さて、クスコからマチュピチュへ向かう方法は大きく2通り。
一つはペルーレイル、インカレイル社の運行する電車に乗って行く方法。
もう一つはインカトレイルというインカの時代に使われた道を数日間かけて歩いて行く昔ながらの方法。
楽なのはもちろん前者。
でも、苦労して歩いて行って見るマチュピチュと、優雅に観光列車で行くそれとでは得る感動も違ってくる。
やっぱりシチュエーションにこだわらなければ感動も薄い。
どうにか、美味しいとこ取りを出来る方法はないものか。
実はあった。
それはコレクティーボを乗り継いでサンタテレサという村の奥にある水力発電所まで行き、
そこから線路伝いにあるいてマチュピチュに至るというもの。
線路は歩行禁止なので公式なルートではないのだが、ちょっとしたトレッキングも出来るといいうこともあり
バックパッカーの間では人気のルートらしい。
実際、ツアー会社なんかも水力発電所までの直通バスを運行していたりした。
これなら、電車で行くより少しはシチュエーションも良いだろうし、帰りは電車で楽に帰ってくればいい。
それに年々値上がりする電車の値段。
お盆でハイシーズンの今は一番安いクラスで片道40$もした。(もちろん遺跡の入場料は別)
ということでまずはクスコから乗継地のサンタマリアを目指す。
マチュピチュにはモトミくんと行く事に。
捕まえたコレクティーボのおばさんは“4時間でつくわよ”と言っていたが、
それは地獄の始まりの合図だった。
乗り始めて1時間は、先日行ったマラスと同じ道を通るのでまぁなんとかなった。
ただそこから先、道がグネグネと山道になりだした。
僕は乗り物に弱いので長時間、車に乗る時はひたすらに寝る。
だが、今回は生憎の真ん中席。
の一番後ろ。
ということは車が左右に降れた時、一番遠心力のかかる席である。
元々は乗車の際に前目の席を確保したのだが、コレクティーボの客引きのおばちゃんが、
後ろしか席の残っていないのを見た他の客のために
僕らを“ほら、後ろにずれて!”と追いやられたのであった。
これが間違いだった。
左右に触れる車に僕は寄りかかる場所がなく、ひたすら耐え続ける。
ぐわん、ぐわんと。
どのくらいたっただろうか、車が停まる。
時計を見ると出発して3時間。
まだ、目的地ではなく休憩のようだ。
どうやらマラスで見た山の反対側までやってきたよう。
サンタマリアは標高2000mくらいまで落ちると聞いている。
おそらくここから下り。
そしてこの下りこそが地獄だった。
上りのときから薄々気づいていたが、運転手のおっさんは運転が激烈に下手くそだった。
下りの惰性を使わず、わざわざアクセルを踏んで加速。
カーブ手前で急減速し、再び思い切りアクセルを踏む。
常に左右の足のどちらかはアクセルかブレーキを踏んでいる状態だった。
これを道の悪い山の下りでやられるとどうなるか。
体と頭が上下、左右、前後ほぼ四次元でうねり、
胃腸の内容物も同じようにシェイクされる。
気持ちが悪いと窓をあけようにも、この車には前の席にしか窓がない。
そして、開けると大量の砂塵が入り込む。
僕は耐える。
ただひたすらに。
おばちゃんのいう4時間はとうの昔に過ぎ、5時間が立った頃、ようやく到着。
本当に気持ちが悪かった。
どのくらいやばかったかというと
車内ではお互い自分の戦いに集中していたので、下車してモトミくんと話すと…
彼は吐いた、らしい。
それも3回も。
しかし日本人としてのプライドがその吐瀉物を再び自分の腹に戻すべく
飲み込んだ、らしい。
それも3回も。
いやはや恐るべし。
そのぐらい厳しいバス旅だった。
しかし、まだ中間地点。
ここから水力発電所に乗り換え、さらに線路トレッキングとなるのだが
このバス旅に比べれば屁でもないほどの旅だったので、ここはさくっと写真で振り返ります。
マチュピチュのゲートになるマチュピチュ村到着。
早々にホテルにチェックインし、明日のマチュピチュに備える。
インカトレイルを苦労して歩いた人も、体力的にはキツイだろうけど
ゲロを3回も飲み込む決断を迫られるほどキツイ旅ではなかろう。
さて、マチュピチュへ行くシチュエーションは整った。
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