とうとう眠れなくなった。
パチっと目を開けると、扉のような天井が飛び込んできた。

窓もない密室空間にいて宿も客も信用ならないとなると
思考回路も少し狂ってしまうらしい。

その天井を見て僕は、もしかしてこの天井は本当に扉で
ここからだれかが部屋に入ったんじゃないかとさえ疑ってしまうのであった。

2012年5月12日土曜日

油断ならぬ山道と先住民の村

ここからエクアドルの首都キトまでは約200km。
100km先の中間地点にオタバロというインディヘナの村があるようだったので
今日はそこを目指すことに。

朝のエクアドルは空がどこまでも青かった。
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エクアドルの道は概ね直線が多い。そのためコロンビア以上に激しく上って激しく下る。
時速60kmと6kmを繰り返す。
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謎のマンモスのモニュメントが入り口に立つボリバルを過ぎると
昨日の丘陵地帯とは打って変わって再び厳しい山岳地帯へと突入。
アンデスは相変わらず息を飲む絶景がそこかしこに見せてくれる。
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ここから一気に下る。
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底の街は肌の黒い人が多く、やはりコロンビアと同じようにエクアドルもまた
標高で人種の住み分けがされているのだろうか?

少し行くと地図にはない集落があって、道路沿いにいくつもホテルが立ち並ぶ場所があった。

そこから川沿いをしばらく進む。

徐々に標高を上げるアップダウンで、勘弁してもらいたいタイプの道である。
休憩も入れずに走ってきたため若干バテ気味。

前方に街の影が見えた。

よし、あそこで休憩だと思い、ペースをあげる。
道は勾配を増してだんだん街の影から逸れて、しまいには180度ターンした。

えっ。

街の直前に山岳地帯ですか…

登り始めて分かったが、前方に見えている街の手前に大きな岩の裂け目があってそれを回避するように
山を上って行かなければならなかった。

他でも書いたかもしれないが、本当に気を緩めた後の自転車はつらい。

それにエクアドルの傾斜、コロンビアと比べてほんの1°とか2°とかの違いだとは思うのだが、踏み込みがきつい。
コロンビアを走っていた時、山岳耐性を身に付けたなどとのたまっていいたが、
それは井の中の蛙よろしく自惚れだった。

もう腹がへって力が出ない。
つづら折れの途中に見晴らしのよい場所があったのでここで昼飯。
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きれいでしょ?
実際は足元ゴミだらけですけど 笑

昼飯は良かったのだが、水の手持ちも少なく食後の一杯が飲めなかった。
腹は満たされたのだが、まだパワーがでない。
個人的な間隔だと、食事を摂ったあと一時間くらいしないと飯のエネルギーが還元されない気がする。

久々に押して上る。

これまたよく削ったなぁと思う岩場を抜け、ようやく街に入る。
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ただ街に入ってからも商店が現れるまでが地味に長く、おまけに久々の向かい風。
後少しがやけに長く感じつつもなんとかガソリンスタンド脇の商店へ駆け込む。

紅茶をがぶ飲みして人心地をつく。

そのころになってようやく昼飯のエネルギーもついてきた感じだったので
休憩もそこそこに出発。

このイバラという街は大きく、道路も片側3車線の道路だった。

街を抜けるために少々の上りを登り終えると、そこから気持ちのよい平地に出た。
道もいいのですいすい飛ばせる。

ただ平地というとやはり暮らしやすい場所のようで、そこから割と大きな街が続いた。
街道沿いに一泊12$と書かれた綺麗なホテルに若干心が揺さぶられたがなんとか我慢。

ラスト20km。

最後に強烈な下りを70kmで下ってオタバロの村にゴールイン。

一発目に入ったホテルが10$の割りにとても綺麗だったので即決。
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熱いシャワーを浴びて洗濯した後、外に出て街歩き。

オタバロのメインストリートはとてもツーリスティックで民族衣装やレストランがたくさん並んでいた。
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近くには民族衣装の露店やメルカドもあったのだが5時を過ぎると閉店らしく、皆店じまいの準備で急がしそうだった。
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で、この街で一番のお気に入りがこれ。
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街のベンチが対面してるのだ。
写真は無人だが、お互いに向い合って話しあっている姿もたくさん見かけて微笑ましい気持ちになった。
街のベンチって何か“休む”ためのものってイメージだったけど、こうして“話す”ためにあるってのもいいなぁと思った。

こんなベンチがあるのもこの国の雰囲気がそうさせるのかもしれない。

というのも、エクアドルに入って変わったことは今までもたくさん書いたが、
中でも街の雰囲気がとても変わった気がする。

コロンビアでは、片田舎でも通りを一歩外れると雑然とした暗澹たる雰囲気の場所がいくらでもあったのだが、
ここエクアドルは平和そのもの。
スリや窃盗などの軽犯罪には注意しなければいけないのだろうけど
これまでの中南米でも特に平和的な雰囲気を感じた。
もちろんキトなどの大都市に行ったら変わってくるんだろうけど。

オタバロは日が暮れても優しい明かりに包まれていた。
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穏やかといえば、コロンビアのマネキンはやり過ぎなくらい小顔で胸を強調した体型が多かったのだが
エクアドルに入ってようやく標準体型に戻った。
そうそう、それでいいんだよ。
そして男性マネキンに至っては控えめ過ぎる股間の盛り上がりになっていた 笑
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翌日。

本当は今日出発するつもりだったのだが、宿の居心地、空模様等々を鑑みて延泊することに。
それにPCのWi-Fiの調子が悪かった。
最近、たまに電波を捉えなくなっていて再起動したりすると直ったりしていたのが
この日完全に使えなくなった。
2度目のPC故障。やはり自転車の振動はメカにとってはきついようだ。
Wi-Fiの故障なら自分でもなんとか出来るかと思って、
街の電気屋へ。
外付けのアダプターを買ってきて装着するも。
セッティングが添付のCDでとのことだった。
僕のPCはCDドライブがない。

参ったと思いつつも、スマホでメーカーホームページにアクセスして
なんとかセッティング用のデータを入手することが出来、
PCの設定をいじってなんとか外付けながらもPCのWi-Fiを復活させることが出来た。

その後、また街歩きをしていたら民芸品の市を発見。
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キトに着いたら手持ちの荷物を日本に送る予定だったので
ここでアルパカのショールとリャマの帽子、インディアン柄のクッションカバーを購入した。

ちなみにここのオタバロ族は商才豊かな民族だそうで世界中に商売をしに出かけていくそうだ。
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ここまでオタバロ族のアップ写真がないのは、インディヘナというと写真を嫌うイメージがあるため
なかなか声をかけづらいのです。

なのでこれでご勘弁を。
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2012年5月10日木曜日

初めてのエクアドル

河を隔てた国境越えというのは大抵上りからのスタートである。
さてさてエクアドル。いったいどんな変化が待ち受けるのか。
ひとまず道路は大きく違いはない。
通りゆく車は…若干ボロくなったような気がするような、しないような…。

5kmくらいの緩い登りを終えると最初の街が見えてきた。
街の入口ぐらいで、前方に車が止まっていて運転手らしきおっさんが見えた。
おっさんは手の平を縦にして左右にサッサッとする動作を僕にしてきた。
結構交通量の多い道だったので、後続の車に気をつけるよう路肩を走れの合図と思い
路肩側によったのだが、おっさんはさっきのジェスチャーを再び繰り返している。
どうやらちょっとこっちに来いの合図らしい。

はて?と思いつつも悪いやつじゃなさそうなので自転車を停める。
どこから来たんだ?とお決まりの会話。
この手の話は本当に数えきれないくらい今まで繰り返してきた。
なので旅行についてならある程度、おっさんともスペイン語でコミュニケート出来る。
しばらくいつもの会話をしていると、最後におもむろに車の荷台を開けた。
荷台には大量のパンが積まれていて、おっさんはそのパンを2切れ取り出して僕に差し出した。
『これ食ってパワーだせよ!』とのことらしい。
いやいや最初のエクアドル人とのコミュニケーションでパンを頂くとは…
幸先よさそうですな。

話は少しずれるが、ここエクアドルに限らず、中南米どこの国でも大量の荷物を積んだ自転車
増してやアジア系の人間は珍しいのでとても目立つ。
故にこのようにちょっと来いと呼び止められる機会もよくある。
大抵どこから来た?とかウチの国はどうだ?とかの話になるのだが声を掛けてきた人の第一印象によっては
笑顔で手を振ってスルーするときもあるし、行き先はその国の首都ぐらいまでと答えることも多い。
最低限、自分の身を守るためだ。
なので彼らと話をしながらも、常に警戒心はどこかしらに持っている。
だから今回のように思いがけない親切心に触れるとやはりとても嬉しいものがある。

さて、最初の街トゥルカンは思った以上に大きな街だった。
ひとまず銀行でお金を下ろし、この国の物価を知るためにスーパーへ。
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ん?

んん?

んんんー!?

物価が安くなってるじゃないか。

飲み物の物価高に泣いたコロンビアから比べると同じ品物が3分の1くらいで売られていた。
約100円したオレンジジュースが30円で売っていた。
それにコロンビアの一部大型スーパーでした売っていなかったインスタントラーメンの品揃えも復活した。

エクアドルさん、やるじゃないか…

余談だが、その国の物価を調べるために見て回る品物は僕の場合、ラーメン・コーラ・ツナ缶である。
その他パンや肉、パスタは大抵どの国も安いのであまり参考にならない。

スーパーを出ると時刻はは11時。
今日の予定はこの街に宿泊のつもりである。
並ぶと聞いていたイミグレをあっさり通過できたので、時間はかなり余裕があった。
どうしようと思いながらセントロの方へ行きホテルを数件見つけたので訪ねてみる。
5$、7$、4$。
宿代もさがった。
値段は安いのだが、どうも僕の好みにしっくりくる宿がなかったこともあり
時間もまだ早いので予定を変えて次の街まで行くことにした。
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街の郊外は緩い上りになっていた。
傾斜もそれほどきつくはない。
道路の舗装も良くなり、路肩が広く取られていた。
断崖絶壁の山岳地帯が続いたコロンビアと違ってエクアドルは穏やかな丘陵地帯が広がっていた。
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2時間ほどかけて3100mまで上る。
その頃にはこの時期よく見られる雨雲が発達してきて
いつものように雨に降られた。
さすがにこの標高で雨は体が冷える。
峠を越えて下り基調なので余計に雨風が体温を奪っていく。

バス停が所々にあったので、そこで雨宿りを繰り返しながら40km。

なんとか目的の街へ到着。

この街も案外大きかった。

走っていて気づいたが、エクアドルは道路上にまばらに住宅が点在していたコロンビアと違って
村や町などの集落に集中する傾向が強いようだ。
なので町と町の間には家が少ない。
それに20km走れば宿の一つや二つあったコロンビアに比べて宿も少なかった。
到着したサンガブリエルの町も、この規模にしてこれしか宿がないの?と思わず思ってしまう。
セントロから外れたところの宿を紹介してもらい、投宿。
6人用の部屋を使わしてもらい、ガスで沸かした熱々のシャワーが使えて5$。
晩御飯は近くのハンバーガー屋で飲み物、ポテト付き2$。
結局今日は10$ぐらいしか使わなかった。

今回の国境越えはアメリカ~メキシコ越えについで変化が顕著な国境越えだった気がする。

なかなか旅がしやすそうな国だな。
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