2013年1月4日金曜日

Cheの国

サルタに到着したのは夕暮れ時。
20km手前の近郊の街からすでにサルタ都市圏と呼べる住宅地が続き、間もなく市内へと入った。
いつの間にか道路は片側3車線へと変わり、数時間前とはうって変わって、目まぐるしいまでの交通量。
しかし、クラクションの喧騒やすれすれを追い越していく市バス、道路沿いの物売り…
中南米を通して見慣れた、あるいは聞きなれたいつかの景色はここにはなかった。
ロードサイドには大型スーパーや外資の自動車販売、住宅地だって立派な作りでプールだってあった。
一度、車庫入れする車が脇に入っていったとき、
車庫の扉がオートマチックに開いていくのを見かけたときは目玉が転げ落ちそうになった。

これまで見慣れたいつかの景色は失われ、また別ないつか見た景色へと急速に変わりゆくのだった。

なんとなく、アメリカに近い、無機質な表情のない街並が続いた。
まぁ世界恐慌以前のアルゼンチンは世界第5位の富裕国だったって言うし、
60年代ぐらいまでも世界トップクラスの経済規模を誇っていたっていうからなんとなく納得。
サルタの郊外は、一時代前の、目に見える物質的な豊かさを誇示するような景色だった。
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間もなくセントロに入った。
セントロは立派なカテドラルがあり、ようやく中南米が帰ってきたといった風情だが、
それでも周りにはオープンテラスのレストランが軒を連ね、穏やかな夕日が街路樹にこぼれた。

アルゼンチンは、ほとんどヨーロッパだと聞いたことがあった。
もともと首都のブエノスアイレスは南米のパリなんて呼ばれていて、白人の比率も多い。
地方都市のここサルタにあっても例外ではなく、ヨーロッパには一度も行ったことがないが
どこかその片鱗を感じるような、これまでの中南米とは一味違った雰囲気だった。

危険がつきもののセントロ周辺も、平和そのもの。
このまましばらく自転車を放置しても大丈夫なんじゃないかって気がすらしてくる。
さすがにこれは、気がするだけで、5分でも放置したら何かしら盗られているだろうが。

さっそく宿探し。
何の下調べもなく街に着いてしまった。
まぁ、これはいつも通りだし、すぐ見つかるだろうとセントロから数ブロック適当に練り歩くとすぐにホテルは見つかった。
が、見つかっただけであって、見ただけで高そう。
僕の場合、これまでも見た目高そうな宿も一応値段だけ聞きに行くのだけれど、
この国でそれをするのは、あまりにも無謀、もしくは無駄足になる気配がその外観から感じ取れた。
2件目、3件目ともまたすぐ見つかったが、これまた同じ。

はて、どうしたものかと路上で考え込んでいたら、そういえば旅行者から貰った
ガイドブックのデータがケータイに入っていることを思い出した。
サルタのページもあって、ちゃんと安宿情報も載っていた。
その中で値段もそこそこ安い宿をピックアップし、住所の場所へ。
レジデンシアル・エレナっと…
あった。
けどこれまためちゃめちゃ高そうな外観。

スペイン語で宿を示す単語はHotel、Hosteria、Cabana、Hostal、Pension、Posada、Alohamient、
Hospedaje、Residencialと無数にあってイメージ的に順に安宿な感じ。
アルゼンチンはレジデンシアルですら歴史のありそうな立派な外観の建物だった。

初見で気圧されたものの、大丈夫大丈夫、ガイドブックには40ペソと書いてあるし、気さくなおじいさんが迎えてくれるっていうし…

すみませーん。

扉の向こうから僕を出迎えてくれた人は気さくなおじいさんではなく、フォーマルなパンツとシャツの女性だった。

い、一泊い…いくらですか?

山下清張りのドモリ声で尋ねる。

120ペソよ。

終了。

アルゼンチンはレジデンシアルですら、高いのか…

2000年代初頭に経済崩壊が起こり、地に落ちたアルゼンチン経済だが
近年確実に経済が持ち直しを見せている。
もともと1ドル1ぺソの固定相場制だった通貨も変動相場制に移ったのだが
どうも、ペソの価値と高騰する物価とで乖離が見られるような気がする。
あとで聞いた話だと、ドルからペソに関して言えば、闇両替が圧倒的に有利だと聞いた。

安宿が見つからず困ってしまったが、最後の望みをかけてホステリングインターナショナルを訪ねた。
世界チェーンのここならと思ったが、今度は生憎満室。
なんとか次に紹介してもらったホステルに投宿することに。
ここも70ペソとそこそこの値段。
それでいてドミトリーの相部屋だ。
まぁ仕方ないかとここに決定。

相部屋のベッドには一人の痩せた中年が寝込んでいた。
少し弱っている風に見えたので、風邪ですか?と声をかけた。
そうしたら、どうやらただの飲みすぎで寝込んでいただけのようだった。

さて、もう夜になりそうだ。
今日だけでダートを含む160kmを走っているので、普通ならそのまま飯を食べて爆睡パターンだがやることが溜まっている。
洗濯に、食料の買出しのいつものことに、再び壊れたカメラの修理、
アルゼンチン地図の入手、アルゼンチンペソの引き出しとやることが山積みだった。
とくにカメラの修理は今日が金曜日。
日曜日はおそらくお店が閉まるだろうから、
今日中に修理に出さないと最悪週明けまで何もできないままこの街に缶詰になる。
そんなわけで、部屋に荷物を運び入れたあとは休む間もなく街に繰り出した。
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首尾よく修理屋を見つけ明日には仕上がるということでカメラを預け、本屋で地図を購入し、お金も下ろせた。
途中で見かけた自転車屋を冷やかし、いつ以来か忘れるほどにモノが揃ったスーパーで
アルゼンチン名物の牛肉を購入し、気分良く宿に戻った。
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宿に戻ると、さっきの中年が起きていた。
オラと挨拶をし、僕は買ってきた牛肉ともやしを料理すべくキッチンに立った。
ところが料理しようにも必要な包丁が見つからない。
色んな引き出しを開けて探していると、横で何か食べていた中年が、
ここだよ、と勢いよく引き出しをあけた。
お礼を言って調理開始。
その脇で食事を終えた中年が使い終えたフォークを投げるようにシンクに放った。
なんだよ、親切だけど雑な奴かよ。
ガタガタ、バタバタと必要以上に乱雑にモノを扱い、音を立てる中年だった。

テーブルに座って、牛肉に舌鼓を打っていると彼が声をかけてきた。
自転車で旅をしているよと答えると、目を丸くして驚いていた。
まぁ、いつものことなのでこっちは慣れている。
彼は、メキシコには行ったのか?シウダーファレスも行ったのか?とさらに。
あぁ、行ったよと言うと、さらに驚く。
シウダーファレスはアメリカ・メキシコの国境の街で麻薬組織と警察との抗争が起きていて
年間数千の死者が出ていて、戦争をしていない地域において世界で最も危険な街の一つとされている。

その話をして以来、彼は僕を“ロコ、ロコ”と呼んできた。
ロコとはクレイジーとか狂ってるとかそんな意味で、これもまたこれまでよく言われていた。
たいていの場合、ふざけておどけた意味合いで言われきたように感じる。
だが、彼のそれは明らかにきちがいとか、気狂い野郎といった侮蔑的な感じで僕を呼んだ。

そして、たいした用事もないのに、僕をチェ、チェと呼び止める。

チェといえばアルゼンチン出身のチェ・ゲバラ。
そのチェというのは本名ではなく、“ねぇ”という呼びかけに当たる
スペイン語のCheを彼が口癖のようによく使っていたから、着いた愛称である。

彼のその呼びかけすら、バカにしていると感じに聞こえる。
よう、気ちがい野郎、そんな風に聞こえて仕方がなかった。

腹が立って“僕はあつしっていう名前だ、シクリスタだ!!”
そう言っても彼は、チェ・ロコ!と僕に声をかけてきた。

ここは本当にあの勇敢で自身の正義を貫いた革命家を生んだ国なのか?
意地の悪い同室の男のおかげで、ずいぶん印象の悪いチェの国の始まりとなった。
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1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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