ついにというか、ようやくというか、ホントにというかアグアスカリエンテスを出る。
誰がなんと言おうが、みんなが泣いて止めようが僕は今日出るのだ。
今日の晩飯はマグロだぞと言われたらあっさり揺らいでしまいそうなほど軟弱な決意だったが
一枚のバスチケットが首の皮一枚で僕の気持ちをつないでいてくれた。
出発の朝、荷物は前日にほとんどパッキングしてあり自転車にも積み込んでおいたので
それほど手間はかからなかった。
朝ご飯を食べ、いつもならスーパーに買い出しに行ってる時間だが
さすがに今日は時間がない。
おかげでバスの時間まで手持ち無沙汰になってしまい、やけに時間が長く感じる。
浅草の厨房はお昼に届ける弁当の準備でいつものように朝からせわしない。
タチートさんも今日は朝から仕事の打ち合わせらしく、満足にお別れの挨拶もできないまま行ってしまった。
けど、これでよかったのかもしれない。
見送られてお別れをしていたら、本当に寂しくて“やっぱり行くのやめます”なんて言い出しかねない。
そもそも僕はこのアグアスカリテンテスに突然転がり込んできた非日常なのだ。
僕がいようがいまいが、浅草もアグアスカリエンテスの街も“あぁそんなやつがいたなぁ”ってだけで
いつもの日常へと戻り、いつもの日々が流れていくだけだ。
そんな日常にお邪魔させてもらえただけで僕はとても幸せだ。
バスの時間が迫り、そろそろ行くねとおばあちゃんに声をかけたら
“おにぎり作るからバスで食べな”とおにぎり弁当を作ってくれた。
出来上がったお弁当を受け取り、出発しようとすると
“辛くなったらいつでも帰ってきていいんだからね”
やばい。
思いっきり染みた。
旅に出て5ヶ月。
素敵だな、いいところだなと思う場所はあった。
そこにもしまた行くとすれば感覚的に“訪ねる”に近い。
もし、浅草にアグアスにまた来るとすれば“帰ってくる”に近い感覚だっただけにこの言葉は染みいってしまった。
別れを惜しむでもなく、弁当をつくりながら何気なく言った言葉だったがたまらなく嬉しい言葉だった。
それはアグアス日本人コニュニティの一員として認められた言葉だったのかもしれない。
1ヶ月半ぶりにフル装備の自転車に跨る。
不思議と重さは感じない。
滞り無くバスに乗り込み、定刻通りバスは出発した。
緩やかに流れるバスは再び僕を自転車旅へと巻戻していくのであった。
タチートさん、本当にお世話になりました。
毎日毎日飽きない日々で楽しく過ごせました。
そしてすっかり肥えました。。
地中海2週間の旅、実現しましょうね。
それまでお元気で!
おばあちゃん、あんまりいい働きができなくてごめんなさい。
でも、おばあちゃんに怒られる自分、案外好きでした 笑
90歳になっても100歳になっても元気にお店を切り盛りしてね。
アグアスカリエンテスのみなさん 突然転がり込んできた僕をかまってくれてありがとうございました。
毎日たくさんの人に囲まれて僕は幸せでした。
特に伊藤さんには、お世話になりっぱなしでした。テキーラ村楽しかったです。
最後に挨拶できなくて申し訳なかったです。
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