そこにいたメキシコ人とフランス人の二人組に闘牛を見に行かないかと誘われた。
聞けばタダで見れるというではないか。
入場料はともかく、こういう観戦ものは一人で行くのはなかなか勇気がいるものなので
このお誘いはありがたいものだと思い、自転車を漕いで疲れきった体ではあったが
闘牛観戦に出かけることにした。
メキシコ人(名前を失念してしまった)とフランス人のマルコの間柄はよく分からなかったのだが
ふたりとも写真や報道関係の仕事をしているそうだ。
特にマルコの方は何年もこうやって旅をしながら写真を取り続けていて
僕がこれから目指す中南米の各地にも行ったことがあるとのこと。
もっとも、どの国のことを聞いても“Excellent”とか“No.1”とかの声が返ってくるので
今後の参考になったかと問われれば、なんとも言えないところではあるのだが…。
もちろん、本心から発せられる言葉だろうから、何が悪いってわけでもない。
タクシーで向かった闘牛場。開演を間近に控え入場ゲートは黒山の人だかり。
ゲートでは屈強そうなガードマンが一人ひとりを入念にボディチェックしていた。
とここで同行のメキシコ人の彼がガードマンと2,3言葉を交わすと、スーツをきめた女性が現れた。
彼女から手渡されたものはこれ。
報道陣向けのパス。
入場料タダのからくりはこれだったのだ。
マルコらに便乗しフォトグラファーということで入場。
すり鉢状の闘技場は既に満員で独特の熱気に包まれている。
さて、本題の闘牛について。
もちろん僕は人生初体験。
日本にも闘牛は高知県宇和島などが有名だが、日本のそれは牛VS牛の言ってみれば牛相撲みたいなもの。
スペイン由来のこちらの闘牛はマタドールと呼ばれる剣士が、赤いマントで牛を華麗に翻弄し、
隙を見計らってレイピアで一突き!牛は苦しむ間もなく絶命するというのが僕のイメージだった。
だが実際は違った。
生で見る闘牛は、何人もの剣士に翻弄され、何度も剣をさされ
少しづつ命を削られ弱っていったところで留めの一突きを受ける。
ザク。
ザクザクッ。
ブスッ。
バタン…
なんとゆーかこれは…
酷い。
酷すぎる。
牛フラフラじゃん、みんなで寄ってたかってさぁ…
つーか、牛が死にそうだよ?
牛に痛みも苦しみも与えず、一撃必殺で仕留めるものかと思ったが全く違った。
闘牛の“と”の字も知らずに華麗な何かを期待して、この場に来ていた自分が牛に申し訳ない気持ちになった。
もちろん剣士と牛の間での命のやり取りに関して、スペインやこの地で受け継がれてきた死の捉え方というものが
あるだろうから、闘牛の賛否について僕は何か意見を述べるつもりはない。
ただ、知識を持たずに興味だけで来てしまった自分の浅はかさ、闘牛への理解のなさからくる単純な
“可哀想”という感情が闘牛を初めて見た率直な感想であった。
戦いは牛と剣士を変えて数ラウンドあり、後半になるにつれ勇猛な牛、人気のあるマタドールが登場するようだった。
何度か見ているうちに一連の流れがあることに気がついた。
1・牛が入場すると、まず数人の赤い布をもった剣士たちが牛をあっちこっちへ誘い出す。
その間に甲冑をまとった剣士が馬に跨り登場。
騎馬戦士は、槍を持ち馬上から槍のリーチを生かして牛の首を一突きして退場。
こうすることで牛の頭が下がり、最後の一撃を決めやすい状態にするようだ。
2.再びマントで振り回される牛。
そうこうしていると今度は1双の銛(杭?)を持った剣士が登場し牛と一対一に。
じりじりと間合いを詰め、牛が猪突猛進してきた瞬間ひらりと身を躱すと同時に銛を刺す。
銛はあまり鋭利さはなさそうで刺すというよりかは『ぶっ刺す』という表現が的確のようだ。
3.この時点で牛はもう血ダラダラ。
刺突のダメージと振り回された疲労でだいぶ弱ったところで
真打ち・レイピアとマントを持ったマタドールの登場である。
今にも消えそうな命を削ってマタドール目掛けて突進する牛。
これをいとも簡単に交わすマタドール。
数分このやり取りを続けた後、最後の瞬間が訪れる。
4.相も変わらず、人間に一泡吹かせようと突っ込む牛をマントで躱し
牛の首裏にレイピアの刀身が見えなくなる程に深く突き刺す。
一見、何事もなかったかのように再び対峙する牛とマタドールだが
程なくして牛は足元から力が抜けていき、やがて絶命する。
5.剣士たちには観衆から拍手喝采が贈られ、その間倒れた牛は
馬に引きずられズルズルと退場していく。
これが一連の流れ。
初めは華麗に牛の突進を交わす華麗さに心を奪われたが
牛を倒すための段取りを見ていると次第に、僕の気持ちは牛側に移っていた。
観衆は躱す瞬間、剣を刺す瞬間“オーレ!”と掛け声をかけ剣士を鼓舞する。
完全アウェーの闘牛。
せめて僕だけでもと応援しなければと思ってしまった。
マタドールにもやはり上手い下手があるようで、刺突を失敗することや突進を喰らう場面も散見された。
(そうした場合は周りに待機しているマントマンたちがダッシュで駆けつけ、牛の攻撃を引き付ける)
そのたびに心のなかで、牛へ拍手を贈っていたが
結局のところ、どうあがこうが最終的に彼らの命は奪われてしまう。
結末が決まっている物語。
闘牛場へ入場する牛たちが自分の死期を悟っているかどうかは分からないが
傷を負いながらも勇猛果敢に立ち向かっていく姿を見ながら僕は何といっていいか分からなかった。
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