2012年11月10日土曜日

食とおみやげの宝庫 ラパス

ワイナポトシから帰ってきて幾星霜。。。
ラパスでのメインイベントが終わったのでウユニに向けて出発しなければいけないのだが、なぜか僕はまだここにいた。

少し振り返ってみよう。
まずはけんちゃんの野菜炒め定食で祝杯をあげ…
s-DSC08754
街散歩。
s-DSC08755
そしてブルーベリーカフェで照り焼きチキン。
s-DSC08756
アレキサンダーカフェ。
チョコラテ、チョコケーキはクドすぎた。。
s-DSC08758
コカミュージアムに行った後は
s-DSC08759
再びけんちゃん。
s-DSC08760
これはどこだっけ?たしか高めのホテル併設のレストランかな。
s-DSC08761s-DSC08762
楽器ミュージアムにも行ったしね。
s-DSC08767s-DSC08769s-DSC08777
韓国食材店でラーメンと素麺GETした後は
s-DSC08785
けんちゃん何度目??
s-DSC08786
ボリ飯?
そんなもん食ってない。

ある日はエル・アルトでの定期市に行った。
史上最大規模の青空市。
ちなみにエル・アルトも登山の時も含めて行くの四回目 笑
s-DSC08800
s-DSC08815
泥棒市としても有名なこの市。
とくれば…
s-DSC08807
NTT docomoさん!
盗まれた人ご愁傷様です。
中身はどうやったか分からないがこっち使用に書き換えられていた。

s-DSC08791
ラパスの町並み。
s-DSC08820
エル・アルトの市ではケルティのデイパックを見つけ購入。
お値段80円の爆安価格 笑 どうなってんだ。

市に行ったら、突然おみやげの物欲が爆発しちゃってラパスに戻っておみやげ屋巡り。
正直、普通のおみやげ屋は対してクオリティが高くないのだけど、ちゃんとブランドをつけて売っているお店は
なかなかデザインも良い。
他のお店に比べればそりゃあ高いけど、日本に比べれば断然安い。
ぜひちゃんとしたお店で買うことをおすすめします。

買ったものは
s-DSC08824
ケルティデイパック 80円
ミラー 10円
アルパカのマフラー 800円
アルパカ柄ポーチ 550円
s-DSC08825
牛革ショルダー 4400円
牛革携帯ケース 800円
牛革ノート 1100円
カセットテープ小物入れ 400円

9000円弱でこんなに買えた。
ボリビア物価万歳。

写真ないけど締めもけんちゃんで。
翌日分のカツ丼弁当まで作って貰っちゃった。

ラパス。
正直町並みは陰気でいい印象はないけど、飯とおみやげに関してはかなり楽しめる街でした。

2012年11月8日木曜日

身勝手な来訪者

山頂で20分ほど時間を過ごした後、下山を開始した。
足場がはっきりと見えるのでだいぶ楽、とはいえ油断するとかなり危険だ。
s-DSC08726
下山は僕が先頭で進む。
s-DSC08732
s-DSC08731
見渡すことの出来るようになった世界も綺麗だ。
s-DSC08734
軽快にペースをあげ…ようと思ったら、モトミくんが高山病を発症し、息も絶え絶えになっていた。
サヌキくんも登頂で体力を使い切っていたので、ペースをおとしてゆっくりと進む。

すげぇな、こんなとこ登っていたのか。暗闇って怖いな。
s-DSC08735s-DSC08736
相変わらずフリアンはマイペース。
自分の写真の撮りたい時に急に止まってはセバスチャンを待たせていた。

30分ほど下ると、これから山頂を目指す女性2人組とすれ違った。
あれっと思った。
昨日山小屋で見かけたときは3人だったはず。

と彼女たちは先頭の僕に話しかけてきた。

『仲間の一人が高山病になっちゃって…
300m下に置いてきたんだけど、危険かしら?』

おいおいおい!!!めっちゃそれ危険!!

高山病は標高を下げるのが鉄則だし、この山じゃ一人で下山も出来ないじゃん!!!

そう答えると彼女たちは
『彼女を山小屋まで連れ帰ってくれないかしら?』
と僕に頼んできた。

僕としてはもちろんそれはそうしたいところ。
しかし、僕らの命を握っているのはガイドのテオである。
テオの顔を見ると彼は思いっきり嫌な顔をしていた。

そもそも責任はガイドなしで登っていた彼女たちにあって、
それで仲間を置きざりにして山行を続けること自体おかしな話だろう。

それに彼女たちもここからだと登頂まで1時間30分はかかる。
気温も上がって雪が溶け出すし、引き返すのがベストだと思うが…

『あとでお金を払うからお願い』

彼女たちはそういって渋々テオを納得させた。
しかしテオからしたら嫌な話だろう。
だって一人で3人の安全を見なくちゃいけないのだから。
そしてそのうち2人は高山病だ。

結局彼女たちは山行を続行し登っていった。

下り始めてすぐに雪原にチョコンと黒い点が見えた。
あれが彼女たちの仲間だろう。

近くまで行くと寝袋に包まった女性が倒れていた。
辺りには何度も吐いたであろう黄色いシミがいくつか。
彼女を起こし、友達にお願いされた事を告げると、彼女は再び吐いた。
かなり重度の高山病の様子。

これを放置していくなんて…
それに恐らく彼女に寝袋など使えるものを置いていくつもりだったとは思うが
バックパックが2つあった。
これらを抱えて高山病の女性が一人で下山できるわけがない。
誰かに助けてもらうこと前提で置いていったことは明らかだ。

欧米人の特に女性は旅先でも会う機会が多く、話を聞くとその行動力に驚かされる機会がしばしばあるが、
でもそれはたまにこうやって後先考えず、自分本位の行動に出ることがある。
ガイドを付けずに、仲間が高山病になった時点で引き返すべきと僕は思う。

それでも目の前の女性に薬を飲ませ、彼女の荷物を手分けして担ぎ4人で下山した。
一方のフリアンはのんきにカメラをパシャパシャと…
s-DSC08737s-DSC08738s-DSC08739
山小屋に女性を休ませた後、僕らは昼食を食べて山小屋を後にした。
あとでお金を払うといった彼女の仲間は当然その時間になっても現れなかった。

山から下りている途中、こんなにも例外的なことをしてくれるガイドたちに申し訳思った。
それにあの落石のこともあるし、明らかに彼らなしでは登頂出来なかった。

そんな思いもあってラパスに着いたら少しだけど彼らにチップを渡そうということになった。

そこで僕ら日本人の間でまとまったチップの話をフリアンにした。
そうするとフリアンが
『言っている意味が分からない』
と。僕の英語が拙かったのかなともう一度言い直すと
『だから言っている意味が分からない』と。
続けて、僕はどんなときもチップは払わない主義なんだと言った。

正直言って言葉にならないほど唖然とした。

チップって心の底から感謝した時、自然に出てくるものと思ったし実際僕らもこのときの気持ちはそうだった。
セバスチャンとほとんどマンツーマンで且つ、フリアンのカメラにとことん付き合ってくれたセバスチャンにはフリアンも喜んで提案してくれると思ったのに。。。
だいたい彼らヨーロッパ人の週刊であるチップに僕らですら渡したい!って思うほどなのに
本国の彼が払わない!って突っぱねるなんて、突然すぎてみぞおちを殴られた気分だった。

南米最貧国のボリビアにあって、僕らや彼らからしても大した金額にもならない程度のチップすら払いたくないなんて、
主義とか方針とか以前に、オマエに感謝の気持ちはないのか!!と怒りすらこみ上げてくる。

そんなことよりもと、『写真のデータくれよ!それと写真の撮った時間が日本時間に設定されてないよね?
ちょっとカメラの設定確認してくれよ』としつこい。
アイスクライムの写真なんかは自分じゃ撮れないから、写真データ欲しいのはわかるけどさ…

あの女性登山グループといい、フリアンといいその自分勝手さほとほと疲れた下山だった。
あのみんなで登頂した喜びすら消え去るほどに。

2012年11月6日火曜日

twinkle of the super moon

カララ、カララと氷の粒が傾斜を転がり落ちていく音を立てながら僕らは凍りついた雪原を
一步一步、6000mの頂きを目指して登っていた。
昼間に見えた遥かなるワイナポトシの切っ先は、今のこの時間はすっかり闇に吸い込まれていた。
ヘッドライトの頼りない明かりだけを頼りに一歩一歩。
見えないという感覚は、単純に強い恐怖を運んでくる。
加えて風。
ごうごうという音は容赦なく僕の体温を奪っていく。
それでも歩みは止めることなく足を運ぶ。
もともと凍りがかった雪面に、頼りなくも、しかし確実にアイゼンの刃を突き刺し歩く。

s-DSC08703
山小屋を出る際、僕らは2つのパーティに別れた。
テオと僕とサヌキくんの先発組。セバスチャンとモトミくんそしてフリアンの後発組。
内心、僕はフリアンと別パーティになったことで少し安心した部分もあったが、
しかしどうせならば皆で登頂したいもの。
時折、後ろを向いてはフリアン、モトミくん大丈夫か?と声をかけた。
歩くのは彼自身だけれど、こういう声の掛け合いに力をもらう部分も大きい。
それは以前コトパクシ山でガイドのマルコが僕に掛けてくれた励ましで十分承知していた。
あの時は、自分にまったくの余裕がなかったが今回は気持ちの余裕がある。
やはり一度でも6000前後の高所を経験していると、心持ちが違うようだ。
だから、あの時マルコの励ましのおかげで頂上に導かれたように、今度は僕がとなるべく声をかけて歩いた。

左手にエル・アルトの街明かりが見える頃、一組のパーティが僕らの進行方向とは逆に歩いてきた。
すれ違いざまに見ると、昼間健闘を誓い合ったドイツ人ツーリストの一人だった。
見るからに屈強そうな彼すらも受け付けないほどやはり山は厳しい。
s-DSC08704
すると段々とフリアンが遅れだした。
あとでモトミくんから聞いた話だと歩くペースの乱高下が激しく、それでかなり体力を消耗していたらしい。
おまけに写真だけば意地でも取ろうとするから突然立ち止まったりと著しくペースが不定だった。

2度目の休憩で、早くもセバスチャンがフリアンは下山し、モトミくんは僕らテオのグループに入って登頂を目指そうと提案した。
フリアン一人のためにモトミくんの登山が台無しにならないよう、
テオが僕らまとめて3人を引き受けると、ガイドたちの最大限の配慮だったと思う。
しかしフリアンは一蓮托生のザイルを結んだモトミくんは、このまま登ろうと食い下がる。
たぶん、モトミくんもみんなで登頂したいという思いは一緒だったのだろう。

しかし、それは出来ないとセバスチャン。

結局、モトミくんは僕らの隊列に加わって、フリアンはセバスチャンとマンツーマンで登れるところまで登ろうということに。

僕は4人隊列の一番後ろ。
正直一番後ろは辛い。
例えば、前方に足場の歩い場所があったとする。みなそれを慎重にクリアしていく。
一番後ろを歩いている僕は当然最後。僕が渡る頃には前方の二人はそれをクリアして歩いて行ってしまうので
ザイルが引っ張られてバランスを取りづらい。
正直、前の二人も余裕もないのだろう。
モトミくんも休憩の要求をするようになってきた。
サヌキくんも体力的に相当きついのだろう。
アイゼンが氷に突き刺さらない楽な歩き方をしょうとするから何度も足をとられている。
その都度後方から声をかけるが、すぐに元の歩き方に戻り集中が続かない様子。

当然、僕も3人パーティで歩いていた時よりも精神的、体力的にもきつい。
けれど、絶対に弱音は吐かないように、平静を保つよう努めた。
僕なりの精一杯の励まし方法だった。
s-DSC08705
夜半のワイナポトシは不気味なほどに美しかった。
周囲を真っ暗なシルエットに囲まれ、足元には果てなく続く白の回廊。
ひとたび歩みを止めれば途端に襲ってくる強烈な冷気と風。
何者をも寄せ付けないあの天空世界に再び僕は戻ってきた。

何度目かの休憩をはさみ、歩いていると妙な感覚に気づいた。
ヘッドライトなしでは歩けなかった足元の視界が、ひらけていることに気づいた。
ライトの明かりが逆に邪魔で、ライトが無い方が見通しが効くんじゃないかというほど。
僕らは長く続いた単調な雪原地帯を登りきり、稜線に近いところに出るところだった。
その先に眩しい光が見えた。
それは一瞬、登山用の目印になるための街灯か何かかと思うくらいはっきりと、そして眩しい。
もちろん、冷静に考えればこんなところに突然街灯なんてあるわけもないのだが。

光の正体は月だった。

稜線近くまで来て、山の反対側ある月が見えるようになったのだ。

それは感動的な眩しさだった。
月ってこんなに明るく大きかったんだ。

この日が満月かどうかは定かではないが、ちょうど日本では1月に2度満月が見れるブルームーンがなんちゃらと
騒いでいたので、ほぼ満月に近い形だろう。

月明かりは温もりこそなかったが、白のキャンバスに僕らの影をくっきりと落とした。
しばし、苦しいことも忘れてあの月に向かって夢中で歩いた。
きっとみんなもこの眩い月明かりに力をもらったんじゃないだろうか。
さっきよりも歩みがパワーが戻っている。
s-DSC08707
うっすらと東の空が白みはじめた頃、ようやくワイナポトシの先端を捉えた。
フリアンもなんとかついてきている。
ここまで来たら絶対にみんなで登りたい。

しかし、ここからが最大の難所。

傾斜80°はあるだろう氷壁を直登しなければならない。
乾季の今、氷が固く締まっているので慎重にかつ力強く登らなければならない。

幅も人ひとり分くらいの場所。
足を踏み外したら一発で仏様だろう。

先行組が順々にクリアしていく。
先にフリアン・セバスチャン組が行く。
先日のアイクスライム練習でフリアンが登れなかったのもあり、セバスチャンが上から引き上げるような形でクリア。

ここで僕らの番。

しかし、なぜかテオが動かなかった。
それどころか、ちょっとこっちに来いと。自分のところに僕等を引き寄せた。

とその時上から『Roooock!!!』と叫び声が。

声の方を見ると同時に視界に巨大なおよそ70cmはあろうかという巨岩が転げ落ちてきた。
巨岩は丁寧に僕らの登攀ルートをたどり恐ろしいスピードで転げ落ちていった。

寒気が全身を駆け巡った。

巨岩が転げ落ちたルートはさっきまで僕がいた場所だった。
ほんの数秒前にテオが僕を引き寄せていなかったら確実に死んでいただろう。

氷壁の上は雪から岩が露出した岩稜帯になっていて、足場の不安定な岩を上の誰かが踏み抜いたようだった。

改めて、ここは人の住む世界じゃないと感じるとともに、それを見ぬいたテオとフリアンを引き上げたセバスチャン
ガイドの実力に驚嘆した。

無事だれも滑落することなく氷壁を越えると、頂上へ向かって最後の稜線。
ここは肩幅ほどしか足場のない切り立ったエッジ上の稜線だった。
雪が風に晒され、岩が露出しているため、今まで以上に足場が悪い。
さっきの巨岩もフラッシュバックして足がすくむ程。
前の2人披露が限界に近いようだった。

もけれどあと数100m。

行ける。

最後は四肢をふんだんに使って、這うようにしてワイナポトシの山頂へ。

やった。

誰一人欠けることなく登った。

日の出間近に迫った地平を望む頂きを僕ら4人は踏むことが出来た。
サヌキくんは全身全霊、体力を使い切ったようでもう立ち上がることすら出来ないようだった。
s-DSC08709
明けゆく空はあらゆる命が太陽とともにあることを感じさせる。
s-DSC08710
s-DSC08711
s-DSC08716
山頂でかぶろうとラパスで準備したサルのかぶりものでテオと一緒に記念撮影。
s-DSC08719
s-DSC08724
僕も含め、4人とも初の6000mを越える山を登ったことになるのだが、
僕自身はあのコトパクシを越えるような強烈な手応えは得ることは出来なかった。
けれど、みんな4人で登り切ったということが嬉しい。
きつい行程を経て、みんなでこの太陽の温もりを分かち合えただけで十分だ。

僕らはいま誰よりも太陽に近い場所にいる。
6088mワイナポトシ完登。

そして僕等を山頂へ導いてくれたあの満月は、明けゆく地平の反対側で、ひっそりと小さく消えていった。
s-DSC08725

2012年11月2日金曜日

6000mへの挑戦 1日目~2日目

ワイナポトシ登山当日は9時に旅行会社集合。
2泊の行程なので時間には余裕がある。
事務所の奥にある部屋で、事前にサイズを合わせた装備を受け取る。
一応、登山に必要な装備は一式レンタルできるが、僕は靴、アイゼン、ピッケル、ハーネス、オーバーパンツをレンタル。
他は自分のものを使うことに。
装備をザックに詰め込み、車に乗り込んだ。

今回は僕ら3人に加え、フランス人のフリアン(英語読ジュリアン)とガイドのテオとセバスチャンの6人。
ガイドの2人はともかく、フリアンが…

頼りなさげだった。。。

もう初見でそれが伝わってくるほど。
身長は僕よりも高く180cmくらいはありそうだったが、とにかく線が細い。
2年をかけた世界一周の途中には日本にも寄ったそうだが、出てきた話はアニメの話。。。
なんとなく僕のイメージする典型的な(?)オタク系フランス人といった印象だ。

オマエ、まじで登んのかよ…

実はこのワイナポトシ登山ではパーティの一人が高山病などで行動不可能になった場合、
全員で下山ということが基本ルールになる。
よってもし、フリアンと組んでフリアンが登れないとなったら、必然的に僕の登山もそこで終了になる。

フリアンには悪いが、僕はフリアンとだけは組みたくない!と思ってしまった。
それほどに貧相なのである。

さて、僕らを乗せた車は昨日チャカルタヤへ行った同じ道を進み、途中の分岐で別な道に入った。
この辺も鉱物が溶け出した赤い湖があったりワイナポトシの山容が見事で、ここを見るだけでもかなり満足。
アニメオタクでありカメラオタクのフリアンも身を乗り出してバシバシ撮っている。
s-DSC08607
s-DSC08614
しばらく走って本日の目的地の山小屋へ到着。
かなり綺麗に作りのこの山小屋で昼食。
s-DSC08644s-DSC08645
その後、1時間ほどかけてワイナポトシの氷河末端部分まで歩いてそこでアイゼンワークの練習をした。
s-DSC08616乾季のこの時期は日中に氷が溶けて、夜間の冷え込みで溶けた氷が再び凍るので表面はかなり食いつきの悪いアイスバーンだった。
強めにステップを踏まないとなかなかアイゼンが食いつかない。
s-DSC08618s-DSC08621s-DSC08624s-DSC08628
しばらく練習した後、オマケで切り立った氷壁をアイスクライミングで登った。
ガイドのテオが氷壁の上に確保用のハーケンを打ちに登っていったのだが、さすがガイド、サクサク登って行く。
テオがビレイヤーになってくれていざ僕の番。
テオのようにサクサクと…
いかなかった。
やはり氷が固く凍りついてピッケルが刺さりにくい。
思い切り打ち込まないと弾き返されてしまう。
それでもなんとか登り切る。

その後、順にサヌキくんモトミくんと消化し最後にフリアン。
s-DSC08634
歩行訓練のときも練習そっちのけで写真に夢中になってたけど、大丈夫かな…

全然だいじょうぶじゃなかった。
何度打ち込んでも弾き返されるピッケル。キックの力も弱いからアイゼンも刺さらない。
僕らもアドバイスを送るが、結局登りきれず…
s-DSC08638
本番はここまでの難所はないみたいだけど、やっぱり不安は募るな。。。

その日は山小屋に戻り、夕飯。
と、ここでテオからオプションがあるんだがと提案があった。
聞いてみると、この後仮眠して12時から一気に山頂アタックすることも出来るぞ、と。
ん?
んんー?
それって一泊二日コースの内容だよね?
それに今日は明日行く予定の山小屋より下の山小屋にいるから余計にきついよね?
ってゆーか、二泊分で多くお金払ってんですけど。。。

まぁ、考えれば簡単なこと。
さっさと仕事を終わらせたかったんだろう。
テオはあまり話すほうじゃないが気が利くしいいやつだ。
でも、こうゆうとこでちょっとボリビア人のずるい一面がでちゃったのかな。

テオからの提案は満場一致で却下。
当たり前にね。

それで翌日は予定通りに昼前まで今の山小屋で過ごし、早めの昼食をとった後
300m上の山小屋を目指した。
s-DSC08654
s-DSC08677
昨日、氷河末端に行くときも見かけたミルキーな湖を経由して標高をあげる。
s-DSC08664s-DSC08666
s-DSC08675s-DSC08684
岩稜帯に足場が変わった辺りで入山料を支払う。
そこからは足場がかなり不安定で、ところどころ残雪の残る道を慎重に登った。
そうして山小屋を出て1時間30分。
s-DSC08687
第2の山小屋に到着。
s-DSC08688
この時点で標高5100m。
ここから先は完全な雪山になる。
小屋の中は、いったいどこに隠れていたのか、大勢の登山者で賑わっていた。
壁にはこれまでここに挑戦した人たちのメッセージが無数に書き残されている。
日本人の名前もちらほら見かけた。

外は轟々と風が強く吹く中、他の登山者たちと今までの登った山の話や明日の健闘をお互いに祈りつつ
早めの6時には寝袋に潜り込んだ。
s-DSC08695
ところで、、、
ラパスのアウトドアショップでREUSEABLEなるHOT WARMERを発見し
60ボリ約650円とそれなりにしたが購入していた。
何度も使えるのなら、この先のウユニでも役立つだろうと思ったからだ。

山小屋でも相当冷え込んだので
これはあのホットウォーマーの出番だと思ってカバンから取り出し
パッケージ裏の説明書きを読んだ。

なになに…

袋から出して5分後に暖かくなります。
使わなくなったら、袋に入れてください。

ふむふむ。

効果は20時間です。

うむ、分かった。
で、どうやったらまた使えるようになるんだ??

何故か、その記載はなかった。

なんでだろうと思いつつ袋を開けると、その中身は
ただのカイロだった。

これで全てに合点がいった。
袋から出せば酸化が始まって暖かくなるし、
袋にしまって密閉すれば酸化を抑えることが出来るということだ。
で、酸化しきっちゃえばもう使えない。

REUSEABLEであってRECHARGEABLEではないということ。
要はただのジップロック付きカイロで60ボリって…やられた。。

そう思いながらまぁ20時間持つならこのまま明日の下山まで持つし、
もうここで使い切っちゃおうと寝袋にいれて暖かくなるのをまったが
650円もした高級カイロは、全く暖かくならないのであった。

久々に無駄な買い物だった。