2013年4月2日火曜日

道の終わりのオイギンス

トルテルを出発し、元来た道を戻って幹線に復帰する。
そこから猛烈な傾斜の峠を一山越え、アップダウンを数回繰り返す先に
道の切れ目のプエルトユンガイに到着する。
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カレテラアウストラルはここで一旦途切れ、フェリーで対岸に渡ることになる。
オンシーズンの12月でさえ、フェリーは1日に3本。
手持ちのパンフレットによると、今後陸路で走れる道を建設中とのことだが、いつになることやら。

小さなカフェが港のほとりにポツンと立つこの場所に着いたのは15時前。
すでに14時発のフェリーは行ってしまったので、カフェで18時の船を待った。
雨が降ったりやんだり生憎の空。
店内の薪ストーブにあたり、荷物を乾かしながら、水面を叩く雨粒を眺めた。
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18時前になって外がだんだんと賑やかになってきた。
賑やかといっても、極端に交通量の少ないこの地域の賑やかさなど知れているが。

実は前日、総勢10名ものサイクリストにトルテルへ向かう途中会っていた。
みな明後日のオイギンス初発の観光船でオイギンス湖を渡ると言っていた。
僕もその船を目指して移動していた。
そのためにはこの18時のフェリーが最終便になるため、他にもサイクリストがやってくるかと思いきや
結局、乗船するサイクリストは僕だけだった。

4~5台の車と貨物トラック、1台の自転車を乗せたフェリーは定刻通り、ユンガイを出港した。
このフェリーは道の代わりに国が運航しているものなので、料金もかからず、内装も非常に綺麗。
こんな短い乗船時間で不必要なほど手がかけられていた。
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1時間弱で対岸に到着。
リオブラーボなんて名前がついているが、そこは一軒の待合室があるだけの小さな船着場だった。
この待合室で泊まれるとの情報は事前に得ていたし、船の係員もここで泊まりなと勧めてくれたので
気兼ねなく待合室で宿泊。
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新し目の建物で掃除も行き届いた全面ガラス張りの待合室を今日は貸切だと思ったが
間も無くして、オヒギンス方面から1人サイクリストがやってきた。
この時時刻は19時15分。
戻りの船は19時発なので、既の差でドイツ人の彼は船に間に合わなかったようだ。

聞くとオイギンスで食料補給をしようとしたら、商店がどこも10時まで開かなかったらしく
この時間の到着になってしまったんだそう。
ウシュアイアを出発して1ヶ月、今日が初めて雨に降られた日とも言っていた。
ちょうど晩御飯を作っていたタイミングだったので、雨に降られて寒そうな彼に味噌汁をご馳走した。
体が温まるといいなとの気持ちからだったが、味噌汁を初めて見る彼は
訝しげな目でそれを見て、一口飲んで“面白い味だね”といった。
海外の人に味噌汁ってやっぱり不思議な味なのだろうか。
それでも彼は律儀に、時間をかけて全部飲み干した。

夕食がてら、北上する彼と南下する僕とでルートの情報交換。
テントを立てるのも手間だっったので、ベンチに寝袋を引いて寝た。

翌日。
僕はこの日中にアウストラルの終点オイギンスに到着しなければならなかったので
朝7時過ぎに出発。

雄大な景色の中、ちょろっとした道が頼りなく続いている。
昨日乗ったフェリーの始発が確か11時だったので、車はおらずほとんど道は貸切状態。
曇りがかった空の手前にうっすらと氷河ものぞいている。
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さて、今日はオイギンスに到着するだけではなく、明日のオイギンス湖を渡る船の手配も済ませなければならない。
昨日の国営フェリーと違って、オイギンスからの船は民営のそれも12月~3月しか運行していない船だ。
元々は近くのオヒギンス氷河を見るための観光船で、そのついでで対岸のアルゼンチン国境近くまで渡しますよ、というものなのだ。
観光船なので値段は高い。
80$という船代は物価の高いこの地域にあっても破格の値段だった。(氷河も見る場合プラス40$)
そんなこともあって、駆け足気味に走った最終走行、頑張った甲斐があり14時30分に到着。
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DSC00220 (36)_R考えてみれば、このオイギンス。
自転車・徒歩以外でオヒギンス氷河を渡るのは不可能だし、
僕が今日きた道も1日数本のフェリーのみというアクセスの悪さ。
これより南のプンタアレナスやカラファテ、最南端のウシュアイアだってそこそこに空の便やバスの便が
拡充されているので、ある意味ここが世界の果てといっても過言では無いかもしれない。
だってここから日本に帰るとなると、コジャイケまで1日がかりで移動して、
そこから飛行機でサンティアゴへ向かい、アメリカ経由で飛行機乗り継いで…
どう考えても最短で4日ほどかかる。

そんな世界の果てでもセントロの広場周辺には公共Wi-Fiが飛んでいたり、
こだわりがなければ必要な食事やものはひと通り手に入る規模の村だ。
村の一角には同じ形の黄色い屋根をした新しい集合住宅があり、入居者募集の看板がでかでかと建てられていた。
この住宅はこの地域で問題になっている水力発電ダムを推進させていく一環なのか?と思った。
この地域に安く優遇したお金で集団移住させて、ダムを建設するための既成事実を作ろうとしているのかと感じた。
邪推だけど。

ただ、このカレテラアウストラル上、至るところで水力発電禁止という看板を目にした。
と同時にインフラを整えればこんなに暮らしがよくなるよ、といった旨の看板も同じくらいに目にした。
実際に、この地域に暮らす人達でも意見は割れるそうだ。
仮にこの地域に水力発電所が建設されたとして、
発電された電力の大半は首都圏やさらに北部の鉱山施設に回されるそう。
総延長数千kmという馬鹿げた送電線網がチリの国土を縦断することになる。
鉱業はチリ経済の要になる部分なので、なんとも言えないところはあるのだが、もう少しやりようがないのかとも思う。
北部は風も強いし、年間を通じて雨がほとんど降らない地域なので他の発電方法はないものか。
それに隣国アルゼンチンは豊富な天然資源をもとにガス代も安く、
このパタゴニア地域にあっても文明的な暮らしの質は高いそう。
お隣と仲良くやれれば、こうしたダム問題もないのかもしれないと、北から南まで自転車で走った僕の目にはそううつる。
実際は再生可能エネルギーの発電量の問題や、他国にエネルギー資源を委ねることでの国力の問題等々、問題は山積みなんだろうけど。
ただ、そんな人間が勝手に定めた国境という目に見えない線で、こうした世界でも有数の美しい森が危機に晒されるというのは残念だと思う。
カレテラアウストラルの終点オイギンスでそんなふうに思った。

2 件のコメント:

  1. 身体壊さない程度にゆっくり前に進んで下さい。

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    1. かず!!いきなりの登場でびっくりしたわ!!ありがとう、気をつけていきます!

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