2013年5月7日火曜日

北と南の端っこで

ウシュアイアの脱出にはバスを利用した。
次の訪問先はアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。
ウシュアイアからはシーズンのこの時期、一日数本の割合で直行の飛行機も出ていて、
バスの料金とさほど変わらぬ値段で乗れるらしい。

だが預け荷物の許容重量制限が極端に低いアルゼンチン航空では
多額の追加料金が取られる恐れが有ること、
また雑な扱いで自転車が破損する可能性があること、等々の問題でバスを使った。

方や4時間弱、方や最短40時間という途方も無い乗車時間の差。

ただでさえ、乗り物酔いがひどい僕に40時間という時間は拷問、それどころか死刑に近い。
同じくウシュアイアを脱出するモトミくんもそれは同じで、
まずはカラファテまで戻ってそこから、
バリローチェなり刻んでブエノスアイレスに向かおう、ということになった。

ところがウシュアイアのバス会社は決まって自転車を乗せれないという。
毎年、ここまで走ってくるチャリダーなんて星の数ほどいるのに、
皆どうやって脱出してるんだ?とたずねたくなる。
バス会社の係に食い下がると、仕方がないといった表情で法外な値段を提示してくる。
どのくらいの法外さかというと、自転車の追加料金が乗車賃の2倍ということだった。
なんだよそれ?
バス会社がチャリダーをカモにしてボッタクリをしてるんじゃないかと言いたくなる。
最果て詐欺である。

探しまわってチリのバス会社が適正な値段で自転車を積み込んでくれるということだったので
チリ側を北上していくことにした。
自転車でずっと走ってきた道をバスで逆走するのも変な気分だ。

自転車を積んだバスはフエゴ島を脱出するのだけで半日以上かかった。
目一杯走れば数時間の距離だが、チリ・アルゼンチンそれぞれのイミグレを通過しなけれなならなく、
時間がかかった。

それにしても目の前に広がるのは広大な土地に広がる地平線。
バスの窓から眺めるそれは、恐ろしいほどまでに退屈で、
高速で回転するタイヤは席に座る僕に一切の振動を伝えず、あっという間に眠りに落ちた。

そうして丸一日かけて南米大陸の終点プンタアレナスに戻ってきた。
しかしアルゼンチンのゴールデンウィークとも言える大型連休に重なってしまい、
カラファテ行きのバスは翌日分までフル。
おまけに宿もほとんどがいっぱいだった。

やっと探し当てた宿で2日間を過ごすことに。
一度、訪れた街なのでこれといってやることもなく、
お馴染みのスーパーユニマークに行ったり、その隣の中華レストランの食べ放題に行ったりした。
とはいえ、2日目の夜には宿のオーナーから、チリの郷土料理海鮮のごった煮であるクラントが
宿泊客たちに振舞われ、それを囲んだ食卓はなかなかに楽しいものであった。

プンタアレナスといえば、僕が初めて自転車で訪れた時、思い返したことがあった。

それはボリビアを抜けてチリに入って、最初の街サンペドロ・デ・アタカマでのこと。
僕が投宿した街外れの宿オスタルマムートでは宿に焚き火台があって、毎晩焚き火が焚かれた。
焚き火には自然と人が集まり、僕もゆらゆらと揺れる炎を眺めていた。

その中に従業員の男もいた。
名前は忘れてしまったが、彼も毎晩焚き火の前にやってきて音楽講義が始まる。
僕は分かったような分からないような様子でウンウンと聞いた。

彼はプンタアレナス出身だと言っていた。
チリの北側であるアタカマに南の外れのアレナスから、どうしてわざわざ?
そう思って、理由を聞いた気がするがこれまた忘れてしまった。
ただ、とにかく彼がアレナス出身だということは、記憶に残っていたので
初めてアレナスにやってきたときは彼の顔が思い浮かんだものだった。

そうして再び復路でここを訪ねている今。
2日間過ごした街を後にし、僕らはプエルトナタレス経由カラファテ行きのバスに乗り込んだ。

出発時刻が近づき徐々に席も埋まってくる。
朝、早いのもあって僕らは席についた早々、眠りの体制に入っていた。

ギュッとした痛みが突然頭に走った。

痛ったー。

寝耳に水をかけられたように飛び起きると、後ろの男が、ごめんと謝ってきた。
どうやら席に座ろうとして、前の座席に手をかけた際に僕の髪の毛を引っ張ってしまったらしい。

わざとじゃないなら、仕方ないけど、それにしても痛かったなぁ。

再び眠りにつこうと首を窓に持たれかけると、さっきの男が後ろから話しかけてきた。
今度はなんだよ?

『Do you remember me?』

えっ?

驚いたことに、その男はアタカマのホステルのあの従業員の男だった。

いやはやびっくり。
まさか南北に4000kmの国土を持つチリで北の入り口と南の出口で同じ男に出会うとは。
なんでもアレナスに里帰りしていて、
これからパイネ公園で仕事をするためにナタレスまで行くところだそうだ。

チリのように南北に長い国の場合、
こうして長い距離を転々することは珍しくもないのかもしれない。

しかし、お互いが同じタイミングで同じバスに、それも前と後ろの席で同席するという邂逅は
僕にとっては、驚き以外の何物でもない。

ウシュアイアの看板での一件や、サヌキくんとのサンティアゴでの別れのときに感じた
箱庭的感覚をやはり今回も強く感じざるを得ない。

そんな彼をナタレスで見送った後、僕らのバスはカラファテへとやってきた。
ここで次はバリローチェ行きのバスを探した。

『えーっとバリローチェ行きですと30時間かかりますね』

へ?30時間も?じゃあブエノスアイレスは?

『36時間ですねー』

なんで?それだとウシュアイアからとほとんど時間が変わらないじゃん?
いったいどんなルートなの?

『リオ・ガジェゴス(フエゴ島のすぐ北の街)経由です』

そんな…、せっかくちまちま北上してきたのに…
また南下するんすか…

聞くと、このまま北上ルートは道が悪いため、
道の良いリオ・ガジェゴス経由がアルゼンチン側は一般的らしい。

バスで小刻み作戦、失敗…

いや、そんなことない。
これは、きっと従業員の彼に会うためだったんだ。
うんうん、そういうことにしておこう。
きっとそうだ。
じゃないと、ここまでバスに乗ってきた十数時間が、お金が…


僕『ま、まぁ、あれだな、もうバスに乗るの無理だよね?きついよね?
もう、ここから飛行機乗っちゃうしかないよね?』

モトミくん「そ、そぉっすね、乗りましょうかね…。」

ルート調べは計画的に。

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