タイミングの悪いことにヘトヘトでベッドに倒れ込んだ夜には、持病から来る腹痛と悪寒に襲われた。
この半年以上、体の調子がよくて薬も一切飲んでいなかったのだが、ここにきて発病。
夜中は、たまに来る悪寒と吐き気のウェーブにひたすら堪える時間だった。
朝になっても一向に良くならず、結局10時頃までベッドにうずくまった。
なんとか出発の体裁を整え、自転車に跨る。
登り坂で足に負荷がかかる分、腹痛が多少紛れる。
ここから登り一辺倒かと思ったらアップダウンのある谷沿いを行く道だった。
この道の峠が2,260mあると知っていたので、数字が思うように進まない高度計を見つつイライラ。
この山道にあって突然、現れるモロッカンがしつこく石を売ってきたり、
子供たちが500mくらい走って“お金頂戴”と追いかけてくるのにもだいぶ参った。
一人の子供は僕の荷物をすれ違いざまに取ろうとした。
体調が万全なら、笑い飛ばせるのだろうけど、この状況では精神的にも体力的にもかなりきつかった。
時折、すれ違う人々が僕に”サヴァー?(大丈夫?)”と尋ねてくるが
言葉の持ち合わせのない僕は“サヴァー(元気だよ)”と答えることしか出来なかった。
昼に寄ったレストランで頼んだタジンも数口手につけただけで、もう喉を通らず。
そこから本格的なつづら折れに再突入したのだけれど、苦しいとかつらいよりも
ひどくボーっとした感覚のまま、たらたらと登った。
後で写真で見返すと素晴らしい山岳風景が広がっていたのが惜しまれる。
峠には土産物屋や陶器屋、石屋がいくつか立ち並ぶちょっとした観光地だった。
少し飲み物でも飲んで一息入れたいところだったけれど、僕を見るやいなや“ミルダケミルダケ”と
声がかかる、この場所で落ち着いて休憩どころではなかった。
全くもってモロッコの商人たちの商魂たくましさには恐れ入ってしまう。
ただ言っておくと、モロッコ人に辟易しているわけではなく、
あくまで自分の体調の悪さで楽しめていないだけである。
体調が万全だったらここも楽しめたはず。
峠を越えた先にある分岐で下道に逸れた。
下道に入った途端に道はがたつきの目立つ1車線になり、交通量もぐっと減った。
その日はそこから8kmいったところにある宿にベッドを取った。
翌日は1車線の下道を本格走行となったが、広がる景色は前日よりも素晴らしかった。
険しい谷を縫うような迫力のある道があったかと思えば、
ダイナミックに広がる渓谷にそって下る道。
不毛の大地に見えるこの地域も谷底に目をやると、川にそって緑が溢れている。
地図には載っていないが、実際には切れ間なく集落が続き、土壁の家々は主張するわけでもなく
あたりの景色と馴染んでいる。
商魂たくましいモロッコ人は(たまたま会わなかっただけかも)ここにはおらず、
通りゆく僕を見るとはにかみながら手を振ってきたり、休憩中、地べたに座る僕に
そっとイスを差し出してくれたりした。
そんなさり気ないモロッコ人の気質を垣間見れたかと思えば、再び元の日常を取り戻す。
この道の途中にはアイト・ベン・ハッドゥと呼ばれる世界遺産に指定されるベルベル人の要塞都市があった。
そこのエリアに入るやいなや“ニホンジン?!”“チョットマッテ ホテルホテル!”といった声がかかってくる。
休憩していても絨毯売りがやってきたり、自転車交換しようと分けの分からん交渉をしてくる輩もいて疲れた。
遺跡観光も早々に切り上げ、30km先の都市ワルザザートへ自転車を走らせた。
この半年以上、体の調子がよくて薬も一切飲んでいなかったのだが、ここにきて発病。
夜中は、たまに来る悪寒と吐き気のウェーブにひたすら堪える時間だった。
朝になっても一向に良くならず、結局10時頃までベッドにうずくまった。
なんとか出発の体裁を整え、自転車に跨る。
登り坂で足に負荷がかかる分、腹痛が多少紛れる。
ここから登り一辺倒かと思ったらアップダウンのある谷沿いを行く道だった。
この道の峠が2,260mあると知っていたので、数字が思うように進まない高度計を見つつイライラ。
この山道にあって突然、現れるモロッカンがしつこく石を売ってきたり、
子供たちが500mくらい走って“お金頂戴”と追いかけてくるのにもだいぶ参った。
一人の子供は僕の荷物をすれ違いざまに取ろうとした。
体調が万全なら、笑い飛ばせるのだろうけど、この状況では精神的にも体力的にもかなりきつかった。
時折、すれ違う人々が僕に”サヴァー?(大丈夫?)”と尋ねてくるが
言葉の持ち合わせのない僕は“サヴァー(元気だよ)”と答えることしか出来なかった。
昼に寄ったレストランで頼んだタジンも数口手につけただけで、もう喉を通らず。
そこから本格的なつづら折れに再突入したのだけれど、苦しいとかつらいよりも
ひどくボーっとした感覚のまま、たらたらと登った。
後で写真で見返すと素晴らしい山岳風景が広がっていたのが惜しまれる。
峠には土産物屋や陶器屋、石屋がいくつか立ち並ぶちょっとした観光地だった。
少し飲み物でも飲んで一息入れたいところだったけれど、僕を見るやいなや“ミルダケミルダケ”と
声がかかる、この場所で落ち着いて休憩どころではなかった。
全くもってモロッコの商人たちの商魂たくましさには恐れ入ってしまう。
ただ言っておくと、モロッコ人に辟易しているわけではなく、
あくまで自分の体調の悪さで楽しめていないだけである。
体調が万全だったらここも楽しめたはず。
峠を越えた先にある分岐で下道に逸れた。
下道に入った途端に道はがたつきの目立つ1車線になり、交通量もぐっと減った。
その日はそこから8kmいったところにある宿にベッドを取った。
翌日は1車線の下道を本格走行となったが、広がる景色は前日よりも素晴らしかった。
険しい谷を縫うような迫力のある道があったかと思えば、
ダイナミックに広がる渓谷にそって下る道。
不毛の大地に見えるこの地域も谷底に目をやると、川にそって緑が溢れている。
地図には載っていないが、実際には切れ間なく集落が続き、土壁の家々は主張するわけでもなく
あたりの景色と馴染んでいる。
商魂たくましいモロッコ人は(たまたま会わなかっただけかも)ここにはおらず、
通りゆく僕を見るとはにかみながら手を振ってきたり、休憩中、地べたに座る僕に
そっとイスを差し出してくれたりした。
そんなさり気ないモロッコ人の気質を垣間見れたかと思えば、再び元の日常を取り戻す。
この道の途中にはアイト・ベン・ハッドゥと呼ばれる世界遺産に指定されるベルベル人の要塞都市があった。
そこのエリアに入るやいなや“ニホンジン?!”“チョットマッテ ホテルホテル!”といった声がかかってくる。
休憩していても絨毯売りがやってきたり、自転車交換しようと分けの分からん交渉をしてくる輩もいて疲れた。
遺跡観光も早々に切り上げ、30km先の都市ワルザザートへ自転車を走らせた。
0 件のコメント:
コメントを投稿