僕にとってラテンアメリカはいつの頃からか、憧れの土地だった。
アメリカ合衆国のエルパソに流れるリオグランデに掛かる橋を渡って以来、約一年半が過ぎた。
メキシコではテキーラに溺れ、毎夕セントロに出ては屋台から漂う肉々しいタコスの香りに誘われた。
南米に入ると、コロンビア人の思い掛けない親切心に驚かされた。
そしてなんといってもアンデス山脈を筆頭にした大自然。
走れば走るほどに、この大陸の屋台骨の優しさと厳しさを知り、
一日一日、心地良い疲れに充足感を得た。
ペルー・ボリビアの高地を走っていた頃は、まさに自転車乗り冥利に尽きる日々であった。
チレアンパタゴニアでは降り続く雨と晴れの日の森のコントラストに心躍る思いであったし、
アルゼンチンサイドに広がる荒野と僕をなぶる風の果てには思い掛けないエンディングが待っていた。
ラテンアメリカほど旅の魅力が詰まった場所はないと思う。
各地に古代文明のロマンが残され、中世以降の植民の歴史とがこの土地の二面性をもたらしているし、
皮肉なことだが、植民の過去があったからため言葉もほとんどの土地でスペイン語が通用する。
だから一日一日、その土地に溶けてゆく感覚を味わうことができるし、その土地で生きる者の生の声が聞ける。
メキシコのトルティージャ料理、ペルーの海鮮や米料理、そしてアルゼンチンのアサードを始めとして
食文化の移ろいも楽しいものだ。
食堂で、初めて見る食べ物を恐る恐る口にする僕に、集まる周囲の視線。
パクリと口に入れ、『ウマい』というと周りはワイワイ騒ぎ出し、「まぁ飲めや」とビールが注がれる。
打算なき彼らの行動には時々、うんざりさせられることもあったけれど
それ以上に彼らから発せられる得体のしれないエネルギーに僕も突き動かされた。
人・食・歴史・自然…
やっぱりラテンアメリカは旅のすべてが詰まっている。
そんな僕にとってこの土地の一番の記憶は、実はマチュピチュやウユニ塩湖といった風光明媚な観光地ではなく、かといってメキシコシティやクスコといって歴史のある都市でもない。
メキシコ以南に広がる中米だった。
時に40℃を越える炎天と湿度の中、文字通り汗を流して走ったあの頃。
先頭に僕が立ち、真ん中にサヌキくん、後ろにモトミくんと続き走った。
走り方も休憩の仕方もバラバラだし、正直言ってすべてがすべてうまく行ったわけではなかった。
けれど、それぞれに自然と役割分担がされ、なんだかんだうまくいっていたようにも思う。
南米以降も度々再会をして祝杯をあげたり、一緒に登山をしたりもしたが三人で走ったのは後にも先にもあの時だけ。
食う、寝る、遊ぶの輪郭がすべて鮮烈だったように思う。
中米を思わせる気候のパラグアイ。
イグアス日本人居住区を経由し、僕は東の都市シウダー・デル・エステに到着した。
ここはブラジル・アルゼンチン・パラグアイの三国国境になっていて
免税地区のこの都市はテレビからトイレットペーパーまであらゆるモノが手に入る。
ペソ、レアル、グアラニー、ドル、ユーロが入り混じり、人も物もごっちゃごちゃの混沌世界。
ここが僕のラテンアメリカ自転車旅の終着点。
久しぶりに見るカオスな都市に、これだよこれ!と心踊る。
サンサルバドルっぽいよな、そんなふうに思ったけれど、
それを分かってくれる仲間たちはもう旅を終えていることに気がついて、少しさみしい気持ちになった。
火照った体を潤すために露店でコーラを買った。
シュワシュワと喉で弾けたコーラは、なんだかいつもより随分と冷えている気がした。
アメリカ合衆国のエルパソに流れるリオグランデに掛かる橋を渡って以来、約一年半が過ぎた。
メキシコではテキーラに溺れ、毎夕セントロに出ては屋台から漂う肉々しいタコスの香りに誘われた。
南米に入ると、コロンビア人の思い掛けない親切心に驚かされた。
そしてなんといってもアンデス山脈を筆頭にした大自然。
走れば走るほどに、この大陸の屋台骨の優しさと厳しさを知り、
一日一日、心地良い疲れに充足感を得た。
ペルー・ボリビアの高地を走っていた頃は、まさに自転車乗り冥利に尽きる日々であった。
チレアンパタゴニアでは降り続く雨と晴れの日の森のコントラストに心躍る思いであったし、
アルゼンチンサイドに広がる荒野と僕をなぶる風の果てには思い掛けないエンディングが待っていた。
ラテンアメリカほど旅の魅力が詰まった場所はないと思う。
各地に古代文明のロマンが残され、中世以降の植民の歴史とがこの土地の二面性をもたらしているし、
皮肉なことだが、植民の過去があったからため言葉もほとんどの土地でスペイン語が通用する。
だから一日一日、その土地に溶けてゆく感覚を味わうことができるし、その土地で生きる者の生の声が聞ける。
メキシコのトルティージャ料理、ペルーの海鮮や米料理、そしてアルゼンチンのアサードを始めとして
食文化の移ろいも楽しいものだ。
食堂で、初めて見る食べ物を恐る恐る口にする僕に、集まる周囲の視線。
パクリと口に入れ、『ウマい』というと周りはワイワイ騒ぎ出し、「まぁ飲めや」とビールが注がれる。
打算なき彼らの行動には時々、うんざりさせられることもあったけれど
それ以上に彼らから発せられる得体のしれないエネルギーに僕も突き動かされた。
人・食・歴史・自然…
やっぱりラテンアメリカは旅のすべてが詰まっている。
そんな僕にとってこの土地の一番の記憶は、実はマチュピチュやウユニ塩湖といった風光明媚な観光地ではなく、かといってメキシコシティやクスコといって歴史のある都市でもない。
メキシコ以南に広がる中米だった。
時に40℃を越える炎天と湿度の中、文字通り汗を流して走ったあの頃。
先頭に僕が立ち、真ん中にサヌキくん、後ろにモトミくんと続き走った。
走り方も休憩の仕方もバラバラだし、正直言ってすべてがすべてうまく行ったわけではなかった。
けれど、それぞれに自然と役割分担がされ、なんだかんだうまくいっていたようにも思う。
南米以降も度々再会をして祝杯をあげたり、一緒に登山をしたりもしたが三人で走ったのは後にも先にもあの時だけ。
食う、寝る、遊ぶの輪郭がすべて鮮烈だったように思う。
中米を思わせる気候のパラグアイ。
イグアス日本人居住区を経由し、僕は東の都市シウダー・デル・エステに到着した。
ここはブラジル・アルゼンチン・パラグアイの三国国境になっていて
免税地区のこの都市はテレビからトイレットペーパーまであらゆるモノが手に入る。
ペソ、レアル、グアラニー、ドル、ユーロが入り混じり、人も物もごっちゃごちゃの混沌世界。
ここが僕のラテンアメリカ自転車旅の終着点。
久しぶりに見るカオスな都市に、これだよこれ!と心踊る。
サンサルバドルっぽいよな、そんなふうに思ったけれど、
それを分かってくれる仲間たちはもう旅を終えていることに気がついて、少しさみしい気持ちになった。
火照った体を潤すために露店でコーラを買った。
シュワシュワと喉で弾けたコーラは、なんだかいつもより随分と冷えている気がした。
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