2012年6月28日木曜日

ペルー北部危険地帯を行く

いまいるチュルカナスの隣町のピウラから200km南のチクラヨ間は言わずと知れた自転車乗りを襲う強盗多発地帯。
ここは無人の砂漠地帯が延延続いていて、人気の少ないところで強盗が待ち伏せしてチャリダーを襲うそうだ。
旅行作家の石田ゆうすけさんもこの区間で強盗に襲われており、その顛末は“行かずに死ねるか!”でおかしなオチつきで語られているのだが、やっぱり強盗は怖い。
最もこの区間で強盗が多発したのは90年代のことで、今はそのチクラヨから南のトルヒーヨ間が今も強盗活動がさかんに行われているとの事だった。
出発当初、この区間はバスで飛ばすことを考えていた。楽しい旅行が強盗によって壊される恐怖は言わずもがな。
危険なところはすっ飛ばすのが懸命だ。
ただ、1年近く走ってきて少し心持ちが変わっていた。

僕は一度アメリカ、ソルトレークシティ近郊の山道で10kmほど車に載せてもらっている。
あのときは体調も優れないというのがあったのだが、それ以上に車窓から見て感じた道のあっけなさが強く心に残っている。
車を使って上った山の下りのなんと虚しいことか。
もともと苦労は承知の上だったのに、車に乗ってしまった罪悪感。

体調が悪いとはいったって、時間もあったし、水も食料もたっぷりあった。
自分自身限界ではなかったし、命の危険はまったくない状況で目の前の人参に飛びついてしまった。

正直なところ乗ってしまったことは今でも後悔が残る。

かといって完全自走にはこだわっているつもりはなく、危険を感じればもちろんどんな手段を使ってでも回避すべきだと思う。
ただ、あの時に関して言えば乗らなくてもいいのに乗ってしまっていた。

あれからも、何度か乗ってくかと声をかけられることはあったが、全て断ってきた。
もちろん、声を掛けてくれたドライバーには申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、
“そう言ってくれるだけで嬉しいよ”と言って断る。

自転車で世界一周ってゆうのは正直なところ自分とのこだわりの戦いで
厳密に言えば日本を出るのにさえ、自転車だけでは出ることは出来ず船や飛行機といった手段を使うことになる。
もっと言えば何をもって世界一周なのか?行った国の数?距離?地球を横に周ってきたら世界一周になるのか?
東西の概念が自分のいる位置によって変わるように、とても曖昧なことを自転車でやろうとしているのだから
必然的に、自分自身でルールを課すようになる。

僕の場合。

限界や命の危険を感じるところ、自転車では渡れないところ(海など)は公共機関を使う。

というようにしてきた。

話を戻すと。

この先のペルー北部地帯は、ヘタをすると命に危険が及ぶ場所でバスを使って飛ばすべき区間なのかもしれない。

実際この一ヶ月くらいずっとこの区間をどうするか考えてきた。

最初はエクアドルでアンデスを越えてアマゾン川をつたって迂回する方法も考えたが、エクアドルからアマゾンに抜ける船の乗り換えが多くスケジュールも曖昧なので止めた。それにパナマ~コロンビアの船旅で何かに身を任せて進んでいくってのは自分には合わないことをつくづく実感していた。
そこで素直にパン・アメリカンにそって南下してきてぶち当たったこの区間。
どうしたものか。
エクアドルにいた頃には実際に行ってみて雰囲気を確かめて決めようと思っていた。
いざペルーを走ってみると、前回書いたようにとてもフレンドリーで犯罪の影はこれっぽっちも見当たらないほど。
油断さえしなければこの辺りは走れそうと直感した。

それにこんなに気のいい人達が住んでいる地域を飛ばしてしまうのはもったいなく思えた。
ただし、このいい雰囲気に混じって、悪い輩は潜んでいるわけだからたったひとつかみの悪に寄ってこの地域の印象が悪くならないよう僕も気をつけて進まなければならない。
加えていうと、僕の走るルートにおいて完全に自走で端から端を自走できそうな大陸はここ南米だけになりそうだった。
なのでここで南米の轍を途切れさせたくないと思い、走ることにした。

とはいえ、安全には万全を期す。

いまいるチュルカナスには前述のピウラには寄らずに田舎道を通ってきた。
そして、これから行くチクラヨにも砂漠ルートではなく、100kmほど遠回りになるが街も多い迂回路を進むことに。

チュルカナスを出る時も夜明けとともに朝6時に出発。

のはずが、前日に荒野で泣きを見ることがないようにと点検した自転車のブレーキが外れていたり、突然サイクルメーターが電池切れになったりと結局6時半の出発になった。
これは神様が今日はやめとけといってるのかとも思ったが、この街で閉じこもってるほうがつらかったので出発。

街の入口には、坪のサイン。やっぱりこの街は陶芸が有名なようだ。
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で7時前に撮ったこの写真を見て分かる通り、早起きしたにも関わらずもうすでにみんな活動中だった。
こっちの人たちの朝はホントに早い。

ここを過ぎると民家は途切れはじめ、とりあえずは最低限の人目にしかつかずに街は出てたかなと思っていたら10km先の幹線との合流地帯は大きなレストエリアになっていてたくさんの人がたむろしていた。
ジロジロと見られ、“どこに行くんだ?”
と声がかかる。
ここで素直に答えては、もし相手が悪意を持っていたら待ち伏せされてしまう。
と思い、申し訳なく無視。
といってもこの先は130kmほど一本道。
まぁどこに行くかはバレてるでしょうが。
ともかく完全にこの辺の人達を色眼鏡で見ていた。
ビビっていた。

合流地点を過ぎると、朝らしい涼しい風が脇を流れた。
およそここが危険地帯とは思えないのどかな景色が続く。

安心したのは、地図にないところにも小さな集落が点在していたこと。

これだけで待ち伏せのリスクは格段に減る。

集落の人々はこれまでのペルー人のように僕を見るとにこやかに手を振ってくれた。

しばらく走ってようやく気持ちが落ち着いてきた。

ただし、強盗の大半が午後に犯行を行なっている。

午前中になるべく距離を稼ぐために時速25kmでペダルを踏む。

目の前にはどこまでも真っ直ぐに道が続いていた。
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すぐ西にはアンデスがそびえており、とてつもない威容を携え佇んでいる。
しばらくしたらまたあの山の中か…
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結局、午前中には110km走り目的のオルモスの街までもうすぐというところまで来れた。

がここで12回目のパンク発生。
これが、出発してすぐとかだったら、気持ち的には相当焦っただろうが、もう今日は危険はないと感じ、
近くのガソリンスタンドで修理。
直したと思ったらどうやらもう一箇所パンクしているようだった。
スローパンクだったので、オルモスまでは空気を入れつつ騙しながら走る。

着いたオルモスの街。

これまでの集落からするとウソみたいな都会だった。

街外れのホスペダへへ投宿。
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オーナーのカルロスは中々相性がよさそうな良い奴で、ちょっと高かったけど部屋も綺麗なのでここにした。

シャワーを浴びて街を散歩に。
今日は日曜日でセントロの公園では何か子供たちが砂を使ってクロスを作っていた。
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子供のアイス売り。
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街の一画には、この規模の街にしてはかなり大規模なメルカドと青空市があった。
これが日曜市で特別大きいのかは分からないが。
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洗剤など細々したものを買い、レストランで適当な食事を取って宿に戻る。相変わらず米のクオリティが高い。
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ペルー危険地帯1日目。
なんとか無事に終えることが出来た。
明日は今日に比べれば距離も短いし、大きめの街も続くのでもう少しリラックスして走れそうだ。

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