2012年5月26日土曜日

5897mの天空世界

寝袋からひょこっと出した顔に冷気を感じて目が覚めた。

高地では呼吸の浅くなる睡眠時に高山病にかかりやすい。
寝袋に顔ごとうずめてしまいたいぐらい夜は冷え込んだが、
高山病になってしまってはまずいと顔を出し、意識的に深呼吸していたのだが
いつの間には深く眠ってしまったようだ。


昨日は、氷河での練習から帰ってくると、すぐに夕食となり
食べ終える頃には6時過ぎ。
夜半の出発になるため、山小屋で一息つく間もなく7時前には寝袋に潜り込んだ。

随分よく寝た気がするが今何時だろう。
どれぐらい時間が過ぎのかとポケットから携帯を取り出し時間を見ると
21時半。
19時に寝たのだからまだ2時間とちょっと。

あれだけの深く眠ったつもりだったのにこれしか時間がたっていないなんて
やっぱり少し緊張しているのだろうか。

たったこれだけの睡眠だったが既に眠気は消えていた。
しかし少しでも体力を温存すべく、ひたすら目を閉じた。
高地の乾燥地帯のためひどく喉が痛む。
枕元のコーラで喉元を湿らせつつ時間が来るのをまった。

23時あたりになると先行するパーティがガサガサと準備を始めたので
気になって横になっていることも出来ない。

しばらくすると、ガイドのマルコが僕らを起こしにやってきた。
寝袋から出る。
高山病の症状はない。
二日前から同程度の標高を行ったり来たりしてなんともなかったので
当然といえば当然かもしれないが、少しホッし、出発の準備にとりかかる。
防寒対策のためウェアはほとんど着込んでいた。
オーバーパンツとハーネス、プラスティックブーツを装着し1階へ。

シリアルの簡単な朝食が用意されていた。
しかし牛乳かと思って手にとった白のボトルはヨーグルトだった。
どうも牛乳が見当たらず、どうやらそのまま食べる様子。
既にボウルにシリアルをよそった後だったが、牛乳なしではどうにも食べる気がおきず
代わりに牛乳と見間違えたヨーグルトをこれでもかと、腹いっぱい流し込んだ。

朝食を終え次第、順次出発。

僕はガイドのパブロとベトナム人のアンとスリーマンセルでパーティを組むことになった。

小屋を出ると寒さは思ったよりも緩かったが、確実に氷点下以下。
晩に降った雨で雪が氷状になってなければいいのだが。

これだけの高地でどれだけの星が見れるだろうかと期待していたが残念ながら星は見えなかった。
遠くにキトの明かりが見える。

0時15分登頂開始。

昨日の練習で行った氷河の取り付きとは別な方へ行くようだ。
少しでも砂地で標高を稼ぐためだろうか。
20分ほどで着いた昨日の氷河の取り付きとは違って
1時間近く砂礫地帯を歩いて取り付きにでた。

ここでアイゼンを装着し、いざ。

細かい砂でズリズリと滑った砂礫地帯より、こちらの方がパワーは使うものの
断然歩きやすい。
心配していた雨もそれほど影響なく、しっかりアイゼンの歯が氷河に食いつきグリップしてくれた。

隊列は前から順にパブロ・アン・僕の順。
最後尾というのが有りがたかった。
先頭は、ともかく真ん中は自分の性格上余計なプレッシャーを感じてしまいそうだった。
一番後ろだったらとにかく何も考えず前についていくのみで気楽だ。
それに、パブロのペースも僕らに合わせたゆっくりなペースだったので息も乱れない。

高所登山は体力云々よりも高度順化がものをいうと思う。
だから僕は今回、高度順化のためピチンチャ山に登ったし、眠る時も深呼吸を心がけ水分も多めに摂った。

こうして歩いている時も、考えていることといえば深く腹式呼吸をすることで
呼吸の妨げにならぬよう口元は寒かったが外気に晒した。

5000mを超えたあたりだろうか。
一瞬頭部にピリッとした頭痛が走った。
まさかと思ったがその後その痛みは感じなかった。
今のはいったい…
相当高山病にはナイーブになってるってことか?

パブロのペースは究めて穏やかで本当に楽だった。
それにコロンビアンアンデスで会得したゆっくり上るための心の持ち方。
自転車での経験もここで活きている。

ただ、そんな中でもアンの呼吸が乱れだした。
はじめは立ち止まって休む程度だったが、次第に歩くペースが落ち、ピッケルにもたれて肩で息をするようになった。
様子からするとまだ行けそうなようだったが、真ん中ぐらいに出発した僕らのパーティは気づくと最高尾まで落ちていた。

登り始めて2時間まだ5200m地点。
厳しい山の洗礼がすでにはじまっていた。

このペースでは登頂が厳しいと判断したパブロ。
アンと別れ、僕が先行パーティと合流することになった。

アンは一度ここで休み、パブロは先行パーティに事を知らせに、僕も追いつくべくペースをあげた。
ガイドのアンはやはりさすがと言うべきか、一人になるとほぼ直登ぎみに氷河の急斜面をグイグイ登って行く。
僕にはさすがに真似できないのでジグザグにトラバース気味に進む。

一人で氷河を歩いていると、増して最後尾、前方にしか頼りの明かりがないので若干心細い。
ここで僕に何か起きてもすぐに気付いてくれる人はいないのだ。
前方に灯るヘッドライトの明かりを見失わぬ様ペースをあげた。

先行パーティのマルコ・ベリンダに追いついた時は少々息が切れていたがまだ大丈夫。
ここからは互いをザイルで結びアンザイレンで確保しあいながら上る。

マルコもパブロ同様、僕らに合わせて歩いてくれるので有難い。

しばらく続いた雪面地帯が終わり、氷壁が現れた。
先行チームは、その氷壁のリム沿いを登っているが、このあたりは風の通り道になっていて
雪庇になっている場所も多い。
誤って踏み抜いたら最後、足元にはどこまで深いか皆目見当がつかない深く暗いクレバスがバックリと口をあけていた。
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ここで僕らはマルコの判断により迂回して別なルートを通ることにした。

迂回したはいいものの、その先でも大きなクレバスがあったりして、何度も登り下りが続いてルートを探す。
これが体力を著しく奪う。
相変わらず頭痛は無いが、ひどく眠くなってきた。
やはり前日は寝不足だったのだろうか?
それともこれも高山病の症状のひとつ?

このあたりの斜面は傾斜も緩く、歩くのも楽なのでぼーっとした頭に拍車をかける。
そのうち半分眠った状態で歩いていた。
その時、右足を滑らした。
一瞬で僕は斜面に滑り落ち、そのまま滑落しかけたが咄嗟にピッケルを立てたこと
ザイルがつながっていたこともあり大事は免れた。

トレイルに戻り、さっき転落しかけた斜面の先を見るとどんな光も届かない漆黒の闇が広がっていた。

でも、どういうわけか僕は何も感じなかった。

一歩間違えれば死ぬかもしれないこの状況で、恐怖心も何も感じなかったのだ。
この時も考えていたのは、ひたすら呼吸を乱さないことというだけ。
あとどれだけとか、疲れたとか、寒さも何も感じずただぼーっと歩を進めるだけだった。

いま思うと、あの時の思考状態はちょととやばかった。
生きた心地がせず、ただの歩く人形だった。

そんな状態で何時間歩いたか分からなかったが、前方に光を捉えた。
先行グループの光だった。
どうやら元のルートに戻ってきたらしい。

ただ大きく迂回した僕らと、先に見える光には果てしない距離があるように見えた。
遥か、上空に見える明かりを追いかけて僕らは淡々と歩いた。

この頃になると、真ん中のベリンダが体力的に相当厳しくなっていて
10歩進んでは休むというような状態になっていた。

マルコが懸命に“がんばろう!”と彼女に声を掛けてどうにか持ち直すも
長くは続かず再び足が止まる。

彼は僕にも“大丈夫か?”と声をかけてくれ、僕も親指を立てて行けるよと返事をするも
実際には空元気で相変わらず頭の倦怠感は抜けていないし、
こうしてベリンダが止まってくれて、むしろ有難いくらいだった。

“百里の道も九十九里を以って道半ばとす”という諺があるように
頂上は近いようで遥か遠い道程だった。

ここまで来てリタイヤするわけにもいかない。
かといって上を見ると頂きはまったく見えない。
下を見ると、こんなとこを上ってきたのかと思う信じられない傾斜。
行くも引くもどちらも地獄。
こんな状況にあっても未だ僕の頭はフラフラしたままだ。
もしかしたらこれが生と死の間にいる間隔なのかもしれない。

両の足に装着したアイゼンの、24本の歯が僕をこっちの世界につなぎとめていてくれた。
それは1cm2cm程度、氷河に食い込んでいるだけのひどく頼りないものだった。

頂上まであと1時間だというあたりで休憩をとった。
この寒さにベリンダは指先をやられたらしく、マルコが必死に自分の呼気を送って
彼女の手を温めていた。
“あとちょっとだ、がんばろう!山頂の景色を僕は君たちに見せたいんだ”
そんな風に彼女を励ましていた。
この言葉がどんな風に彼女に響いたかは本人しか分からないがベリンダは再び歩き始めた。

ただこれだけの高所になると中々息が続かず、10歩歩いては休むという有様だ。
僕も体力的にかなり辛くなっていて、次の休憩の際、マルコにもたれ掛かるように倒れ込んだ。
疲労困憊の僕とベリンダをサポートしながら上るマルコも相当疲れているはずなのに
彼は僕を抱き支えながら言った。
“あつし、僕の国を訪れてくれてありがとう”
彼のこの言葉が胸を打った。
なぜ、彼がこの場でこの言葉を言ったのかは分からない。
けれど、僕は何かを取り戻したかのように
それまでの倦怠感はすっかり消え、頭は冴えだした。
そうだ、僕はちゃんと無事に下山しなければいけない。
登りましただけでは駄目なんだ。
日本に帰ったら、こんなことがあったんだよって話せるように生きて帰らなければ。

マルコのその言葉によって、僕は急速に生きてる間隔のようなものを取り戻した。
さっきの休憩のときのベリンダも同じ気持ちだったのかな。

気づくと空は白み始め、あらゆるものを吸い込むかに見えた暗黒に少しづつ陰影が浮かび上がっていた。

さぁあと、少しだ。

山頂に着く頃にはすっかり夜があけていた。
太陽は僕らの反対側だったのでその姿を捕まえたのは頂上に出る瞬間だった。
あと5mで山頂ってところで太陽の光が溢れてくる。
一歩一歩上るごとに、輪郭が大きく、くっきりしていく。
不思議な間隔だった、これだけ直視しているにも関わらず全く眩しくないのだ。
こんなに美しい太陽を僕は生涯見たことがない。
その太陽の全貌があらわになった時、僕は5897mの頂きに立った。

そのまま崩れ落ちるように僕は倒れた。
やった、ついに登り切ったのだ。

涙が止まらなかった。

登頂した達成感なのか、遮るものの無い天空世界の圧倒的な景観なのか、ここに導いてくれたマルコへの感謝の念なのか
生きていてよかったとの安堵感なのか、何が僕の心を揺り動かしたの分からないがただただ涙が止まらなかった。

ぜぇぜぇと荒れた息が少しづつ普段の調子に戻ってくる。
体を起こし、改めて辺りを見渡す。

そこには神々の世界に限りなく近い天空世界が無限に広がっていた。
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