2013年2月5日火曜日

つくられたスタンダード

なんとも言えない感情が僕の中でぐるぐると混ざり合っていた。
正体が掴めそうで掴めず、もどかしい。

夜が明け切らない午前7時前、僕を含む大勢の観光客を乗せたLAN航空の機体はイースター島の滑走路に降り立った。
島の人口は4,000人程度で、恐らくほとんどの人は滅多に島外に出ることはないだろうから
飛行機の乗客はすべて観光客だろう。
思えば、こうして乗客全員が“観光”という共通目的を持っている飛行機は初めてだったし、
ある種の高揚感のようなものが入国審査待ちの長蛇の列から発せられていた。

僕と目すら合わせない無愛想な入国審査官からすんなりチリ再入国のスタンプを貰い、
空港の外に出るとそこにはたくさんのホテルに客引きが。
『Do you have reservation?』
客引きたちはみな、英語で僕に声を掛けてきた。

ホテルを決めてきたわけではないので、一応聞いてみるとどれも高い。
ガイドブックに載っている宿の方が安そうだったので、そちらに行こうとタクシーを探して値段を聞くと
『15ドルだ』
完全にふっかけてきた値段。まぁそれはいい。
ドルってここはチリじゃないのかよ。

結局大した距離じゃないので歩いて宿を目指した。

目的の宿について値段を聞くとガイドブックに記載されていた値段より多少値上がりしているものの
この辺の相場よりは安い。
一応、ここに着くまで、安宿を何件か当たって相場を聞いておいたのだ。

宿にチェックインして荷物を置いた後、街のメインストリートをぶらぶらと散歩。
島の観光ポイントは村の反対側にあるものがほとんどなので、大抵はレンタカーかレンタバイクで回ることになる。
その辺の相場もいくらぐらいか知っておきたかったので、ツアー会社を何件か当たってみた。

そうすると、同じような観光客もいて彼らは開口一番『Can you speak English?』と英語で尋ねていた。
このあたりのツアー関係者は英語を話す人がほとんど。
自分が拙いスペイン語で尋ねると返答は英語で返って来た。

スーパーで買物をした。
レジのおじさんは何も言わずレシートの金額を示す部分を指さした。
この数字の金額を出してくれと。
多くの日本人が母国語以外の言語が不自由な状態でこの島にやってくるからだろう。
おじさんの取った行動は彼にとっても、僕らにとっても互いに合理的な方法だと思う。
別にぶっきらぼうだなとか失礼なやつだとも思わない。
けれど、

寂しいなと思った。

田舎を旅していると、当たり前だが英語で返事が返ってくることはまずない。
だから、こちらも拙いスペイン語を使って、身振り手振りを使って伝えようとする。
聞き手の方も、こちらの意図を読もうと一生懸命に聞こうとしてくれる。
時々、ちゃんと伝えたいことが伝わらなかったりするけど、
互いに向き合って分かり合おうとする雰囲気が好きだった。

だけど、ここではそんなコミュニケーションが(ほとんど)存在しない。
互いが互いにとって合理的に済むような方法でコミュニケーションがとられる。
数字や英語、ドルといった世界のデファクトスタンダードたる基準のもので事が済まされてしまう。

何一つ不自由なく旅行が進んでいくことは間違いなくいい事だけれど、
その国や地方のローカル性すら失ってまで、目指す場所なのだろうかとも思う。

旅行って土地土地の固有の文化や自然、食事や風俗そういったものを体感する手段の一つと思うのだが
これでは、ローカル性とは真逆の均質化した世界に進んでいっているような気がする。

インターネットが登場したことで、旅は格段にしやすくなった。
鮮度の高い情報が簡単に手に入り、友人家族との連絡も取れるし、自らの情報発信も容易だ。

今時旅の情報はガイドブックではなく、誰かのブログやサイトを参照するのが普通になっている。
そこにはガイドブックには載らない(載せれない)ようなディープな情報もあったりする。

例えば他の旅行者と話をしているとき、どこに行っただとかどこに泊まっただとかの話になる。

例えば僕が◯◯に泊まったとか言うと
『ブログ見てないんですか?あそこの評判悪いですよ』
◯◯に行ったとか言うと
『そこで泥棒にあったってブログに書いてありましたよ』
と返されることがある。

なんとゆうか。

人それぞれの旅行なので、僕がとやかく言うことではないのだが
ネットの普及で情報は昔よりたくさん溢れているはずなのに、旅のルートややり方は一層狭くなっているように感じる。
ガイドブックは読み手にある程度の選択肢を与えてくれるが
ネット上で人気のブログ記事だったりすると、あたかもそれ以外の解はないように思わせることがある。
それを模倣するかのように、読者は同じ宿に泊まり、同じレストランで同じ物を食べる。
同じ時間に同じコースを観光し、同じポイントで同じ構図の同じ写真を撮る。

せっかく、異文化体験をしに旅行に出ているのにネットで得た情報を復習しているだけに感じてしまう。
自分の中にある未知や好奇心に従うことが難しくなった時代になりつつあるのかもしれない。

やっぱりそれは寂しいなと思った。

旅行なんて自分の稼いだお金でする遊びなんだから、情報に振り回されず、もっと好きなところに行けばいいと思う。
僕が自転車に乗っている理由の一つだって、他の誰とも違うところに行きたいと思うからだ。



島全体が1つの完成されたパッケージに向かっていく様を目の当たりにして
色んな感情がぐるぐると頭の中を駆け巡った。

部屋に戻ってPCをつけて自転車旅の、恐らくこの島にいる観光客の99%が無縁の土地の写真を取り出して
眺めていると妙に落ち着きを感じてしまった。

ここは自分の居場所じゃないのかもしれない。

そう思うと、サンチアゴに置いてきてしまった自転車が一層恋しくなった。

2 件のコメント:

  1. ラパタイア到着  おめでとうございます。
    達成した気持ちも、この記事を書いた気持ちも

    自らの足で旅をした人でなければ、その気持ちは解らない!

    vacaより(FBに共通の友人?がいました)


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    1. ゆうさん(vacaさん?)
      コメントありがとうございます。
      イースター島を楽しみにしてる方々には
      申し訳ないような内容ですが(苦笑)
      僕なりの感想を綴ったつもりです。
      やっぱり僕には自転車で訪ねることが出来る土地がいいのかもしれないです。

      共通の友人?いったい誰なんでしょう?

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