マチャチから2日。
順調に距離を稼ぎ、リオバンバに到着した。
この2日間は、アンデスの廊下と呼ばれる5000m超級の山々に挟まれる
エクアドル屈指の絶景ルートを走ってきたのだが、いかんせん天気がはっきりしなかった。
幸い小雨に降られる程度で、苦労はしなかったものの肝心の山々は分厚い雲に阻まれ
その山容を確認することはほとんど出来なかった。
天気は水物。
まぁ仕方ないだろう。
それに僕は遠くに見るだけじゃなくって、その頂きに立てたんだ。
あれもこれもと期待するのはいささか欲張りかもしれない。
と景観を堪能出来なかったことには、自分自身納得できている。
ただ。
ただだ。
エクアドルの車の運転がなってない。
キトを出る時も苦労したのに、このアンデスの廊下を走っててもイライラさせられっぱなし。
ほんとに勘弁してもらいたいものだ。
なにがって、まずは車が全て優先と言わんばかりの運転。
道路が案外きれいに舗装されているもんだからビュンビュン飛ばす。
ほとんどが距離をあけようとせず、僕のすぐ近くを掠めて抜いていく。
タクシーとちょっと擦ったし。
それに車が道路を跨いで曲がるときも、ほんとに危ない。
明らかに僕が先に侵入しているのに、お構いなしで突っ込んでくる。
たまに気のいいドライバーもいて、手で“ほら行きな”と道を譲ってくれるときもあるのだが
その譲ってくれた車を後ろから別な車が追い抜いてくるから、
彼の気配りは意味がなくなってしまうし、とても危ない。
クラクションの自己主張もうるさい。
うるさいを通り越してウザい。
自転車で走っている人達は分かってくれると思うのだが
クラクションの鳴らし方一つで、なんとなくドライバーの声が分かるものだ。
コロンビアなんかは“頑張れよ”とか“追いぬくから気をつけてな”といったかんじのマイルドなクラクションが多かった。
ここでは、“どけどけー!”といった感じでクラクションを鳴らしてくる。それも頻繁に、遠くから。
タクシーも空車の合図でクラクションをガンガン鳴らす。
これだけではなく、何故か意味のないクラクションも多い。
それも不快なビートを刻んでならす。
信号待ちで前の車が1秒でも青信号に気付かなかったら、すぐさま後ろからブー!
見通しのよい直線道路、後続車が前の車を抜いている最中はずーっとブー!!
自分に関係ないことでも、心中穏やかでない。
今朝は朝6時に道路から“ブーーーーーーーー!!”っと鳴る音で目が覚めた。
5分ぐらいずっと鳴りっぱなしだった。だれか呼んでたのだろうか?
なんとゆーか、この国のクラクションの使い方は、日本的な間隔だと“顎で指図する”ような傲慢さがあるような気がしてならない。
そして排気ガス。
どういうわけか、排気ガスが圧倒的にくさい。
しばらく自転車から離れていたのもあるだろうけど、とにかく臭く、汚いのだ。
ここが3000m近い標高で空気が澄んでいるせいもあるのかもしれない。
バスは乗客を見つけると、どこであろうと停まる。
ヒドイ時には50m進んでは停まり、また50m進んでは停まる、の繰り返し。
いらだつのは、わざわざ急加速して僕を抜いて急ブレーキで僕の前に停まるのだ。
すぐ前方に乗客がいても、わざわざ僕を抜いて、僕の前で律儀に停まる。
山がちなこの国でストップ&ゴーを繰り返すと、発射の度に信じられないくらい真っ黒な煙が上がる。
こんなバスと僕は抜きつ抜かれつの繰り返し。抜かれる度に僕は黒煙を浴び顔をしかめる。
この国の経済発展状況もあるので、ここでは排気ガスが環境にうんたらとか言うつもりはない。
ただ運転マナーについての話だ。
もう少し考えて運転して欲しい。
とまぁ文句を散々書いてきましたが、実際走るとホントにストレスだ。
とはいえ僕が日本の運転マナーを持ち込んで批判してるだけという意見もあるかもしれない。
ただ、これだけは無いだろうと思う。
エクアドルの道路には車に轢かれた犬の死体がたくさん転がっている。
その大半はそのままだ。近くに人がいたって無関心。
これって、あなたの近所の犬じゃないの?それともあんたのとこで飼ってた犬じゃないの?
人間では無いとはいえ、人と共同生活を営んでいる動物が目の前で死んでいるのに
よくあることだよと言わんばかりに、そのままほったらかしにする人たち。
そしてこんなにもたくさんの死体が出ている車の運転態度がいいわけがないと思うのは僕だけだろうか。
※話が数日後に飛んでしまうが、ある日上り坂を僕は必死に登っていた。
このあたりは猛犬多発地域で、犬を刺激しないよう僕は彼らの脇をそっと通り過ぎていた。
前方に二匹の犬が現れた。
まずいなぁと思ったが、幸いにして飼い主が側にいた。
犬たちも犬同士でキャンキャン戯れていたので吠えられなくて済むかなと思っていた矢先に一台のSUVが通りがかった。
路上ではまだ犬たちが戯れていた。
そこをその車はクラクションを鳴らすもののスピードを緩めることなく犬を目がけて進んでいった。
クラクションに気付いた犬は路肩に避難しようとするも時既に遅し。
一匹は上手く車の真下に潜り込んで事なきを得たが、もう一匹は轢かれてしまった。
どんな擬音語でも形容しがたい、思い出しただけでも身の毛のよだつ鈍い音が路上に響いた。
大怪我を負った人間が我を忘れて、その場で喚き転がるように、犬もまた断末魔の叫びに近い悲鳴をあげ苦しんでいた。
なんとか我に返って、必死に路肩に移動しようとするものの、足が折れたようで何度も転ぶ。
転んでもなお、四肢が万全なときと同じように体を使おうとするので何度も転ぶ。
飼い主が彼を抱きかかえるものの、差し伸べられた手は彼に激痛を与え彼は再び叫ぶ。
僕が見ていた一部始終である。
犬が轢かれる瞬間のあの鈍い音に大きなショックを受けたが、
更に驚いたのは犬を轢いた車はそのまま行ってしまったのだ。
轢いた瞬間、車体が一瞬浮かぶほどの衝撃だったにも関わらず。
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