2011年6月4日土曜日

自転車という手段

“僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって”
とくるりの岸田繁は歌ったわけであるが
僕が旅に出る理由も小さいこと大きいことひっくるめて百個くらいある。

その中で僕は自転車という手段を使って旅に出るわけであるが、それを話すと
“なんで自転車なの?”とよく聞かれる。
でも、自転車を選んだ理由もたくさんあるが故にいつも返事に窮してしまう。

振り返ってみれば、小さな頃から家族でG.Wは東北の温泉地を車で巡り、夏は日本海でキャンプ、
町の支援でオーストラリアにホームステイや、高校の修学旅行も当時としては珍しく海外と
福島県の電車も通っていない片田舎に住んでいた割には旅と海外は身近にあった。

加えて、当時はTVで売れないお笑い芸人が無理やり海外でに連れて行かれ、ヒッチハイクで大陸を横断するという番組が大人気だった。
僕も多勢に漏れず毎週食い入るように見ていた。
右も左も分からない状況下で起こる出来事に笑いを誘われつつ、旅が進むにつれ喜怒哀楽表情豊かになっていく彼らの姿は(この番組には演出が含まれていたとは思うが)小学生の僕にとって、旅の醍醐味を感じとるには十分な内容だった。

けれどヒッチハイクという手段には特別魅力を感じなかった。
元来の人見知りな性格もあるが、運を天に任せる的な旅のスタンスに抵抗があった。

そんな時、ふと旅の手段に自転車が浮かんだ。
自転車なら自分の行きたい場所に自分の意思で辿り着くことが出来る。
自転車と旅を結びつけた瞬間に無限の可能性を感じた。
陳腐な表現だけれど、正にそんな感じだった。加えて自分のエネルギーで推進力を生み出していくことに極めて納得できる妥当性を感じた。

旅と観光の違いはなんだろうと自分なりに考えてみると、目的地は一緒だけれど、目的地に辿り着く行程に比重が重いのが旅なのではないかと思う。
目的地を楽しむだけならば、飛行機や車で行けば良いだろう。旅はそこに辿りつくためにどんなストーリーを加えていくかに比重が置かれているのではないか。点が目的地で点と点を結び付ける線を描く行程が旅ではないか。

そう仮定すると、旅の手段に自転車はうってつけに思える。

徒歩よりも早く、徒歩以上に風の影響を受ける。上り坂で苦労した分、爽快な下り坂が待っているというのも公平でいい。アスファルトは快適だけれどダートの走りづらい。車では遮ってしまう、その地のにおい(森の香りであったり時には腐臭であったり…)も感じ取れる。暑い日にクーラーなんてないし、雨の日は泥にまみれて走らなくてはいけない日もある。
自転車で走ることは、五感に訴えかける地球の大きさを最もストレートに伝えてくれる手段だと思う。
そんな手段を使って、自分なりのストーリーで飾って目的地へ向かうことにとてつもないロマンを感じてしまう。
特別な技術はいらない。ただペダルを漕ぎ続ける覚悟と信念、ほんの少しのお金さえあれば、自転車は僕を知らない世界へと導いてくれるのだ。

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